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★心の一句


かなしみも
よろこびも
ふきとばすかのよな
あつい夏


2017-07-17 07:00:00


「憎悪はあなたに入るんですか?」

……

祟り神様のおおくは

いま野良のようになっていらっしゃいます

ですから、癒されるところに

ふらふらきたり

祟りをよろこぶところに

ふらふらきたりされます

……

祟り神さまが

ふらついてきたわけは

多くのひとたちの

心から

祟りが「ないこと」に

されたからです

それは祟り神様のことではありません

ご自分ご自身のこころのことです

……

ほんとうは

人を憎み、嫌い、憤怒しているのに

それに振り向くことが

できなくなったひとたちが

「たたり神様」に気を持たされるのです

しかし

シンクロし、気をあたえながら

たいていのひとたちが

たたり神様とシンクロした

憎悪のこころは

ないことにしていますから

祟りがふらつくのです

……

攻撃性というのは

この文明社会にあり

もしかしたら、誰もが

苦しむことかもしれません

嫌なひとにであったとたん

いらだち

にくしみ

けんおし

あかの他人が

「きえること」すらのぞみながら

「私にだって

そんなきもちがある

普通の人間だから」と

のたまわれるかたの

異様な多さ

たぶんですが

「そんなひとは

普通の人間ではない」し

「普通のことでもない」と

うすうす、わかっていて

だからこそ

そうした言葉(思い)になるのかもしれません

……

わたしは、分かりづらくなるかも

しれませんが、

これからも

普通や、あたりまえということばを

多様していきます

普通や、あたりまえの人間が

大好きだからです

普通の人間、

あたりまえの人間

普通の日常を

あたりまえの日常を、

普通のことを

あたりまえのことを

大切にすごされている方々

そうした方々の

エネルギーは

すんでいて

楽しそうで

きよらかです

……

祟りをのぞむこころ

こころは神様とつながります

神様はおおきくなければ

たくさんいらっしゃいます

喜怒哀楽の、ふつうの気持ち

わりと、ひとは

「普通の気持ち」なら

己のこころを受け入れているため

喜怒哀楽をもたれる神様は

たいていは歓迎され、

安寧されています

……

ひとを祟るこころ、は

人を呪うこころです

「憎悪している」というのは

なかなか

見えづらいし

受け入れがたいことです

「わたしが正しいから

ちょっと嫌いなだけ」

こうしてようやく

その苛立ちをしずめているかたは多い

「普通のこと

ちょっと嫌いなことに

いらだつだけ」

……

そうした毛布をかさねられ

「見ないこと」にされた

「憎悪」と「憤怒」は

宙ぶらりんになっていて

気をもたされた、祟りをもたれる神様は

ふらふらと濃くなられる……

……

憎悪されていて

にげまどっているかたは

(見えなくても)

そのエネルギーが

しげきされるたび

かくしこんだ

「憎悪している悪人

(と思い込んでいる)

エネルギー」に混乱し

錯乱し

おびえられる

それは、嫌悪ではないし

いらだちでもないのです

みなかったことにしている

憎悪、に

人にきづかれそうで

また、刺激されて

おびえられているのです

……

攻撃性など

ないことにする、のは

「いいこぶる」ことではありません

それよりも根深い

おそろしいことで

「攻撃性への脅え」なのです

……

「気に入らない他人」をまえに

「いらだつ自分」を

「グズだね」と

わらいながら受け入れている方は

じつは攻撃性は低くなるし

「ひとを祟るこころ」も

しずまっていくのです

なぜなら

笑っているからです

もちまえのグズを、

おかしいね、と

やわらかく笑っているから

他人のグズなところも

笑って受け入れられるんです

……

ひとの心は

よっつの神につながります

かれらは きちんと

守護神として

いつも、ひとを見守られています

見えない領域ですから

幽霊が見えても

エネルギーがわかっても

かたわらの神様は

見えないものです

……

にんげんは

だれも、悪人でも

善人でもありませんし

正しくも、間違ってもいません

はざまにいるものです

ひとりよがりと

むすびついた

正しさの攻撃性については

まえにもかきましたが

「正しい」に

「みたくないこころ」を

かくしこんだひとが

もっとも、おそろしいものに

かわっていくのです

……

話が長くなりました

もしも

憎悪という

「気に入らない他人」への

攻撃性を

「正しいこと」「普通のこと」と

毛布をかけなきゃ、

受け入れられないなら

グズだね、情けないね、と、

わらえないなら

ひとつ、観音様に祈られてみてください

スピリチュアルや悟りのかたなら

十一面観音様がよいかもしれません

十一面観音様の

ひとつのおかおは

クズなきもちのまま

「魂がたかみにいるかのように」

思い込んでいる人間を

ゲラゲラ、笑っているお顔です

わらわれると

気持ちいいですよ
2017-07-16 00:27:02
を……かいている

別ブログのほうの下書きなんすが


 

