ななう

ゆき

初めてあった日も
雪が降っていて
それなのに月が出ていて
夜で、
奇麗だった
暗くて、暗くて、寒くて
君は手のひらに息を吹きかけながら、歩いていた
赤いマフラーが地にふわりと落ちて
「あ」と言ったら「あ」と微笑んでつぶやいて、
マフラーを拾った
その時の、楽しいことが起こったというような
小さな瞳が、好きに、なったんだ

ぽたん、ぽたんと点滴の水が落ちる
湯島が林檎をむく、しゃりしゃりした音
僕は天井を見上げながら、
今夜も寒くなりそうだ、と考えた
「また来てる」
外を見た湯島が、小さく笑ってつぶやいた、
顔を向けると
「七愛(ななう)がさ
孔一が入院してから、毎日来てるよ」
「信じらんない」
「うん、自分でも信じてないじゃない。
見舞いなんて顔してなくてさ、
散歩がたまたまこっちの道だったんです、って目で、
ここ見上げてる。
俺がみてること気づいてないね、あれ。目悪いから」
そういうと、湯島はカーテンをしゃーっとひいた
「おい、しめるなよ」
「なんで?寒いじゃないか」
「だって…七愛が」
「来たかったらこっちにくるだろ、いいよ」
「でも…」
「バカ、寝てろ」
起き上がろうとした僕を、湯島は片手でとめた
11月の終わり頃から、僕は入院している
急性盲腸とかで、朝、急になった。らしい。
気絶していたのでよくわからない。

湯島や、七愛に会ったのは、冬にはいってからだ

「さむいなぁ」
歩きながら手をさする
その動作がおかしいと、幼なじみのうるは笑った。
サークルに向かう道すがら。

マフラーを落とした七愛を好きになってから、
同じ大学内で彼を捜すようになっていた
七愛が「温泉サークル」というものに入っていると知ったのは、
9月27日のことだった。
その日は土曜日で、「温泉サークル同好者募集」と書かれた張り紙に
彼の顔が微笑んでいた。
そっと添えてあった「代表者:木川七愛(きがわ/ななう)」の文字に、
ドキドキして、震えるほど興奮した。
あれから4日目。
そのサークルに、宮園得(みやぞの/うる)が入っているとわかり
これほどうれしかったことはない。
気心の知れているうるは、僕がそんなサークルに入りたがることを疑問に思いながらも、
快く承知してくれて、案内役と紹介役をつとめてくれた。
サークルは古びた校舎の一角にある、こぢんまりした部室で、
週に一度、水曜日に会合が行われるらしい。
七愛に会えるのだと、僕はわくわくしていた。
前日から眠れないほど。

「こんにちわー」
部室に入ると、うるは誰でも心を許してしまいそうな、穏やかな笑みを浮かべて、
たった一人、部室の真ん中に立っている背の高い男に挨拶した
「こんにちわ、うるちゃん。
七愛、まだ来てないよ」
振り返ると、さらさらとした髪が整った顔をなぞって揺れた
それが湯島だった。

湯島葵(ゆしま/あおい)は、突然入ってきた僕を、
拒絶するのでもなく、歓迎するのでもなく、
不思議なほど自然に受け入れた
妙に落ち着いていて、
興奮している僕の早口な質問にも、ゆっくりと一つ一つ答えてくれた
今思うと、落ち着かせようとしてくれたのだろう
「土屋(つちや)君は、なんでこんな寂れたサークルに入ろうと思ったの?」
呼んでくる、と言って、七愛を探しにいったうるに手をふりながら、
湯島さん(その頃はさんづけで呼んでいたっけ)が聞いた
「あ…いえ、特に理由はないんですが…、うるも楽しそうだし」
「ふうん」
なんだか妙に透き通っていて、そのくせ深い色をたたえた瞳で
湯島さんは僕をじっとみた
ともすればすべてを見透かされそうな気がして、僕は慌ててしまった
「い、いや、別に、その、温泉大好きで!!」
「へえ」
「登別トトカルチェだとかっほら、白くて濁ってて!!」
「登別カルルスのこと?」
「あ、そ、それです」
「ふふ」
湯島さんは笑った。僕は真っ赤になって首を振る
「よ、よく分ってないけど」
「うん、俺もよく知らないよ」
「そ、そうなんですか?」
「温泉サークルって、名前ばっかりで。
冬に温泉行くぐらいが活動内容だから、研究している訳じゃないんだ」
「はあ、温かそうなサークルですね」
湯島さんは急に頭を下げた
「!?」
「ぶっははははっははははははは、あ、あったかそうって君、ははははははは」
何を笑われているのかわからないけど、とりあえず一緒に笑う
「へへへへ、そうですね、へへへへ」
「ごめん、くく、かわいいね、君」
「へ!?」
「あ、来たみたいだね」
湯島さんが顔をほころばせた
その視線を追うと、うると手をつないで、七愛がいた

***

いえ

ひと月もすると、僕もサークルにだいぶなれた
1回目の温泉旅行の後、
僕のうちにみながくることになった時のことだ
「ねー!!孔一、お茶入れてよ」
座り込んで話があったまった頃、七愛が唐突に声をあげた
「あ、わかった」
「七愛、図々しいぞ」
「いいじゃん。もてなしてよ、ね、孔一」
上目づかいに僕を見上げる
サークルに入ってから、僕はずっと七愛を見ていたと思う
七愛の表情一つ一つが、あんまりいきいきとしていて、かわいらしくて、
僕はもうずっとずっと夢中だった
「うん、なにがいい?コーヒーと紅茶があるけど」
「僕ココアがいー、ココアないの?」
「あ、じゃ、ちょっと買いにいくよ」
「そこまですることないよ、孔一」
「あ、僕も行こうかな」
うるが立ち上がりかける
それを手で制して、湯島が立ち上がった
「しゃーないな、七愛、おとなしくしてろよ」
「ええー湯島もいっちゃうの?」
「ああ」
「いいよ、湯島、ぼくひとりで」
「いいから」
なんだか湯島は怒っているみたいだった
とにかく僕らは外に出た

孔一たちが出て行った後、
七愛は物珍しげにあたりを見渡した
「だっさい部屋」
「なんてこと言うんだ、七愛」
「たんさーく」
「ちょっ七愛!!!」
七愛が孔一のベッドの下を覗き込んだ
「うわ、まじであるよ、あほだねあいつ」
「七愛!!やめろよ」
隠すようにおいてあった本をとって、
ベッドの上に放る
男性同士の絡みを描いたアダルト雑誌だった
「……!!!!」
うるが絶句する
「うわーーーーーーきもーーーーーー
なにこいつ、ホモなわけ?」
「七愛…!!だめだよ、もとにもどして」
「こう!?こうなってんのかな、ひええ、きしょ」
げらげら笑いながら、七愛が本の写真通りに、
うるを押し倒した
「ちょっ……七愛!!」
「こここうやって…、触ってんのかな」
「どこさわってっ七愛!!やめろよ!!」
「あいつ、ずっと俺のこと見てんの、すげー笑える
絶対俺でおなってるぜ
きしょいーーーーーーー」
たまらないようにけらけらとあざ笑う
うるが顔をしかめて、怒鳴った
「七愛!!人の趣味は人それぞれだろっ
僕の友達をそんな風に言うなっ」

