コンテンツ…ゲイゲ

見えない世界は
見えないだけで
現実がありますから
触れれるなら
確かめようがあります

現実をたしかめ
触れることができると
某かのはなしが
なにをいっているのか、
わかるようになります

思いつきや、心理は
見えない世界の真理や
現実ではありません

「どこかで耳にしたこと」や
「そうであってほしいこと」
その反転した
「こうだったら怖いな」と
いうようなことを
そうだと決めつけて話すとか

心理や、気持ちと
現実に確認がとれたことを
ゴチャゴチャにして
「力がある側」として
提供するのは
あまり良い事にはなりません

……

私は、全ての人が
サイキックに覚めていると
みなしています

無意識な方も
いらっしゃいますでしょうが

ですから
「意識できていないだけ」で
ひとのことばの
「根」を
かんじとるぐらい
人はもう誰でもできるんではないかと
思うのです

……

根っこ

現実の根拠と
気持ち、感情、心理の根拠があり

なんの心理を
根っこにして
言の葉をのばしたか

実りは己にかえります

……

思いつきや
おもいこみ
あるいは
そうであってほしいとか
こういうのが怖いとかいった
心の影

そうしたものを
世界の真理や、現実とし
話にされるのは
止されたほうがよいです

意識していなくても
それは「嘘」とおなじことを
成し遂げていき
人の目を曇らせますから
あまり良い事にはなりません

嘘を口にし続けるものと
おなじように
信頼も失われますから

確認をとったり、
自分で確かめてみることは
大切です

……

はなし

はなしをするとき
自分の中でだけでも
現実にみてきたり
経験したりした、
確かな話と
思いからこみ上げた話の
区分けをしておくと
わりと良いようです
2017-10-10 04:52:58
傷つく人の顔が思い浮かぶか……

他人が見えているか、は
私にとって
とても大切なモノサシになっている

たとえば
傷つくことを、
きついこと、や
暴威のともること、を
のたまうとき、するとき
そうした行為で、
どんな人が、
どんなふうに傷つくか

見えなければ
他人を見失っている

……

自分の内心は
真理でも現実でもない

見えないもの
見えない命
隠り世もふくめ
そうしたことは
現実であり
内心とはことなる

見えない世界は
見えないから
他人をみうしなえば
たちまち、己だけになる

……

「魔境」は
頭の中にある
隠り世にあるわけではない

……

この行為で
どういうひとが
どんな反応をするのか
何人か、想像できると
行為に自覚がともる

……

自分の、影響の範囲、は
そのまま、
気づかせようと押し寄せることの
精算の量になる

……

見失っていることに
気づくようになると
視野をたてなおそうとする
2017-10-10 01:07:11
隠り世で
さまざまなことが
うごいていて

ともない、そろそろ
様々なところで
活動の位置が変わることが
あるかもしれません

活動の場所がかわること、は
たんに
そのひとにとって
その場所が合わなくなった、
というだけで
そのひとの神秘性や
個性、能力への
否認の顕れではありません

慈愛のあることです

……

神々の沈黙は
終えられたようです

しかし
会話は言葉ではなく
授与のように
具現するだけ

現実が
神様とわたしたちの
会話なのです

……

神社やお寺の神様は
おおいなるものの
かけらの顕れです

おおいなるものは
人間の領域をこえていらっしゃるから
触れていながら
把握することはできません

それでも

人間を慈しまれ
みまもられています

ですから、
そのひとが
「神だと思うこと、みなしたこと」に
そのひとのために
降り顕れる

おおいなるものの
慈悲の顕れが
神様とよばれます

……

なにがしかを
ふと、認識する方が
あらわれるかもしれません

怯えなくても良くて
すべて、根源をたどれば
慈悲の顕にすぎません

……

「悪いことをしていた」のなら
思い心なおし、ととのえ
償えば、いずれ
精算もおわります

「理由がわからない」なら
たずねれば
教えてもらえます

……

内から
わきあがりながら
外の顕れにふれる

……

それぞれの神々には
それぞれ
大切にしていることや
ひとがいます

どんなことでも
ものでも、まして知識であっても
正しさであっても
相手を、他の命と見受けて
自分がされたら嫌なことは
自分も、なるべく、避けたほうが
良いのかもしれませんね
2017-10-10 00:40:41
きもち、念、心遣い

