いっぱいいっぱい好きなひと

ねがい

父さんの場合、俺がホモだと分かった時、
どんなことを想ったのだろう。
4年前の秋に、俺はホモだと父さんに知られて
家を勘当された。
すごく怒ったんだろう、父さんは、厳しいから。

髪の毛を、のばし始めたのは、
それから「あの子」に会ってから。
いっぱいいっぱい傷ついて、
たびたび泣いた、あの子を好きになって、
傷が癒えてほしいと願って、願をかけて、
ただがむしゃらにのばし始めた。

肩の少し先までのびた髪の毛。
それを束ねながら、鏡を見ると、少し微笑んでしまう。
高校入ってから、もうすぐ卒業まで、
ずっとあの子と一緒で、
傷が癒えたのか、分からないけど、
なんとなく。まだ、切れない。

願いなら、いくつも
いくつも。
ただ、幸せになってほしいと、
それが一番、強い願いです。

***

ホモの噂

「なぁなぁあいつ、ホモなんだって、知ってた?」
悪友の細川が目を細めて、嬉しそうにささやいた、
親指でさされた先には、竹内が清々しい笑顔で、先生と話していた。
高校生の受験まっ最中には余裕のある顔で、
男たちには嫌われ、女の子には好かれるタイプ。
―谷山に告白したんだって。
谷山知ってる?2組の美少年、あれでももろ女好きだろ、
気色わるがっちゃって、竹内にもう二度と近づきませんっていう
誓約書書かせたらしいよ。
細川のよく動く唇を片隅で追いながら、
俺は竹内を見ていた。
そっか、竹内、ホモなんだ。そっか。
結構、勇気いることだよ、告白とかさ。
すごいなぁ。誓約書?ひどいことするな。
竹内、ホモなのかぁ。
「なぁ聞いてんの?」
細川がきげんわるそーに言った、
きげんわるそーに言う細川は幼く見える。
いつも結構年下に見えるんだけど、きげんわるそーにすると
余計幼く見える。
「はいはい、聞いてますよ、なにすねちゃまですか」
「すねちゃまって、おまえ、もー
しんじらんねぇ」
細川、本格的にすねよった。ぷいっと顔そむけてあっちいっちゃった。
ううーしまった。後でなんとかご機嫌取っとかないと、
三日間は怒ったまんまだ、うんうん、それはそーと竹内だ。

