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穢れについてのショッキングレポート
本人に「芯(真)」があるかどうかで
穢れへの反応は異なります
ちょっとショックな話ですが
穢れと人のかかわりかたを
見ていきましょう
:
***
TypeA 怒る人(無意識は穢れを祓いたがっている)
心があるひとは
たまに穢れに怒りを覚えます
穢を怒る人は
ほんにんの本心から怒る
しかし状況がよく理解できていないこともあり
また、穢れへの「ショック反応」として
ヒステリーや
急激な怒り具合になったりもします
はたからみると
「威圧感」をかんじたり
「自分ばかりが正しいと思っている」とか
「すごいとおもっている」とか
思えたりもします
(本人も
自分の性格が、そういうものなんだと
思ってしまうかもしれません)
穢れを祓う圧みたいなものが出る人もいるんです
この「圧」がそのように見えます、し
思えます、が
すぎてみると
「受けた人」がすっきりしたりします
また、本人をよく見ると
そうしたことをしたがるような素振りが
通常時はありません
***
TypeB ネガティブになる人(無意識は穢れを祓い落したがっている)
穢は
濃くなると
ずーっと
怒りっぱなし
ずーっと
うらみっぱなし
あるいは被害心が強くなり
依存心が高まる
愚痴をいっぱいいったりするようになる
(しかし、この愚痴こそが
このタイプの
穢れの祓い方です)
悪口に見えて
たんなる「愚痴っぽい」
本人は優しい、いいひと
気負いやすい、責任感が強い、
しょいこみやすい、など…
***
TypeC 自分の力(思考力など)だと思い込んでしまう人
穢を「ちから」だと勘違いし
つかうひとは
やたら「自信家」になりますが
その自信は「肯定」とは異なります……
「薄っぺらい」には
こんな裏があるときがある
この手のタイプに
穢はドーピングに似ていて
あるいは、違法薬物のような効果をもたらします
冷静になれたら
本心とのちがいや
己のちから(思考もふくむ)ではなこと
異様なことだと気がついて
避けたり、やめたりするのですが
気が付かないで
穢にのりあげ
穢をつかうひとは
本人がどんどん消えていきます
人へのむかつき、欲がうずまいており
それが「言葉をつくりあげる」
しかし「表向き」の美化(アピールや、保身、正当化)を
したがるところが、けっして消えないので
やたら「装いののっている」
「ことば」が多くなります
***
だいたい
人が怒ったり
いらだったり
嫌味におちたりするのは
穢があったりする
穢は
ストレスと似ているんだけど
ちがうところは
「怒りに弱い」ところで
怒ると、薄いものは消える……
:
穢で
怒ったり
いらいらしたり
むかついたり
嫌味におちたりしているわけで
それが、つまり
その人の性格とされてる
見えてないひとは
(霊を見てても見えん人はいるようだ)
自分の性格として
自分がただしいとして
怒ったり
なやんだり
にくんだり
いらいらしたり
している
:
つまり
それで、
人の気持ちの中には
「みえない穢への怒り(反応)」って
種類が、あるんだよ……
……★
すべての人が
みわけること
浄める事が
できる日が
ちかづいているから
そうしたら
もっと
いろんなことが
かわるんだろう
……★
穢は
胸に問えばきちんとわかる
区別がつく
穢を怒る人と
穢のムカつきや、欲望と
シンクロして
それを自前のちからや
思考力だと勘違いして
つかうひとは
明瞭な差異がある
「穢れ」を
見分ける目は「分別の目」だ
:
分別を
なおのことつけるのは
自分のためだ
ひとのためじゃない
やってはいけないこと
ひとをきずつけること、の
うらがわのちからは
穢がおおい
分別、が
つくときは
人により違うけれど
自分の足で
自分を担いたいなら
自分のために
もたなきゃならない
それは、
ちゃんと、穢にあおられないで
じまえで、磨かなきゃならない
自分の行為。言動の
その深層心理の
「善悪の区別」だ
series :