その時孔一が入ってきた

見た瞬間、思考が停止した
目の隅っこで、湯島が息をのむのが見えた
七愛がうるを押し倒していて、
ベッドの上によく見た雑誌がのっている
七愛の手は、うるの下半身にのびている
「え…、あ…、」
よろっとよろめく
「そゆ…、こと?え…、」
一回手で顔をおおって、もう一度光景を見る
混乱しすぎて、自分で何を言っているかわからない
「七愛…、うると…、つきあってたの?」
「はああ?なにいってんの?ホモはあんただけでしょ」
混乱に上乗せされて、僕は青ざめるのを感じた
ホモ?え?
「きっしょいよねーこんな雑誌読んで
あとさー俺のことじっと見たりとかしないでくれない?
ほもってるのは結構ですけど、きもいんだよあんた」
「七愛!!!」
湯島が大きく口をあけた
すべてを聞く前に、僕は逃げ出した
何が起こっているのか、わからなかった
頭がくらくらした

「七愛!!!」湯島が叫ぶ
孔一がどたどたと走り去った
目の前が見えていないのか、あちらこちらにぶつかっていく
「孔一!!」それを湯島が追った
七愛は馬鹿にしたように見ていた
その首根っこをつかんで、うるが七愛をひきよせた

うるの手が振り下ろされるように持ち上がる
「あ?あんた俺のこと、ひっぱたく気?」
その目を見た時、うるは何かを悟りかけた
なぜ七愛が孔一を馬鹿にする行動をとるのか、
なぜ孔一は七愛を好きになったのか
七愛の目は、何も信じていないような、孤独な光を帯びていた
そのくせ泣きそうな顔になっていて、
例えばここでうるが七愛をたたいても、
彼はなんの驚きも感じないだろう、泣くかもしれないけれど。
七愛は、人を信じていないのかもしれない
上げた手をそろそろおろして、こぶしを作る
「孔一を馬鹿にするな」
「…、あんたもホモ仲間?なのかなーなーんて」
七愛がははは、と笑う
それをじっと睨みつけると、笑みをやめた
「わかってるよ…、言い過ぎた、後であやまる」
「うん」
うるはほっとした
二年近く、七愛とつきあっているとわかる
生意気な口調だけど、七愛は芯は悪いやつではない
七愛が悪いと思っているなら、孔一の傷も癒えるだろう
「それで?」
「え?」
七愛があぐらをかいた
のぞき込むように、うるを見る
「孔一が好きなの?」
「え」
とたんにうるは真っ赤になった
慌てて手を振る
「す、好きっていうか」
「すきなんだ」
真っ赤になっていたから、うるは気づかなかった
七愛の寂しそうな目の色に
「う、うん」
首を振って
「きしょいかな…」
「あんたはきしょくないよ」
七愛があーあ、と言って、倒れ込んだ
うるの足に顔をのせる
「なにやってんだよ」
「うるも大変だなぁ、あんなにぶそうな人にほれて」
「うぐぅ」
くるくるとうるは頭をまわした
真っ赤になっている
「あ、あやまりにいこうよ、七愛」
「はいはい、あーあ」

飛び出した後、闇雲に走って、走って、
いつの間にか公園についていた
未だ足を緩めず、ぜいぜいと息をつく、
七愛の声が耳を舞っている
涙がほほをつたっていた、
その肩を誰かがつかんだ
「孔一!!!」
「あっ!!!!」
振り返ると、湯島が真剣な顔でたっていた
「あっぐっ」
とたんに恥ずかしくなって、顔をそむけて、手でぬぐった
「な、んだよっ、からかいにきたのかよっ」
「違う!!!…、平気か?」
「平気じゃない!!うるさい!!」
「鼻水でてんぞ、かめ」
湯島がティッシュをくれる
僕はしゃっくりをすすりながら、それを一枚とった
「き、きしょいか、僕、きしょいか、やっぱり」
ずるずると座り込む
ち-んっと鼻をかむと、湯島がまた真剣な声で、つぶやいた
「きしょくないよ、だいたい俺だって、ホモだろ」
「え!!?」
僕は顔を上げた
嘘ではない証拠に、深い色の瞳が、じっと見ている
「ほ、ほんと」
「うん、本当、うちの大学、多いよ」
湯島が僕を覗き込む
そのまっすぐな視線に、僕はおたおたしてしまって、目を泳がせる
なにやってんだ、これじゃ、僕が嘘ついているみたいじゃないか
「七愛を狙うのはよせよ」
湯島がささやく
なんだか半端に甘いような声で
「そ、そんなこと、言われる筋合い、ない」
「あるよ、見てて痛々しいんだ、やめろよ」
「わかるもんかっ!!!」
僕は立ち上がった
かあっと顔に血がのぼるのがわかった
「こんだけ好きになっちゃったらっはいそうですかって
やめるなんてできないよ!!!
どうしたらいいんだよ!!!」
「…怒るなよ」
ふ、と湯島が笑った
「お前はかわいいから、すぐに次が見つかるよ」
「変なこと言うな!!」
「いや、本気で」
「ばかにするな!!!」
「ばかにしてたらどうだ?」
「本気で怒るぞ!!!」
「いいよ、怒れ」
「へ!?」
いいよ、なんて言われて、僕は戸惑う、
「そ、そんなこと言われても」
「どうした、怒れよ、なんなら俺でよければ殴ってもいいぞ」
「そんなことできないよ!!」
「じゃあものにあたるとか」
「やっちゃいけないんだぞ!!」
「そうだな」
がさがさ、と、湯島はビニール袋から、
かんいりのホットココアをとりだした
そういえば、これが目的だった
「飲めよ」
「でもこれ七愛の」
「また買えばいいさ」
ちょっとだけ躊躇しながら、僕はそれを手に取った
温かかった
いつまでも持っていて、もじもじしている僕の手の上から、
湯島がそれをあけようとする
「さっさとあけろよ」
「いいって!!いいよ!!!」
「のめって、命令だぞ」
「むーーーーー!!!」
もうやけになって、僕はそれをあけた
ぷしっと軽い音がする
ごくごくごくーっと一気に流し込む
ちょうど冷えていて、おいしかった
「落ち着いたか?」
湯島が妙に優しい瞳で聞いてくる
まったく
落ち着いたもあったもんじゃない
***