「あーホモ?」
竹内は、ぱち、ぱち、と二、三回まばたきして、
その時、気づいた。こいつまつげなげーの、すっげー綺麗な目、してんの。
女みたい。
「竹内、芝居やったらはえそうだよね。
綺麗な顔してさ」
「あー小江、からかってる?」
竹内が嬉しそうに笑った、
なんか台詞にあわねーの。
「なんでわらう?
いやじゃねー?からかわれんの」
「いやー」
「いやーってさ」
昼休みの鉄棒。
校庭の真ん中でサッカーやってて、少し危ない。
お日様にあっためられた鉄は、さびの匂いがする。
ここだけ少し陰ってる。
「あんまー、いやじゃないなー
小江、からかってるって感じじゃないし」
「からかってねぇよ、
俺、わりーな、結構簡単にいろいろ口にしちまうから、
不機嫌になったら言ってな」
「あはは」
うあ、かっわいいの。笑うとお日様が笑ったみたい。
「俺、ホモだよ」
少し、まじめな顔して、だけど口だけは笑顔を作って、竹内が言った。
「そっかー」
俺はうんうんと頷いて
「なんぎだな、そりゃ」
「んーなんぎ。
いろんなひとにいろいろ言われるし。
いいじゃん。ねぇ?人の趣味なんだから」
「ひどいこと言われた?」
「う」
いきなり、竹内が鉄棒に突っ伏した。
俺はすっげー慌てて、竹内の肩に触れるか触れないかのところで
手を泳がせた
「ど、どうした竹内」
「ひっでーの、みんなさー
言いたいこと言ってくの。」
そういや初めて。
と言って、竹内が起き上がる。
その目がちょっと湿ってて、俺は余計慌てた。
「た、竹内」
「小江、そんな風に聞いてくれたの、お前がはじめてだよ。」
あはは、って竹内が笑った。
たまんないの。
「あー、竹内」
「ん?」
「なんだ、その、お、おれもなぁ」
がっっごおおん、と音がした気がした、途端、目の前が真っ暗になって、
ぴーよぴよ、星飛んでるみたい。
背中に衝撃が走る。どっざあって音がして、
あ、これ、俺が倒れた音じゃん、うわ、
なにが起こった?
「こ、小江」
竹内が頭ぱーちくりんりんの俺の背中を支えた。
「平気か?おい、危ないな」
鼻がつんとする。
俺はあう、だか、わ、だか変な声を出した。
「すまん、おーすまん」
向こうから走ってくるのは、細川だ。
腕まくりして、ベビーフェースが、よけーベビーに笑ってる。
「ごめん、小江、
サッカーボール」
そうか、サッカーがあたったんだな。サッカーボールが。
「あっぶねぇなぁ」
せいぜい毒づいて、俺はくらくらと立ち上がった。
う、鼻が痛い。
「鼻血出てるよー、小江」
心配そうに竹内が言う。
「ふけよ」
そう言ってティッシュを俺にくれた。
「あんがと、おまえな、細川な、あぶねぇよ、人にあてんなよ」
ティッシュを丸めて鼻に突っ込む。
むうっとにらむと、細川が笑った。
「へーへー。悪かったよ、なあ、小江。
それよりお前、大丈夫?」
「ん、まぁ平気だ、サッカーボルぐらいでは負けないのだ!!!」
ぱーぱぱぱぱ、音がするみたいに、俺は仁王立ちをした。
どうだ、この勇士。
「そうじゃねーよ、ホモとしゃべったりして、
ホモ菌ついちゃうぜ」
嫌らしい笑いを細川が浮かべた。
同時に細川の後ろにいた男たちが笑いさざめく。
―けつほられちゃうぜ
―ほれられちゃうよ
―おおこわ
「やめろよ」
俺はなんかむかむかして言った。
見ると竹内は、視線を外して、隅っこを見ている。
「なんつっていいか分からんけど、
人好きになることに、悪いことはないだろ。
お前らだって女好きになるだろ。差別すんな」
「んーまぁなぁ」
「てかそれとこれって同じ?」
「なんだよ、小江、怒るなよ」
「小江は何?擁護派なわけ?」
しらけたような空気で、外野がぼつぼつ言った。
細川は少しきげんわるそーな、少しさぐるよーな目ぇして、俺を見てる。
「お前ら、この時代に、男とか女とか好きとかはれたとか、
あんま、かんけーねーじゃん。
人のこと傷つける奴より、愛する奴だろ、ハピー」
「わけわかんねぇ」
いきなりげらげらと細川が笑い出した。
「春の陽気であたまいかれたんじゃねー?小江。
それともまじホモに恋でもしてんの?」
「……」
俺は目を細めて、細川を見た。
ぎくっと細川が止まる。
「……嘘だよ。
怒んなよ、ったく大人ゲネーの」
ぶつぶつ言うながら、細川がボールを拾って、
「いくぜ」
外野がぞろぞろと彼についていく。
んー。細川も悪い奴じゃないんだが。
てか、あいつ俺がホモだって知ってるはずんなんだがなー。
「竹内」
声をかけると、竹内がちょっとぴくっとした。
そのまま少し、無言が落ちる。
竹内はぼんやり、鉄棒を見ている。赤紫のてつぼう。
竹内が何を考えているか、俺は知りたいと思た。
深く。
竹内の人差し指が、鉄棒の上を滑って、また戻る。
「ありがと。小江」
「ん?
あんま、気にすんな。
あいつらも、本気で言ってる訳じゃない、
だいたい、細川は人一倍ホモが嫌いなんだ」
「ええ、そうなの?」
「うん。
むかーし男に……ひどいことされて、それ以来嫌いなんだよ」
「そうなんだ」
竹内が、すうっと吸い込まれるように空を見た。
青い青い空、三つだけ雲が浮いてる。
「それはしかたないねぇ」
うん、仕方ない。竹内が笑って、腕を組んで、鉄棒の上に、頭をもたれかけさせた。
俺は思わず鉄棒をぎゅっと握って逆上がりした。
うん、仕方ないんだ。あいつのせいじゃない。
そのままおなかのところでぶらぶら揺れる。引力が気持ちがいい。
「俺もさーホモだから」
やっと言えた。いくじなしには上出来だ。心がどきどき言った。手がちょっと汗ばんだ。
「ホモだから」
もっぺん言って、もっぺん回る。ぐるり。世界が消えて、また空が見える。
下から竹内を見上げると、ちょっとぽかんとした顔で、俺の顔を見ていた。
「そんな見るなよ、照れちまうぜ」
「……そっか」
「うん」
「……言わないよ」
「うん?」
「絶対誰にも言わない」
「……」
言ってもいいんだけどな。
もう絶対ばれたくないと想っていた人にはばれてしまっているし。
差別されんのも、結構慣れてる。
なにせそう言う目で見ている人、父さんと何ヶ月か暮らしたから―
「言ってもいいよ、竹内」
ぐるり。空が消えて、校庭の風景。
サッカーをしている細川、髪なびかせて、嬉しそうに。
相手チームのゴールに今、この瞬間細川がゴールを決めた。
わあっと沸く、歓声。細川がガッツポーズをして、
なにかを叫ぶ。
ここだけ、空間が切り取られたように、寂しい。
校舎の影に深く埋没し、光から遠ざけられた
密やかで、たっぷり、静けさのつまった空間。
「うん、言ってもいい」
「言わないよ」
竹内がくすっと笑った。
「小江、好きな人いる?」
蜂蜜がとろけたような目で、竹内が聞いた。
そーゆう目、しない方がいいよ。誘ってるって想われるから。
そう言ったら、くすくす笑われた。

