2017-12-20

夜と闇の話……傷をなめあうもの&愛と腐臭(他2つ)



こんばんは
夜の時間の訪れです
みたくないほど
おぞましいもの
気色悪いものの
お話です

……

善悪の区別なんか
じゅうぶんつくでしょう
解決策は
見えているでしょう

知恵
おちつけば
湧いてきたりしませんか

誰かに言われて
与えられるものでしょうか

背中を押してほしい、とか
すこしだけ優しくされたい、とか
ただ単に、そんなていどの、
弱さに
つけこまれていませんか

……

☆まものの一部は傷を舐め啜るもの

冷静にふりかえり
考えてみれば

優しくされた、助けられた
アドバイスされた
わけではなくて

ハイエナのごとく
背負った傷にむらがられ

甘優しいことをいわれながら
血をすすりとられただけのようだった、とか
そんなことは
ありませんか

(お金とか
時間とか
エネルギーとか
経験とか

閃きとか)

まものは
獣と似ているところがあって
一部のまものは
そのまんま、ハイエナのようです

人間の経験は、貴重なものです(じつは)
そのとき現れる、
悩み、かんがえぬき、
解決をしていくとき、あらわれる

とても貴重な
経験からくる知恵、心理、閃き

それらは、そうしたものがありません

それらが、弱ったものをたぐりよせ
どうにか、すりよらせようとするのは
お金だけではなくて
苦悩の経験からくる知恵、
心理の育みを
搾取するためです

辛い経験をして
なんとか、かんとか
かんがえだした、知恵
たたきだした、解決策
閃いたこと
育まれたこころ

すすられていませんか

……

☆愛と腐臭

悪魔のアイ(に、にせたもの)が
天界のものとは異なることは
前も書きしるしました

それについて
もうすこし、詳しく話すと

悪魔のアイ、は
エネルギーをたどれば
悪魔の死体の腐臭になります

くさった肉の臭いと
少し似ているかもしれません

それは生暖かく
拒絶感をおぼえます
何か嫌な甘ったるさ

これをアイだと誤解するようになると
そうした「嫌な甘ったるさ」をふりまいて
優しい言葉をのべたり
愛や光を宣ったりするようになります

……しかし、これを
アイだと誤認した方は
「優しそう」はできても
思いやりがあらわれなくなります

奇妙な言動不一致、
見ていて違和感をおぼえる
でも指摘することが
うまくできないような
あいまいな、不一致

優しいことばの多様と
内心の思いやりの欠落……

そうして、悪魔の腐臭にひたりながら
その度が進めば、
人間のもつ愛や真心、思いやり
そうした光に「ムカつき」や「吐き気」を
もようすようになるようです……

(暴力性があらわれるのは
そうした腐臭中毒が
だいぶ進んでから、らしいです)

……

☆立ち止まること、冷静になること、落ち着くこと

魔物にとりこまれない対処法は
上の3つのようなことです……

人間には知恵があります
それは知識ではありません
経験からつちかわれる
魂のちからのようなものです

どこかでなにかが、麻痺している
そんなことにおちいったなら
たちどまって、周り(現実)を確認し
知恵を呼び覚ましてください

……

☆スピリチュアルトラップ、人間は理想的には出来ていないこと

スピリチュアルは
トラップだらけなのですが
そのひとつに
「支配欲の満たし」があります

じっさい、たぶん
天につながる方は
それをしていると
違和感が出てくると思うのです

「人に言いたい、」というのは
支配欲と。自我、
我欲から、あらわれます

たにんと、きちんと、
げんじつに、お互いを尊重しながら
仕事をしたり、生活をしたり
しているなら
わかることって、あって
ひとのいっときの精神状態って
状況が安定すると、かわるんですよ

「こういう精神の人はよくない」とは
人間とつきあってきたなら
はっきり、
現実にあてはまらない、
強烈なトラップで

「そんな精神は状況により
誰でもおちいる」からです

人間にとって、重要なことは
なってはいけない精神のこと、では
ありません

他人への思いやりと親愛が
自分自身のこころから
わくかどうか、に
すぎません


他人と、現実でつきあえば
わかるような
一見ただしい精神論、の
「間違い」が
スピリチュアルにはトラップとして
撒き散らされています

提供をする側であるなら、なおのこと

「現実の人間」をみつめ
「己のこころに
親愛や思いやりがあるか」を体感し
他人に向けている、向け続けている
「己の理想の精神論」は、捨てるほうが、
そんなことには
ひっかからないだろうな、と
思います

ひとの
すがたの、理想的でないことに
気が付き続けるより、

己の理想が、欲深いことに

気が付かないと、
現実の他人とつきあう日々で
「こういう精神がいいのに」ばかりになり
いつか、破綻する

「他人へ向ける目」が
自我であり(外側を向いているもの)
夢を覚える

理想というのは、
自分の夢、だからこそ、鏡となる

鏡に気が付かないほど
外(他人や現実)にばかり、
心(欲や理想)をむけていたら、
アカンですよね……

「こういう人がいいのに」とか
「(あの人が)こうすればいいのに」とか
「こうなればいいのに」とか
スピリチュアルじゃないですからねぇ……

スピリチュアルで
のたまわれていること
すべて、自分でしているなら
きっと、(どこかで)
気がつくことですが。
Series:(夜の話)