やど

あれから一週間経った、
僕は相変わらず七愛が好きで、
一度謝ってくれたものの、七愛は相変わらず僕が嫌いなようだった
そんな関係のまま、また温泉に行くことになった

「うわーひろーい」
うるが扉を開けたとたん、
白い湯気がわき出して、視界を覆った
実は僕は、七愛と温泉に入るたび、
七愛の素肌を見るたびに、きつい欲情を感じてしまうので、
一緒に入るのをさけていたのだが、
「たまにはみんなで入ろうよ」といううるの、
優しげな微笑み付きの言葉には逆らえなかった
見ないようにしているものの、ともすれば視線は七愛をとらえる
その度に僕はどきどきして、心音を押さえるのに必死だった
湯気に七愛が隠れた時、少しほっとして、よけいどきどきした
このサークルに入ったのは失敗だったかもしれない
「うる、走るなよ」
笑いながら、湯島が入っていく
湯気でよく見えないけれど、その後を七愛が続こうとして、ふと僕に振り向いた
「この間はごめんね、孔一」
「あ、い、いや、全然、全然」
僕は激しく首を振った、
うれしくてうれしくて、なんだか笑ってしまいそうだった
「孔一は僕のこと、好きなの?」
かあっと顔が真っ赤になったと思う、熱くなったから
「な、七愛が気色悪く思うなら…、やめるから」
慌てて僕は弁解した、
狂おしいぐらいに七愛が好きだった、
でもそんなこと、わかられちゃいけないんだ
「そ…、僕を抱きたいと思う?」
「!!!!」
僕は頭がぐちゃぐちゃになった
思う、と答えてしまいそうだった
「な、七愛が…きしょくわるいなら…」
もう自分で何を言っているのかわからない
手をぶんぶんと振り回している
きゅろっとした、何かを企んでいるような、疑問に思っているような
そのくせ何にも考えてなさそうな目の色で、七愛が首を傾げる
そのまま僕に近づいて

あ、と思う間もなく、
唇を重ねられた

すぐに離れたけれど、
僕にはそれで十分だった

「さ、入ろう」
七愛がにこやかに笑ってとを開けた

湯島が振り返ると、七愛が入ってくるところだった
その顔はひどいいたずらをして、うまくいった時のように
歪んだ笑みに輝いている
不信に思って、もっと奥を見ると、孔一がしゃがみこんでいた
「孔一!!」
湯島が走って彼に近づく
通り過ぎるとき、七愛が鮮やかに微笑んだ
うるも何事かと振り返る
よく見ると孔一は片手を顔にあて、
片手で下半身を押さえていた
「孔一、どうした?」
湯島が視線の高さを合わせて、顔を覗き込む
真っ赤になった孔一が泣きそうな目で湯島を見た、
手の隙間から血がたらたらと流れ落ちている
湯島はさっと青ざめた
「孔一!!!どうした!!!血が…」
「は、はなぢらから、ち、ちがう、ちかづからいれ」
ぶるぶると孔一が震える
「ろうしよ…ろうしよ」
「孔一、どうしたんだ?鼻血って、のぼせたのか?」
「ちかづからいっれ!!!」
「孔一?」
「やーだ、孔一、感じちゃったの!!?」
七愛がけたたましく笑った
瞬間に悟った、七愛がなにかしたのだ
「七愛、何をしたんだ!!孔一、上を向け
血、止めないと」
「さわららいれっ」
「キスしてぐらいでさ、ほんと、変態だね、あんた」
「七愛!!!」
後ろから、うるの叫び声のような叱咤が飛んだ
うるがお湯からあがって駆け寄ろうとする
「孔一、とりあえず、あっちに行こう、ここだと人が来るからな」
急に病気になったのかと、痛いほど不安になっていた湯島は、
原因と状態がわかって、怒りながらもほっとしていた
孔一の体に手をいれて、抱き起こす
びくん、と孔一の体がはねる
「落ち着いて…、孔一、大丈夫だから」
「ゆひま…やめれ」
「違う場所に行くだけだ」
「ひっ」
揺れるのか、孔一がひくつく、
湯島は自分自身の感情を抑えるのに必死になった
奥に連れて行って、そっと下ろすと、
孔一の鼻血は止まったらしい、ただ顔が真っ赤で、ほほに涙がつたっている
「鼻血、ふこうな」
ぬれたタオルで、顔を拭くと、孔一はいやいやをするように、顔をふった
「どうしよ…ぼく、ぼくまだ…」
「…」
湯島はそっと孔一のそれに手をあわせた
孔一が驚いたように湯島を見る、
「一回、やったほうがいい…いやか?」
「あ…ら、らめ、あ」
答えを聞く前に、湯島はそれをしごいていた
しぼるように何度も往復させる
「………!!!!!」
孔一が抵抗するように、湯島の手を触った
だけども、その手には少しも力が入っておらず、
湯島の感情を揺さぶるだけだった
「孔一、俺しかいないから」
「…………っん………」
「孔一」
「……………っ!!うっ!!!」
急に孔一の動きが止まった
どくっどくっと、それから液体が飛び散る
「は…はひ…は…」
すべてを絞り出すように
湯島が手を動かす
「は…七愛…はっ…七愛」
「孔一」
湯島は切なくなった
こんな目にあっても、孔一は七愛が好きなのか
やっと出し尽くすと、孔一はぼおっと壁に寄りかかって
視線を宙に浮かせた
後始末を終えた湯島が、孔一の服を持ってくる
「着替えたほうがいい、孔一
もう入る気しないだろ」
ぼんやり、それを孔一が受け取る
「着替えさせてほしい?」
湯島が微笑んで聞いた、
ぶんぶんと顔を振る
無言で孔一は着替え始めた
それを見届けて、湯島も自分の浴衣に着替える

走っていったうるが、なんだか肩を落として戻ってきたのを見て、七愛は笑った
何もかも馬鹿らしかった
特にうるは馬鹿者だ、と思った
「おかえりーうる、なに?孔一たち、やっちゃってた?」
「…!!」
無言になったうるが、風呂からあがるための片付けを始める
「もう少しここにいた方がいいんじゃないの?
部屋に戻ったら、あいつらいちゃいちゃしていたりして」
七愛がニヤニヤ笑う
「…ドライヤーんとこにいるから、いいよ」
うるが不機嫌に言って、タオルを持って、浴室から出て行った
浴室には七愛ひとりだけになった
七愛はじっと、うるの去った後を見て、それからお湯を見た
貧弱な自分の体が歪んで見える
あれ、と思ったら、泣いていた
七愛は涙が嫌いだ、なくやつは馬鹿だと思っている
すぐにぬぐって、鼻をすん、とならした
うるは馬鹿者だ

