2017-05-09

言葉と魂

言葉はたましいからだされたとき

ひとに響く

すべてそうなんだろう



……



目に見えないものは

目にみえない

当たり前だが



第三の目のようなところで

わたしは視ている

(感じて視覚化している)



ことばに変換しているけれど



そこでは

心と心のやりとりにすぎず

言葉はとくにない



なかには

話し合い(言葉と心のやり取り)で

かれらと交わすかたもいるけれど



私は会話のほうは難しい



かれらの名前も、

また存在も

なんとなく感じるものや

心の行き来で

なんとなく、わかるだけだ……



……



かれらは

すがたはないが

心という実態があり



また、《私》ではなく

どこまでも《他人》だ



……



他人は……私ではない《命》で



それをわすれると

彼らはわからなくなるだろう、と

おもう