***

夜の約束

きぃーんかん、とチャイムが鳴った。
「あいーあいあいあ」
うどんをかっこんでいた俺はいそいで口を拭うと、
箸を置いて立ち上がった。
小さな机がきしきし揺れる。
とてとてとてと走って行くと、
待ちきれなかったのか、きんかん、きんかん、きんかん、と何度もチャイムが鳴る。
「わーかったって」
こういうことするやつは一人しか知らない。
「細川、ごめん、ごめん」
ドアをあけると、はたしてむすうっとした細川が立っていた。

きゅーばれみーむーん
きゅーばれみーむーん
ふぉーるちおらす、あい、らにぃ

深く沈み込むような静かな男の歌声が部屋に流れてる。
細川は来ると、いつもこれと決まったCDを、流してくれと言う。
さっきっから俺の肩にもたれかかって、
目をつぶってさざ波のようなその声に浸ってる。
その重さが、あんまりに安心しきってるから、
俺は少し、悲しくなる。

雨が降っていたらしい、細川の髪の毛は少し濡れそぼって、
いつもは茶色に光っているそれが、少し焦げ茶になっている。
撫でると湿った感触が手に残った。
「ほそかわー、またいえでしたの?」

歌声を壊さないように、つぶやくと、細川が、うん、と顔だけでうなずいた。
「パパ、しんぱいするんじゃない?」
んーん。
「また、めちゃくちゃなことされたの?」
うん。

細川の「パパ」は演劇の脚本家らしい。
曰く「奇抜すぎてついていけない」人で、
「俺を溺愛するあまり、ひどいことをする」らしく
「たまに家出してやらないと依存してだめ」らしい。
パパのことをしゃべる細川はそれでも甘えてるような顔になる。
パパのひどいことって、つまり?
つまりさーキスしたり、いきなり抱きついて来たり、
俺の交友関係にねほりはほり聞いて来たり。
ぶつぶつ細川は言った。
いやんなっちゃう。
笑ってしまった。細川はほんとに、ベビーフェースに似合った性格だ。
といったら殴られたっけ。

「小江?」
「ん?」
「まだずっとずうっと髪の毛のばすの?」
細川が、胸の上に垂れていた俺の髪の毛に手を絡ませた。
学校とかではしばっているけど、家ではそのまんまだ。
黒い髪の毛が、細川の白い華奢な手にさらさら流れる。
「もうちょっと」
「小江、長髪似合うからいいな」
「細川は長髪好きなの?」
「うん、小江のは好きだよ」
くすぐったいな。こういう、ほんわかした、細川との時間。
俺が一番大事にしてんの、知らないんだろ、細川。