部屋に帰ると、布団がしいてあった
もうそんな時間だったっけ、
そういえば夕飯を食べ終わってから、直接湯殿にいったのだった
僕は霧がかっているようにぼおっとしながら、
布団の中に潜り込んだ
その横に、湯島が寝転ぶ
「なんだよ」
「なんでもないよ」
思えば湯島も変なやつだ、
あんなこと、するか、普通。僕が悪いのだけど、なんだか素直にありがとうとはいえなかった
「気持ち悪くないのか…」
「なにが」
「あんなとこ、触って」
「気持ち悪くないよ」
湯島が笑った
「気にすることない、よくあることだ」
湯島は穏やかな、だけどきっぱりした口調で、そう言った
だから、僕もやめることができた
なんだか泣きたくなって、布団をかぶって顔を隠した
湯島が僕を見ているのがわかった
なんで湯島はこんなに優しいんだろう
なんで七愛はあんなにいじわるなんだろう
なんでうるはあんなに穏やかなんだろう
なんだか何もかもどうしようもない気持ちになった
ゆっくりまぶたが垂れ下がる
暗い景色が真っ暗になる
いいや、寝てしまえ、寝てしまえ

数十分後。
規則正しい吐息をつきだしたのを見て、
湯島は孔一の布団を少しめくった
あどけない顔で孔一が寝ている
「……」
そっと唇を近づける
七愛を許せないのは、自分がこういう気持ちでいるからだ、と、湯島はわかっていた
七愛が誰を愛しているのか、とか
うるは誰が好きなのか、とか
みんな微妙にすれ違っていて、わかっていないのだろう
さて。
孔一のほほや、唇のぬくもりを感じながら、
湯島は考える
どうするのが一番いいのかな
孔一が俺を好きになってくれれば一番いいんだが
そのために俺が、孔一を誘惑する?
湯島は苦笑いを浮かべた
かすかに瞳がたゆんでいる
今の状態では、それはきっと無理だろう

かたん、たん
必要以上に音を立てて、うるが入ってきた
1時間後、
うるの体は冷えきって、寒かった
七愛があがってきたのを見て、自分が長いことそこにいたのを知った
一緒にかえるのはいやだったけど、
何事もなかったように七愛がはしゃぐから、
なんだかうるは責めることも怒ることもできなかった
「うる、風邪引かないでよー」
部屋に入りながら、七愛が無邪気に笑う
「七愛、あやまれよ」
うるが真剣な瞳で、七愛にいう
「ひどすぎるよ」
「……、キスしただけじゃん」
「だけじゃんって…!!」
「しぃっ」
部屋から出てきた湯島が微笑みながら人差し指を口にあててきた
「孔一、寝ちゃったから」
「げろげろ、そういや一緒に寝るんだった、
襲われないかなー俺」
けたけた笑いながら、傍若無人に、七愛が部屋に入っていく
「……七愛」
責めるように、うるがその後を追う
「……」
湯島はそっとため息をついた
まったく、強情なやつだ
***

きょうしつ


授業の終わった教室
人はまばらに出て行った
もううるしか、ここにはいない

窓の外には薄暗い景色が広がっていた
都会とは呼べない場所にあるから、
明かりがぽつり、ぽつりとしかない
教室は暖かいけど、外はきっとさむい

うるはぼんやりとその景色を眺めていた
お温泉に行ったのが、先々週だったから、
もう二週間も、誰にも会ってないことになる
七愛にも、孔一にも。なんだか会いたくなくて、
うるはサークルに行くのを控えていた

「うーる」
そんなうるに突然話しかけてきたのは七愛だった
驚いて、体を引く
図々しく、七愛はうるの隣に座った
いつの間にここに入ってきたのか
「なっんっ…なんだよ」
「サークルの会長として。
うる、このごろサークル来てないだろ、
だめだよー、ちょうど今日会合があるし、一緒に行こう」
「…!!やめろよ!!」
「なんだよ、うる、まだ怒ってんの?
俺らもう仲直りしたよー、
孔一が謝ったから」
「こういちが、あやまったの…?」
うるが目をむく
「うん、あんなことしてごめんって、おっかしいよね、あいつ」
なんだか寂しそうに、七愛は笑った
「行こうよ、うる、一緒にまた温泉行こう」
「……こういちが」
「うる」
「こういち…」
考え込んだうるを、七愛はじっと見ていた
急にかっと頭に血が上った
気づいたら、うるを押し倒していた
机にうるの頭がのっている
「なにすっちょっ七愛!!」
「こういち、こういちって、そんなにあいつが好きかよ!!!」
無理矢理七愛が、うるに口づけをする
うるが驚いて、なすがままになる
「はっ……は」
「……ななう?」
「うる…俺んこと見てよ…、
俺のほうが、おまえのこと」
七愛は荒い息をつきながら、うるのワイシャツに手をいれた
それではっと目が覚めた
うるが抵抗をしだす
「やめろっ七愛、何考えてんだっ」
「うる、なぁ、うる、俺と、俺と一緒に」
「七愛、やめろっこらっ」
「うる、うる」
七愛がうるの首筋に接吻した
次の瞬間、何が起こったか七愛は理解できなかった
腹ににぶい衝撃が来て、
気がついたら、机の合間に倒れていた
うるが上の方から真っ赤な顔をして、ぜいぜいと七愛を見ている
腹が妙にずきずきした
「そ、そういうのやめろよな!!
君はからかってるつもりでも…!!」
その後は言葉が続かない
絶句して、うるはばっと荷物をとって
大股に出て行った
腹が痛かった
殴られたみたいに
手で押さえながら、七愛はじっとうるが去った後を見ていた
ぴしゃんという、戸を閉める音も聞こえた
うるは出て行った
七愛は呆然としていた

七愛がうるを呼んでくる、と行ったままいつまでも戻ってこないので、
教室に迎えにいった
途中でうるが顔を真っ赤にして歩いてきて、
自分に気づかないで去っていったので
ああ、失敗したんだな、とわかった

湯島が教室に入ると、嗚咽が聞こえた
すぐにわかった、七愛だ
声のそばによると、果たして妙に明るい教室で、七愛は泣きじゃくっていた
「七愛…」
自分も悲しくなって、しゃがみこんで顔を見ると
七愛は目をおさえて、ぶんぶんと顔を振った
「お前も不器用だよな」
どうすることもできなくて、湯島は悲しい顔をしながら、
七愛のそばに座った
「う、うるがっ……」
「うん」
「すきになってっくれないっうるがっ…」
「うんうん」
「おれのがっすきなのにっどしてっ…」
「七愛が孔一をからかうからだよ」
「だってっ孔一きらいっ……」
「それは七愛がうるを好きだからだろ」
「いやっ…うるがっ」
いやいやと七愛が首を振る
湯島は七愛が落ち着くまで、
ずっとそばにいた
七愛はずっとずっと泣いていた
外が暗くなるまで
もっと暗くなるまで
ずっと泣いていた
***

でんしゃ


うると電話でしゃべった翌日、
あの日、うるを探しにいくと言って、七愛が去って、
湯島が去って、誰も帰ってこなかった日。
夜、7時まで待って、帰ったらうるが電話をしてきたのだ
久しぶりにうるの声を聞いた
うるは、他愛もない、今日は天気だったとか、
有名なメガネザルの先生が面白かったとか、
世間話を2時間もした後、
七愛と仲良くやってるの?と聞いた
僕は寝不足の目をしばしばさせながら、電車に乗った
今日、うると会う約束をしたので、休むわけにはいかなかった
電車の中に、湯島と七愛がいるのが見えた
すごく混んでいたから、合図する暇もなかったけれど