 

なんか、方向性


きまりはじめてて

すーっとしたわぁ……

 

フリゲーは

いったん、おいといてる

(必ず完成させるから待っててね)

 

★こころの一句

 

いまはだめ

あたまがにえにえ

れいきゃくよ

 



 
2017-07-14 10:23:03












 


回転しはじめると


速くなりすぎる


まえよりセーブきいてきたけど


 


「忙しい」は余裕がなくなったとき


 


充実は余裕しゃくしゃく


 


余裕は、つくらないと


うまれない


 


★こころの一句


 


あついなぁ


あたまのなかまで


あついなぁ(夏か)


 





 
2017-07-14 10:19:16


愛などない

たまに、たたり神さまが

おりて、お話しされるのです

そのとき、わたしは

愛などない、と

云う心境にいたります

ただ

よくみると

愛はあるのです

ひとりひとり

きちんと、愛はあるのです

優しさ、おもいやり

そんなものではなくて

愛はあるのです

でも、無償の全愛に

達している方は

いらっしゃらないのです

……

たたり神さまは

癒されたくて

泣いてこられるのです

わたしはたまたま

うらむもの、祟るものに

共感をおぼえ

いやしかたと

休みかたをおぼえておりました

ですから

かれらを抱いて

ゆっくり癒しながら眠ることができるのです

……

かれらは

悪いものとして

おいやられ

悪いものとして

認められず

祟るがゆえに

こころ、ちから

すべて、否認され

「消すことすら、できないもの」に

(消すこと=己の祟りをしずめること)

ただ、憎悪敵視されてきたのです

己のこころさえ

みえていない、

こえていないものに

「ただ憎まれてきた」のです

ですから

祟っているのです

……

神様を愛する人は

神さまにたよられます

そうした方は

たくさんいらっしゃるのです

しかし

「自分の価値観にあったものしか

愛せない」

この束縛は

だれも、はずせてないのです

……

「自分の思い」をつたえるとき

「だれかを否定」しているなら

それは全愛ではなく

「価値観にあったものへの愛」であります

でもそれは

優しいことであり

あたりまえのことであり

大切なものなのです

……

全愛に達せられた方は

敵がおりません

心にもおりませんし

世界にもおりません

イエスさまもそうですし

お釈迦様もそうです

今この世に

イエスさまのような方

お釈迦様のようなかたは

いらっしゃいません……

だれもが

価値観の束縛を

こえておりません

エネルギー界隈では

そのような方があらわれたら

みんな。みえるのです

みんな。わかるのです

「敵がいない方」だから

……

かれらは

己を傷つけたものを

愛したのです

こころから、みとめ

愛したのです

それは言葉の愛などではありません

「命」からふきでる

真実の愛です

ですから

かれらには

敵がおりませんでした

現実にも

見えない領域でも

おりませんでした

誰も、かれらの

敵ではなかったのです

……

祟るもの、うらむものも

かれらだけは

祟らない、うらまない

愛されるからです

……

ごまかすような「愛」ではありません

魂から吹き出る愛に

「愛されるから」

祟らないのです

……

私は

祟るものとシンクロをおこしているとき

愛をうそぶくものを

ひどく、憎悪し

のたうちまわります

愛していると

思い込んでいるものたちが

かれらを、殺そうとしてきたからです

……

「憎まれている

嫌われている

敵視されている」これは

価値観に束縛されている愛の

因果のあらわれです

逆にいえば

「憎み、嫌い

敵視している」のです

胸底に「他者への

否がやどっている」のです

否に、否がかえるのは

自然なことなのです

価値観には

対比の価値観があります

価値観を磨くために

対比の価値観と

面向かうのです……

それが成長を

すすませるのです

……

価値観の束縛が

やどる世界では

だれしもが

認められないものと

認められるものをかかえます

そうして、

それが、こころにあるかぎり

現実に点る(みえる)のです

……

こういうことが

「いけない」という

はなしではないのです

「そういうふうに

できている」だけなのです

……

私の話し

まだまだ

整頓できていないことばかりです

もしも属性をきかれましたら

私は光と混沌のほうになります

(光と秩序のかたは

異なりがあるので

ときおり、拒否感をおぼえるかと

おもわれます)

(逆に混沌のかたは

安心されるかもしれませんね……)
2017-07-14 05:32:06
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