レポート
2018-03-10
19:24:18
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本人に「芯(真)」があるかどうかで
穢れへの反応は異なります
ちょっとショックな話ですが
穢れと人のかかわりかたを
見ていきましょう
:
***
TypeA 怒る人(無意識は穢れを祓いたがっている)
心があるひとは
たまに穢れに怒りを覚えます
穢を怒る人は
ほんにんの本心から怒る
しかし状況がよく理解できていないこともあり
また、穢れへの「ショック反応」として
ヒステリーや
急激な怒り具合になったりもします
はたからみると
「威圧感」をかんじたり
「自分ばかりが正しいと思っている」とか
「すごいとおもっている」とか
思えたりもします
(本人も
自分の性格が、そういうものなんだと
思ってしまうかもしれません)
穢れを祓う圧みたいなものが出る人もいるんです
この「圧」がそのように見えます、し
思えます、が
すぎてみると
「受けた人」がすっきりしたりします
また、本人をよく見ると
そうしたことをしたがるような素振りが
通常時はありません
***
TypeB ネガティブになる人(無意識は穢れを祓い落したがっている)
穢は
濃くなると
ずーっと
怒りっぱなし
ずーっと
うらみっぱなし
あるいは被害心が強くなり
依存心が高まる
愚痴をいっぱいいったりするようになる
(しかし、この愚痴こそが
このタイプの
穢れの祓い方です)
悪口に見えて
たんなる「愚痴っぽい」
本人は優しい、いいひと
気負いやすい、責任感が強い、
しょいこみやすい、など…
***
TypeC 自分の力(思考力など)だと思い込んでしまう人
穢を「ちから」だと勘違いし
つかうひとは
やたら「自信家」になりますが
その自信は「肯定」とは異なります……
「薄っぺらい」には
こんな裏があるときがある
この手のタイプに
穢はドーピングに似ていて
あるいは、違法薬物のような効果をもたらします
冷静になれたら
本心とのちがいや
己のちから(思考もふくむ)ではなこと
異様なことだと気がついて
避けたり、やめたりするのですが
気が付かないで
穢にのりあげ
穢をつかうひとは
本人がどんどん消えていきます
人へのむかつき、欲がうずまいており
それが「言葉をつくりあげる」
しかし「表向き」の美化(アピールや、保身、正当化)を
したがるところが、けっして消えないので
やたら「装いののっている」
「ことば」が多くなります
***
だいたい
人が怒ったり
いらだったり
嫌味におちたりするのは
穢があったりする
穢は
ストレスと似ているんだけど
ちがうところは
「怒りに弱い」ところで
怒ると、薄いものは消える……
:
穢で
怒ったり
いらいらしたり
むかついたり
嫌味におちたりしているわけで
それが、つまり
その人の性格とされてる
見えてないひとは
(霊を見てても見えん人はいるようだ)
自分の性格として
自分がただしいとして
怒ったり
なやんだり
にくんだり
いらいらしたり
している
:
つまり
それで、
人の気持ちの中には
「みえない穢への怒り(反応)」って
種類が、あるんだよ……
……★
すべての人が
みわけること
浄める事が
できる日が
ちかづいているから
そうしたら
もっと
いろんなことが
かわるんだろう
……★
穢は
胸に問えばきちんとわかる
区別がつく
穢を怒る人と
穢のムカつきや、欲望と
シンクロして
それを自前のちからや
思考力だと勘違いして
つかうひとは
明瞭な差異がある
「穢れ」を
見分ける目は「分別の目」だ
:
分別を
なおのことつけるのは
自分のためだ
ひとのためじゃない
やってはいけないこと
ひとをきずつけること、の
うらがわのちからは
穢がおおい
分別、が
つくときは
人により違うけれど
自分の足で
自分を担いたいなら
自分のために
もたなきゃならない
それは、
ちゃんと、穢にあおられないで
じまえで、磨かなきゃならない
自分の行為。言動の
その深層心理の
「善悪の区別」だ