しばらく窓の外を見ながら揺れていた
最初はやけに体をくっつけてくるな、と思った
ゆれるせいかと思ったのだが、
そこを触られたときはっきり痴漢だとわかった

必死に抵抗した
目の端で、湯島がこっちを見るのがわかった
七愛がにやにやしている
痴漢はパンツの中に手を突っ込んで、
もてあそびだした
激しい動きに、嫌悪感と快楽がわき上がってくる
ひどくいやだった
湯島が怒りのような顔をして、なんとかこっちにこようとしている
七愛は笑いながらこっちを見ている

15分して、駅に着いた
車内から吐き出されたとたん、痴漢を見失ったけど
それどころじゃなかった
気分が悪くて、しゃがみこむ
「おたのしみだったじゃん、孔一」
七愛が近づいてきた
「大丈夫か!!?」
湯島が青ざめた顔で近づいてくる
「孔一」
「……気持ち悪い…」
「孔一、」
湯島が背中をさする
「平気か?」
「楽しかったでしょう、ホモなんだから、よかったね、いい目に会って」
「七愛!!」
湯島が叱咤する
信じられない、という顔をしているに違いない、
七愛を見上げていたら、目が回ってきた

え、そんな、
七愛が

七愛があいつをそういう風にしむけたんですか

僕そんなに嫌われてるんですか

そんなに

闇の中で、何か妙なことをずっと考えていた
おなかがずきずきした
ふと、起きたら病院だった


そして話は出だしに戻る

「はい、林檎」
湯島がむいたばかりの林檎をくれる
「うるが、2時頃にくるって」
「へぇ……うるも、七愛に気づいているのかな」
「気づいているよ、俺が言ったから」
「へぇ」
「びっくりしてたね、孔一より」
「ふうん」
しゃくしゃくと林檎は甘酸っぱい
少し寝ようと思った
そう言ったら、湯島が笑った
僕は変なことを言うようだけど、この笑顔が結構好きだ
「湯島、何時までいる?」
「おまえがいいなら、今日は一日いるつもりだよ、
大学休みだし」
「ああ、そうだっけ」
「うん」
言いながら、電気を消してくれる
「お休み」
「む」
「七愛はお前が好きなんだよ、うる」
「……でも」

夢うつつの中で、声を聞いている
この声は、うると湯島の声だ

「おまえがふったあと、泣いてたぜ」
「……」
「孔一につらくあたるのだって、お前のせいだろ」
「そう…」

「七愛を許してやれよ」
「……」

僕は夢を見ているのかもしれない
暗い中で、ゆっくりけだるい重さに支配されながら、
暖かさを感じている
その中で、ぼんやりと、うるが七愛を許したらいいな、と思った
***

またまたきょうしつ


部室に入ると、うるがいた
「おはよう」
と言って、はにかんで笑った
それだけで、すごくうれしかった
涙がにじむほど
七愛は涙を見せないように、背を向けて、コートを脱いだ
しばらく沈黙
だけど気まずい訳じゃない
お互い、何を言っていいのか、わからない沈黙
「うる…」
「七愛、あの」
「うる、あのね」
七愛がうるの隣に座る
言いたいことがあった、どきどきした
胸がつぶれそうだった
「俺、孔一と仲良くするよ」
「七愛、でも無理に」
「違うの、あのね、俺、俺、孔一そんな嫌いじゃないんだ、
えっとね、あの、仲良くするから、その、うる、その」
どきどきして手がふるえる
もっと怒るだろうか
それとも許してくれるだろうか
「うる…キス…して」
「……」
「あ、あの、はは、そういう意味じゃなくて、
あの、孔一とさ、ほら、仲良くするから、そう、取引だよ、取引」
「七愛は、それでいいの?」
溶けそうな目の色で、うるがそう言った
七愛は狂おしいほど、どきどきしていた
今すぐうるを抱きしめたかった
抱きしめて今までごめんなさい、と言いたかった
「うん…うるが、キスしてくれたら…それでいい」
「……七愛」
「してくれる?だめ?」
七愛が首をかしげる
たまらなかった
うるがうなづく前に、七愛はうるをひきよせていた
目を見ると、うるはなんだか泣きそうな顔をしていた
あ、だめなんだ、と思った
だけど止まらなかった
うるの唇に、自分の唇を重ねる
ゆっくり動かすと
うるがぴくってする
すぐに離れた
うるに嫌われたくなかった、
「ご、ごめん」
唇に余韻が残っている
「はあ、ごめん」
涙がじわじわにじみ出た
声が震えた
「ごめん、なんか、はは、すっげうれしい、俺、はは、
なんか今うれしい」
「……」
「うるが、うるがさ、あの、初めて俺見たとき、
微笑んでくれて、それで、俺、あの時から」
「……」
「今日、孔一退院だろ、な、よ、よかったら、
うる、一緒に行かないか
俺、孔一と仲良くするし」
「……」
「うる、怒った……?」
「んーん……、びっくりしただけ」
「そ、そうよかった」
ほーっと七愛は顔をにじませた
「七愛でも、そんなに素直になるんだなーって」
「俺はいつでも素直だよ」
「そうかな」
「うん」
無邪気に七愛は笑う
うるに話しかけられることが、うれしくてたまらないのだろう
うるはなんだか、心に甘酸っぱいものがわき上がるのを感じた
なんだかそれで、自分に戸惑ってしまった

それがなんて言う感情なのか、わからないまま、
うるは七愛を促した
「行こうか、迎えにいくんだったら、そろそろ行かないと」
「うん」
七愛は元気よくうなづいた
***

よるのみち


もうすぐ12時を回ろうとしている
明日はクリスマスだ
クリスマスが過ぎたら、またどこかに行こうか、と話しながら、
たったいま、うると湯島が、道を別れた
このごろ妙に優しい、七愛とふたりきりになる
不意にどきどきした、
そのくせ、妙に落ち着いていて、何を言うべきか、
何をするべきか、まるで星が巡るように、はっきりわかった