そうしたものは
まず、
重いものであれば
自分の足元に
軽いものであれば
頭の上に
まといつくから

だしつづけているものは
まず、自分に影響がでる
それから
やがて雰囲気みたいになって

はたから、みただけで
人が受け取るように
なるのかもしれない

……

「他の人が見えているか」は
大切なことだと思う

己のことしかみえないとき
他の人のことを語ることも
他の人になにかを伝えることも
できない

まるで隠し絵のように
その目の前の景色から
「他の人」というものが
きえてしまう

……

きみょうな話
他人が見えていないときほど
己の内心や、心の影を
他人の本性のように、みてとり

見えているときほど
その人と、己には
似ているところがあり
そのうえで
異なりがあることを
感じ、理解するようだ

……

「他人」を尊重するセンス

優しさとおなじ
もっていると
思い込むほど、失い
これぐらいだ、と
現実を
自覚するほど
はぐくまれ
厚みがでるらしい

なんでもそうかもしれない
2017-10-09 12:22:21
預言とは
字のごとく
言葉をあずかることです

みんなに伝えなさい、という
預かりかたもありますが
預かるだけの時もあります

ことばは、
神々と、
そこにある命にとって
とても大切なものです

……

ことばに
気を付けられないなら
神々から、預かることはありません

不安にさせる
脅す、憎しみをあおる
だます、おとしめる
などなどの
まっとうさが欠ける
よごれた使い方をするものからは
ことばは、離れていきます

……

予言、は
サイキックなところから
たちのぼる
予感が、言葉や
イメージになるほどの
あらわれです

サイキックは
その人自身を
根源にしますから

生におびえがあるのなら
おびえた立ち上がりが
現実解離しているのなら
そうした立ち上がりが
おおくなります

命にたいする
祝福が根ざしている方は
そうした立ち上る予言で
人を助けるとも、いわれます

……

神々の沈黙

神々が言葉をあらわしてから
何年かのあいだに
神々の沈黙があったといわれます

それ以前は
神々と預言者は
たしかな交流で
そこに居たといわれます

……

そういえば
神の真似をするものは
「言葉を預ける」ことが
できないようです

そのものの意見を
「はなすように」と
されるようですが

「預ける」自体が
できないようで

言葉がなんであるか
きちんとした把握が
ないからかもしれません

そうしたことと
「預かり、つたえる」ことは
似て非であり
よくみれば
まるでことなる様子をもちます
2017-10-09 09:55:19
all ... Prev[52] Next[54]
Page : 0 . 1 . 2 . 3 . 4 . 5 . 6 . 7 . 8 . 9 . 10 . 11 . 12 . 13 . 14 . 15 . 16 . 17 . 18 . 19 . 20 . 21 . 22 . 23 . 24 . 25 . 26 . 27 . 28 . 29 . 30 . 31 . 32 . 33 . 34 . 35 . 36 . 37 . 38 . 39 . 40 . 41 . 42 . 43 . 44 . 45 . 46 . 47 . 48 . 49 . 50 . 51 . 52 . 53 . 54 . 55 . 56 . 57 . 58 . 59 . 60 . 61 . 62 . 63 . 64 . 65 . 66 . 67 . 68 . 69 . 70 . 71 . 72 . 73 . 74 . 75 . 76 . 77 . 78 . 79 . 80 . 81 . 82 . 83 . 84 . 85 . 86 . 87 . 88 . 89 . 90 . 91 . 92 . 93 . 94 . 95 . 96 . 97 . 98 . 99 . 100 . 101 . 102 . 103 . 104 . 105 . 106 . 107 . 108 . 109 . 110 . 111 . 112 . 113 . 114 . 115 . 116 . 117 . 118 . 119 . 120 . 121 . 122 . 123 . 124 . 125 . 126 . 127 . 128 . 129 . 130 . 131 . 132 . 133 . 134 . 135 . 136 .