Year: 2018 2017 2016
ことば、で
つたえることを
どうしても
やめたかったのですが

もうすこし、
重みにおもわないで
話せば良い、と
なりまして

なんとなく
これからは、いろんなこと
もうすこし
かるく語っていこうかと思います……
難しいんですけどね
2018-04-24 07:54:23
怒られたとき
や、嫌われたとき
人には、人の中に
内包するものがあるから
気づくことが出来て
嫌悪や注意をあらわすのですが

だから「その人も同類」とか
怒るのはその人の問題、とか
そうしてしまうのは
おかしいのです

よくないことを
しないひとと
するひと、は
明瞭な差があります

都合の良いことばかり追う人は
「相手にもあること」をもって
反論しようとしますが

問われているのは
「なぜ、ひとがしないことを
あなたはするのか」で

「ひとにもあること」ではないです

……

なぜ
たとえ内包していたとしても
ひとは、しないのか、
しないひとと、するひとは
なにがちがうのか、は
とても大切なことを秘めています

……

嫌われたり
怒られたりしたとき

そうしたことを
「自分の行為」をみつめながら
受け入れることは
勇気がいります

嫌われる勇気、は
人から言われても
何を思われても
気にしないことに
わかせるものではなくて

自覚することに
湧いてくる

……

私は、嫌われそうなことは
自覚しながら
踏んでいます

どういう人が
どんな反応をするのか
みつもっています

傷つけることをするとき
傷つけることをするのだと
わかっているのと
わかっていないのでは
違うからです

……

「怒られなくなった人」は
憐れな末路に進まれます

神様は、怒られます……
たまに、とある次元界隈の方々は
神様が怒らないと
のたまわれる
なぜなのか、疑問でした

そこには、怒る方がいないようです
(怒りを拒絶したから
はなれたのか……)

怒りや、嫌悪をあびたときは
勇気をだして
自分のしたことを
みたほうが
わりとよいです

「なぜ怒られたのか」
「なんで嫌われたのか」は
きちんと、
見ようと思えば
見えるものです

……そのとき
相手が、
理不尽なのか
ほんとうに
自分のいたらないところがあったのかも
みえますから

そうして……
他人は理不尽な時がありますが
神様に理不尽はありません
嫌われたり
怒られたりしたら、かならず
なにか、悪いことを踏んでいます

……神様の怒りや嫌悪は
真受けされると
良いです
2018-04-24 03:59:34
明王尊について
書き記すなら
マリア観音についても
対比として
書きたいのですが
力尽きています……

とにかく力ない時は
言葉がまわりますね



そのうち
マリア観音について書き記します



それはともかく
私は、描写をしたいのであって
意見の宣いがしたいのではないので
なんか、そっちにそっちに重心かけたいですね
2018-04-21 13:05:23
笛が友達になるのを
少し書きたい

うまくかけないが
まるで知り合ったばかりはよそよそしい
次第に
お互いを知り合う
そのうち、うんと仲良くなる

うまく吹けるか、より
うんと仲良くなるほうが
ずっと大切な気がする

笛は友達になるものだから
わたしは、笛、熱くお勧めしたい

ひとと会うように
笛と会うことを
お伝えしたい
2018-04-05 12:16:32
えもふり、という
ソフトをダウンロードしてきて
なにか面白かったので
それで不動明王とか
薬師如来とかつくってあそんでる

なんか仏像つくるみたいだよなぁ
なんて話ししてる

仏像もハイテク化していって
やがては
可動式だったり
アプリ式だったり
できるようになるのかもね

仏像いうと
聖書のことばの
悪とされるものの
「木や土や銅でできたものをおがませ
それにささげたものを
お前たちに食べさせている」に
でてくる
「もの」のように思える

イエスはそんなん言うてないよ
いうんだけど
言葉は不思議なもんで
そこにそういうふうに現れている
ゆうことは
ひとつなにかあるのだとおもう

ことばがくみあがるところの
海のようなところが
いまは、荒れにあれていて

黒い浪と、光浪、
どちらの波をくんで「あらわしたか」で
言葉のさまが
かわってしまうんだけど

「人を否定したい」は黒く
「認めている」は光から
あらわれやすい

それはともかく
聖書、聖なる書という
おもてしきの言葉じたいが
影響をもっているので
その予言も、けっして
悪いものではなくて
やはり聖のものなんだとおもう

聖なる書は
素直にうけとることをもとめる

私は、神に神体がないかのような
まして、心がないかのような
ことをいうひとは
信じないんだけど

(つまり神に実態がないから
仏像はだめというのは
聖書にもない、
心を否認するのは
ましてや、まちがいだ)

聖書にかかれているのは
「そうした像をおがませている」
何某かの団体が
邪神崇拝だよ、という警告なので

素直にうけとるなら
「像をおがむ」こと自体は
悪ではないんだろう……

絵画……
いぜんも、絵画の
ちからにふれて
言葉より深いと思った

言葉でもそうだけれど
「現実に」具現させる、とは
人が思うより深い
……

表現(と、そこにやどる心理も)は
気をつけていきたいなぁと思う
2018-04-02 12:23:48
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