「寒いねー、本当に冬になっちゃった」
変なことを言いながら、はーっと手のひらに息を吹きかける
まるで、出会った頃のように
赤い手袋に、白いと息が絡んで消えた
凍るような月が出ていた
「七愛」
「うん?」
無邪気な瞳で七愛がこっちを見る
上目遣いのその顔が大好きだった
「おれ、七愛のことが好きです」
ぽかん、と七愛が口を開ける
「それぐらい知ってるけど」
「つきあってください」
「そうくるわけか」
くすくすと、七愛が笑った
「教えて上げる、あんたが好きなのは俺じゃないよ」
「へ?」
意外なことを言われて、こんどはこっちがぽかんとした
こんなにずっと七愛を見ていたのに、
なぜ僕が好きなのが、七愛でなくなってしまうのだろう
「っていうか、あんたと俺がつきあっても、長続きしないって」
「そうかな」
七愛がてくてくと歩くので
仕方なく僕もてくてくと歩く
「うん、俺、本気で好きにならないと、いじめちゃうから」
「あーわかるなぁ」
さんざんいじめてあげたものね、と言って七愛は笑った
「もうちょっと冷静になって、よく考えてみろよ、誰が好きなのかとかさ」
「七愛じゃないのかなー」
「ななうじゃないねー」
くすくす笑うので、
失恋した、という実感がわかなかった
空の月を眺めて歩いた
七愛のアパートは、僕のアパートと方向は同じだけど、僕の方が遠い。
「む、じゃあよく考えてみる」
七愛がアパートの門に入りながら、笑った
「明日までの宿題にしておく?」
「うん」
風がぴゅーーーーっと吹いた
七愛の髪の毛が、巻き上がって揺れる
熱かったほほが、冷たさで心地よい
「お休み」
「お休み」
なんだか、僕は満足していた
「あ、そうだ」
行きかけた七愛が振り返る
「今度さ、湯島とやってるとこ見せてよ、俺そゆうの見たことないから」
「やってるって…ゲーム?」
「バカ、違うよ、セックス」
「せっ……」
僕は絶句した
何を勘違いしているんだ、七愛は
「俺もそゆう知識を深めておかないと。
いつどうゆうことがあるかわからないし」
「ば、ばかいってんな!!そんなことしないよ!!」
「どうしてさ、あんたんちにあった本にいっぱい描いてあったじゃないか」
「どわっ!!!」
顔に血が上る
きっと湯気まで出てるに違いない
「それはこれ!!これはそれ!!!」
「あっはっは、慌てちゃって、かっわいーの、ばかだねー
うそ、ジョーダン」
「いっていいこととわるいことがっ」
「そのかわり、ソユウ本、今度見せてね、
買ってもいいんだけど、どれがいいのかわからなくて」
「あのな、七愛、あのな」
「んじゃねーばいばいー」
実にかわいらしい笑顔で、七愛は手を振った
何にも言えなくなってしまった
こいつは悪魔だと思う、ちきしょう
***

くりすます


うるの手が、背中をいききしている
温かくて、涙が出そうになる
うるはいつも七愛を泣かせる
うるがどう思っているのか、七愛にはわからないけれど
キスからはなれて、うるが七愛をじっと見た
その時の、煙ったひとときが好きだった
何の物音もしない、ぬくもりだけしかそこにはない
乾いた感触が好きだった
「うる、ほんとはいや?」
うるの首筋にもたれかかりながら、七愛が聞いた
「……」
うるが微笑む
うるの心音を聞いている七愛には見えなかったけれど
「取引、やめにしたい?」
「七愛はどうしたい?」
卑怯だなぁ、と思いつつも、聞かずにいられない
実際昨日今日の感情ではなく、もうずっと、七愛がかわいくてしょうがないのだ
なんだか悔しいから、言わないだけで
「ぜーったいやめない」
ぷうっとほほをふくらませた七愛を、ひとさしゆびでつつく
「七愛は僕でいいの?」
「なに言ってんの、おまえじゃなきゃすっごいやだよ」
すっごいに力をいれて、七愛が叫んだ
「うん、僕も、七愛じゃなきゃ」
言いかけて、え?っていう顔で、なんともうれしそうな顔で、七愛がこっちを見るから
最後まで言えない
そのかわりもういっぺん、唇をつけた
七愛がおとなしく応じる
なんでこんなに好きになっちゃったんだろ
うるは心地よい温かさの中で、ぼんやり考えた
もう誰にも七愛を、孔一にも、湯島にも、渡したくはなかった
孔一に優しくする代わりに、という取引だけど、
そんなこと、おじゃんにしちゃいたかった
七愛が悲しそうな顔で、うるに口づけたとき、
その冷えた唇を知ったとき、
あれから好きになったのかもしれない
自分でも早急な心のかわりようがおかしかった

その様子を見ていた男がひとり、
部室の外のドアをずるずるとしゃがみ込んだ
「まじかよ」
くしゅんっと孔一はくしゃみした
「まじかよーーー」
頭を抱えてうずくまる
「ううん」
「孔一」
不意に声をかけられた
首をめぐらせると、湯島が立っていた
「どうした?変なもんみちゃったか?」
「あー今、部室入らない方がよいよ」
「あいつら、仲良くなったのか」
くすくすと湯島は笑った
「そしたら肉まんでもかって、庭で時間つぶすか?」
「お、いいな、肉まん」
落ち込んでいてもしょうがない
ぱん、ぱんとほほをたたいて、孔一は立ち上がった
「行こうか!湯島!!」
「うん」

庭に出ると、少し寒かった
通り雨がさっき降ったらしい、
地面がぬれていて、夕暮れの赤い景色の中、
人々がまばらにそこに靴跡を残しながら歩いている
ベンチを拭いて、座り、かってきた肉まんをほうばる
「あちょ」
「気をつけろ、やけどするぞ」
「うまいなー」
もまもまと食べる
湯島は自分の肉まんに口も付けず、僕の顔をじっと見ていた
「なんかおかしい?」
「ほほについてる」
「あ」
拭おうとするよりも早く、湯島が接吻してきた
ほほにだけど、たいそう驚いた
湯島の舌がぺろりとなめて、離れた
そのまま、何事もなかったように、手のひらの肉まんを、一口食いちぎる
「……」
僕はなんだかどうしていいんだかわからず、手でそこをちょっと押さえて、
また肉まんをほうばりだした
冷静に装ってみたけれど、実際はすごくどきどきしていた
すごくすごく

