2017-07-06

否と無下の違い



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否と無下の違い 


 


誰かを削りとるために


あたえられたものは


ひとつもありませんから


 


否と無下はまた全然違うことです


 


もっとも人を


命をきずつけることは


バカにすることではないし


否定することでもなく


奥底にある「消したい気持ち」でしょうね


 


バカにされても


なんかいいな、ってなったり


怒られても


否定されても


なんかいいな、ってなったりするのは


奥底に


「貴方をちゃんとみていたい」とか


「生きているのがいい」とか、


そんな肯定が


あるからかもしれません


 


無下(無視)がやどる言葉やたいどは


表向き何をあらわしていても


人を痛ませる


 


 ……


 


自分に嫌なことをするひと、いうひと


不快におもうことと


消したい気持ちは


べつもので


 


自分と、ちがうひと、を


消したい気持ちを


やどしながら生きると


辛い日々がかさなります


 


ちがうひと、しか


いませんから


 


……


 


誰かを痛ませるために


やどる力など


ひとつもありません


 


痛ませたい、は


力が云うのではないです


「消したい気持ち」がいうのです


それがエゴというのでしょうね


 


……


 


「くらべて自分は素晴らしい」と


よりかかるための


思想、ちからなら


しだいに


弱くなりますから


 


(一番になりたいまま


生きていると


そう、なったりしませんか)


 


なんにもなくても


胸を張っていけたらいい


 


……


 


必要なのは


救いでも、現実でもなくて


無価値でも


無意味でも


好きだと、叫ぶほど


いきれることでは


ないのかな


 


……


 


ひととくらべて


素晴らしくなるために


ひとを削りとるために


手にできるものは


ひとつもない


 


役に立つことしか残らない