2017-12-14

悟り2







尊敬も、崇拝も、信仰さえも


神様が
神様だから崇拝や信仰をうける、のではなくて
されていること、を
無意識に人が知覚して
信仰しはじめる、崇拝をいだく、と


前の記事で書きました


悟られた方も、おなじです


悟っているから、
崇拝、尊敬、信仰をうけるのではなくて


みえない界隈で、
きちんと、働かれている彼らの
その尽力を
(みえないけれど)
ひとが、うけとり


崇拝とか、尊敬、とかが
あらわれる


それは自然にわきたつものです
みえないけれど
現実があるから
現実で、自然に人を尊敬するように
自然に尊敬されている


……


悟られた方は
悟られたことは
「どうでも良い」らしく
言葉にされません


それよりも、働かれる
見えない界隈で
とにかく、つくされる


悟りが伝授にすぎない、から
さずかった力は、
見えないところでも
見える所でも
「尽力されるため」にあるから


……


ラベリングが先で
それがもつ
なにがしかの威光を
意識していたり


ラベリングにすがることにより
なにがしかの気持ちを
付随させている、なら


それは、ラベリングが立派なのであり
その方が、立派なのではない、と
私は思います


また、そのラベリング
その「名」の
真の姿を
みたことも、ふれたことも
ないのだろう、と
思うのです


……


立派な方は
立派だから、
思いを寄せられる


……


見えない界隈は、現実です


(世界への)お仕え事


現実のお仕事も
すごくできる方
みなをよく丁寧に思い、理解し
自分をうごかすかた
されることが
とても高く良い方が
現実に、かたわらにいたら
尊敬されるように


見えない界隈でも
そうなっている





Series:(noSeries)