夕暮れの景色は奇妙なほど、雲が流れていた
灰色の暗い色合いに、ピンク色の色彩がうつり、
不思議な雰囲気になっている

「七愛がね」
「うん」
もう一口、湯島が肉まんを食べる
その動きになんだか目が吸い寄せられる
「僕と、湯島の、その、そういうの見たいんだって、
でも冗談なんだって」
いけないいけない、何を言っているのかわからない
かなり動揺しているぞ、この僕は
「ああ、セックス?」
「せっ……」
なんだってこのサークルの人は、そういうことを平気で口にするのか
ほほが染まるのがわかる
湯島がにこにこしながら僕を見ている
くそー
「孔一は、まだ七愛が好き?」
「考えろって言われた」
「考えろ?」
「七愛に昨日告白したんだけど」
手を暖めていく肉まんをしみじみ見ながら
「好きな人は七愛じゃないって」
「そう言われたんだ」
「うん」
くすくすと湯島は笑った
何かをとても愛しむように
「それで、考えたの?」
「考えたよ」
「誰が好きかわかった?」
ぱっと、湯島の顔が浮かんで消えた
隣にいるのに、おかしいな
昨日の夜もこうだった、考えようとすると、湯島の声や、顔が浮かぶんだ
おかしいな
「わかんなかった」
「そうか、俺じゃだめ?」
さらりと湯島が言った
ぎょっとして僕は固まってしまう
湯島が優しくもういっぺん言う
「俺、孔一のことがすごい好きなんだけど」
すごい好きなんだけど。
すごい好きなんだけど。
唇がひくひくする。笑いそうだ、にやけそうだ、どうしよう
「ううん」
「難しいかな」
「ううう」
「キスしたらわかるかもよ」
湯島が笑う
そう言えばこの顔が、すごく好きだっけ、
思い当たってまた真っ赤になった
ほほが熱い。風が気持ちいい
「なんでキス」
「嫌いな人だったらいやじゃん」
「そうか」
「うん」
「じゃ、じゃあ」
目をぎゅっとつぶると、湯島が吐息をつくように、笑ったのがわかった
そのまま、柔らかい感触が、唇にあたった
湯島のぬくもりがわかる
「~~~」
「…………」
気がついたら、肉まんを握りつぶしていた
湯島が離れて、僕に笑いかけた
うーくそ
「どうだった?」
湯島が聞く
わかってるくせに、くそ、きたないぞ
「おしえてあげない」
「あ、ひどいんだ」
「だめ」
つぶれた肉まんを無理矢理口につめる
けほっけほと咳き込むと、湯島が背中をさすってくれた
「僕、すごいにぶかったかも」
「うん?」
「全然わかんなかった」
こんなに好きだったんだなって言いそうになって、
慌てて口を閉じる
「こんなにすかれてることに?」
湯島はまた柔らかい笑みを浮かべてる
ええい、そういうことにしてしまえ
湯島は、僕の手を自分のひざにおいて、
上から手をかぶせた
温かかった
湯島が空を見上げるから
僕もつられてみる

一番星が輝いていた
そう言えば今日はクリスマスだ
***

【番外編】バレンタイン

柔らかな風が吹いてる
もうすぐ、春が来そうな
そんな予感で満ちあふれている日

湯島葵とつきあいだしてから、2ヶ月ちょっと
冬はどんどん寒くなり、吐息は白く色づいた。
僕はきらびやかに着飾る町を学校に向かって歩きながら、
ぼんやりと葵のことを考えている。
葵の背中や、深く僕の手を包み込む、
その温かな手のひらや、
優しく笑った時に、片方にえくぼができるその顔や
あいつのことを考えると、気がつくとにやにや笑ってて、
なんだかこのごろ変なんだ。

そんな風にぼんやりしながら、
ふっと顔を上げたら、
「バレンタイン」という文字が飛び込んで来た
びっくりしてよくよく見ると、
チョコレート屋の垂れ幕だ。
赤と白で、綺麗に彩られている
「バレンタインチョコレート」
「愛を込めて」
にぎやかな文字が踊って、
ウィンドウを覗き込むと、
おいしそうなトリュフ型のチョコレートがいっぱい積んであった

(あおい……チョコ好きかな)
なんだか心臓がどきどき言った
買っちゃおうかな、でも嫌いだったらどうしよう
悩んでいたら、僕の手をそっと包む、温かいものが隣に立った
「チョコ好きなの?」
葵だった
僕の湿った右手を穏やかな扱いでポケットに入れる
あまりの自然な行動に、僕は逆らえない。いつもそうなんだ。
あおいのポッケは、冬の中で凍えた指をゆっくり暖める。
「そういえばバレンタインだね」
柔らかい笑顔で言う
「う、うん、
いきなり立つなよ……」
どきまぎして、うまく答えられない
葵はチョコ、好き?
聞きたいのはその一言なのに
「買ってあげようか?」
微笑みながら、葵が聞いた
僕はもうどうしていいか分かんなくて
葵の手ごと、右手を引きずり出して
ぶんぶん、ぶんぶん、ぶんぶん、振った
「なんだよぉ」
可愛いものでも見るような目つきで葵がくすくす笑う
その手がぎゅうっと握りしめられて、
もう、こんちくしょう、どうしよう
顔、きっと真っ赤になってる
「僕が買うの!」
「……」
葵は愛しそうな、眉と目が下がった、
なんとも言えない優しい顔の、
微笑みを浮かべながらながら僕をじっと見た
「な、なんだよ」
もう、もう。
この顔が僕は一番苦手だ
本当にどうしていいか分からない、恥ずかしい。
「すりすりーーーーー!!!」
「わあっ」
いきなり葵は僕を抱きしめて、ほおずりしだした
「すりっすりっ」
「や、やめて!やめて!!!」
「可愛い……孔一」
あ、と思った瞬間、口づけされていた
唇を重ね合わせられて、
ゆっくり舌で舌を転がされる
「……ん」
「…………」
「……」
僕は焦った。
キスは好きだけれど、こんな、往来で。
「好きだよ」
やっと放してくれたと思ったら、真剣な顔でそんなことを言う。
本当にもう。なんとかして。

バレンタインにごはん♪おいしいごはん♪
と歌いながら、葵が玄関を開けた。
葵の家はこざっぱりとした、6階建てのマンションの一室。
505号室、シンプルな、余分なものが何も無い部屋で、
本がやけにあるのが特徴。
チョコレートを買って、
(僕はトリュフのチョコセットを、
葵もこそこそなにかを買っていた)
じゃあ、学校に行こうとしたら
「バレンタインだから、うちにこない?」と葵が言った
なんでも、料理の用意がしてあって、
「僕」と食べるのをたのしみにしているんだそうだ
そんなこと言われちゃ、断れない。
「あおいは、料理好きだよね」
お邪魔します、とあがりながら、靴を脱ぐ。
この二ヶ月の間に、何度も葵の手料理をごちそうになった。
何かのこつを知っているのか、
見るからにつばがわく、大変おいしい料理だ。
実はちょっとばかり、楽しみにしていて、誘われると大変嬉しい。
「趣味が料理だからね。
面白いんだ。でもすぐ飽きるかもしれない」
「そうなの?」
「俺いつもそんな感じだよ。
自分が満足するまでやっちゃうと、飽きちゃうんだ」
「それちょっと怖いな……」
「……なんで?」
「葵……だって僕に満足したら……」
じっと葵が、あの柔らかな微笑みで僕を見た。
困ってしまう。
「もう、ずっとずっと、手に入れたときから、
ずっと満足してるよ」
「じゃ、じゃあ」
怖くなって顔を上げる
その両ほほを、葵が両手ではさんだ。
吐息がかかるぐらい、顔が近くになる
「好きだよ、大好きだよ、孔一。
絶対放したくない……
孔一が嫌わない限り……放さないよ」
「おれ、嫌ったりしないよ!!!!」
なんか泣きたくなって、じんわりめじりが滲んだ。
そのめじりにそって、葵が舌をはわせた
温かくて、ぽろぽろ涙がこぼれた
「孔一、可哀想……
泣かないで」
「あ、葵がいじめるううう」
「あはは、いじめてなんかないよう」
くすくす笑いながら、葵は僕を抱きしめた。
ぽんぽん、と背中をたたく。
「可愛い孔一……大好きだよ」
そのままふたりでじっとしていた
あおいと溶け合えたらいいのに。
混じり合って、一つになったら安心するのに。
そんなことを考えていた。

葵の今日の料理はロールキャベツと豚肉とエビと豆腐の「鍋」だった
葵の料理はそんな感じで、いつもちょびっと個性的だ。
ハフハフ言いながら、食べ終わって、はーっとため息をつくと、
葵が片付けをしながら笑った
「すっごくおいしそうに食べるから、食べさせがいがあるなぁ」
「すっごくおいしいもん。あ、手伝うよ。
僕太っちゃうよね、きっと」
「ありがとう。
太っても可愛いよね、きっと」
「……」
なんだか何も言えなくなって、ほほが赤くなった。
かちゃかちゃとお皿を下げる。
葵がお湯をだしたので、
一緒に皿を洗った。
僕は皿洗いが結構好きだ。
汚れたものが綺麗になっていくのが快感で、
よく家でも進んで皿を洗ってる。
もう全部洗い上がった、というところで
葵がふきんを取りながら、僕の片手のひらをぎゅっと握った
「ぎゅっ」
音付きだ
「もうーやめろよぉ」
「恥ずかしがりやさんめ」
「だって……ふけないだろ」
「そうだねぇ」
どうしようかねぇ、と言いながら、葵は僕の手をポケットに入れて、
皿を拭きだした
「……葵」
「ん?」
「僕はどーすりゃいいんだよ、だしていいのかこれ」
「だしちゃだめー」
「じゃーどーすりゃ」
言い終わらないうちに、ちゅっと葵が接吻した。
もう、もう。
僕は下を見る。赤くなってる。絶対。

やっと片付いて、二人で音楽を聴く。
葵はクラッシックが好きだ。
僕をだっこするように、足の間に座らせて、
前で手を組んで、時折僕の耳に息を吹きかける
「むう」
くすぐったくて僕はうなる。
これがいつもの格好だ。
「こーいち」
「ん?」
数十分、音楽と葵の暖かさに浸っていたら、
不意に葵が声をかけた
「チョコ、食べていい?」
「……うん、あげる」
ちょっぴり照れながら、僕は鞄を引き寄せた。
「トリュフな?」
「うん……はんぶんこしよ?」
「はんぶんこ?あおいも何か買ってなかった?」
「俺の食べられないもん」
そういいながら、葵が自分の鞄をごそごそやる。
小さな箱を取り出して
「指輪。はい」
「……!!!!」
僕は驚いて、鞄を落としそうになった
指輪?
「た、高いんじゃないのか」
「あけてみなよ」
葵の声に、震える手で箱を開けると、
赤いケースに、青い石が埋もれるようについた、銀の指輪が入っていた
「こーいちのサイズにあうといいけど」
ぷるぷる震える
どう思っていいか分からない
嬉しすぎて、頭飛んじゃったみたいだ
はめようとして、はまんなくて、焦っていると、
葵が手を引き寄せて、そっとはめてくれた
指輪はぴったりはまった
前からそこにあったように
それが運命のように。
「ううーーーーー」
「ふふ、うなったりして、どしたの」
「だって……嬉しい……」
「指輪くらいで」
「だって……なんか特別って気がして」
「特別だよ、ほら、俺とお揃い」
葵が寄りかかっていたベッドの横の戸棚から、
赤いケースを取り出して、見せてくれた
ケースの中に、同じデザインで、少し大きい指輪が入っていた
「……」
「うん?」
きゅうっとなって、嬉しくて嬉しくて、
僕は葵の胸に顔をすりつけた
葵が笑ってその頭を両手でくしゃくしゃに撫でる
「まだ、本物は買えないけど……」
「うん」
「卒業して、就職して、
その時まだ、こーいちが僕を好きだったら、
結婚しよう」
「……!!!!!」
ばかあおい。
涙が出て来た。
僕はいつからこんな泣き虫になったんだ。
葵の手のひらが温かい。
気づかれないように、顔を埋めていたのに
そのほほを葵はいとも簡単にもちあげた
「……なきむしさん」
「だって……」
「あいしてる」
「……!!」
「……ほんとだよ」
「……ううー」
「なんだよお」
「あおいがいじめるよ」
「いじめてないよう」
くすくす笑いながら、葵は僕の唇に自分の唇を重ねた
甘い快感がわき上がって、僕はドキドキしながら、
葵の背中に手を回した
葵は僕の唇をゆっくりはみながら、
僕の頭をあたたかく撫でる
気持ちよくて、気持ちよくて、もっと泣きそうになる
葵が好きだ、と思った
強く、強く。
願いに近いほど。


「ああいうの、やめろよな」
満ち足りたセックスの後、
ベッドの中で、裸の葵の胸にほほをくっつけて、僕はぽつりと言った
むしゃむしゃぽりぽりとトリュフを口に運んでいた葵が顔をあげて「ん?」って聞く
馬鹿みたいだけど、ほんとに馬鹿みたいだけど、こんな葵が可愛いと思う。
ほんとに馬鹿みたいだ
「なんかあったかい顔するの」
「あったかい顔?」
「目尻がさがってるかおだよ、ああいうの、も、どーしていいかわかんないだろ」
って言ってるうちに、あおいはまた目尻をさげて微笑んで僕を見る
もうー。
「じゃーいーよ、往来でキスするのなし。なしだから」
「それはだめです」
「って、だめですって、だめだよお」
ちゅっちゅっちゅっと葵がほっぺにキスをしだした
あったかくて、くすぐったくて、僕はやめろようと言いながら、葵を抱きしめたくなる
「ひゃくまんかいだってキスしたいのに、だめだよー」
「だめだよーってだめだよー」
きゃっきゃきゃっきゃと笑いながら、僕は葵に負けないようにキスしだした
葵が笑いながら、僕の顔を引き寄せて、目を見た
とたんに恥ずかしくなる。あおいがあんまり、無邪気に僕を好きだと振る舞うから、
僕は困ってしまうんだ。
「……」
なにも言わずに、葵は少し丁寧に、少し長く。柔らかく、僕の唇に接吻した
「こーいち」
「ん……」
「呼んでみただけ」
「むー」
「怒った?」
「んーん」

ふと、外を見たら雪が降り始めていた
粉雪が、窓にあたっては溶け、溶けてはあたり
あおいの胸の音が暖かいから、泣きたくなる
あおいがこの世で、一番好きになってしまった
なによりも、なによりも

あおいの唇はチョコレートの味がした
そう言ったら、僕の大好きな眉の下がった微笑みで、僕を抱きしめた
あおいの胸が、ときとき言っていた
2004-02-14 -838:59:59