ふと、細川のほっぺがころっと、ふくらんで
また戻る。
「ホソカワ?」
「ん?」
「口になにいれてんの?」
「あ”め”」
「あめ?」
「ん」
ころころと、細川がそれを転がせる。
「ちょーだい」
細川のほほに近づいて、
唇を割って、舌をさしいれた。
「ん”」
細川がびくっとする。細川の唇の中は、温かく湿っていて、甘い。
くちゅくちゅ、舌でかきまわしてあめを探す。
細川が舌で、オレンジの味がするあめをからませてきた。
ゆっくり絡み合いながら、あめをころがす。
細川のあったかいぬくもり。
細川の息づかい。

そういう「約束」でした。
約束っつうのも変だけど。
俺をホモだと知った時、細川が、言ったことば。
俺をにらみつけて、挑むように言った。
―れんしゅうさせろ
―れんしゅう?
―ほもなら、おとこときすしてもいいだろ、
おれ、おんなときすすんのなれてないから。
れんしゅうさせろ
―ええー
―ええーじゃない、そうしないと、ばらすぞ
それ以来、なにかにつけ、一日一回はキスするようになった。
俺が忘れて―忘れたふりしてキスしないと、細川はむちゃくちゃ機嫌悪くなるんだ。
細川はホモを憎んでる。
これもその復讐の一つなのかな。
そうかも。胸が、しくしく痛む、こんな風に。

最後までころがしていた。
あめは甘く甘く、溶けながら細川と俺の舌の上で消えていった。
最後に細川の舌をちゅうっと吸って、はなれると
細川がぼうっと熱に浮かされた顔をして、指で唇を触った。
俺はその様子に微笑んで、
「あんがと」
「ん。どいたしまして」
やっとふんわりと細川が笑う。
俺はほっとした。今日一日機嫌悪かったから、
ちょっとはらはらしてたんだ。
もう一回、細川が俺の肩に頭をあずける。
あのさ、細川さ、別に俺はいいんだけど
いやよくないんだけど、こんな風にされると、
こんな風に、キスして、寄りかかられると。
俺、お前に好かれているのかと想っちまう。
「細川、あんまりこんな風に無防備だと、
誘ってるって想われるよ」
「さそってねーもん」
「いやさそってなくてもさー」
「実春(みはる)」
「ん?」
「……竹内とたのしそーに話してたな、おまえ」
いきなり、ふきげんそーな声を、細川が出した。
んん?
「んーなんつの?
親近感っつーか、なんつーか。
おまいさ、ホモ嫌いでも、
あんまいじめるなよ、
俺ら結構必死でいきてんだからさ」
「しらん」
「しらんてさー」
ひっでぇのー。
もうしょうがないなー
笑うと、細川が俺をぎゅっとにらんだ。
「たけうちなんかと話してると、
ホモってばれるぞ」
「あー、俺ばれてもいいし」
「よくないだろ」
「よくなくないよ」
「……」
「どったの?
なにいらいらしてん」
「ホモめ」
「ホモだもん」
「ゲイめ」
「ゲイだもん」
「おまえなんか猿になっちまえ」
とうとう細川はぷいっとそっぽをむいてしまった。
俺は焦る、なに怒ってんだ、このひとは。
「ほそかわー」
「……」
「ゆずるちゃん」
「……」
「機嫌なおして」
「……しらん」
「なに怒ってんだよー」
「しらん、薄情者」
「なぁに怒ってんだって」
やあっっと、細川を床に押し倒す。
薄い青と緑のしましまの絨毯に、細川の短い茶髪がさらさら絡まる。
ふきげんそーな顔で、細川は俺を見上げた。
ちょっと泣きそうな顔してる。
あれ。なんでだろ。
「おこんなよ」
ちゅっと軽くちっすすると、細川が視線を外した。
まずい、本格的に怒ってる。どうしたんだろ。
「細川、ほんとに、なに怒ってるんだ?」
ちょっとマジになって聞いてみる。
俺、こいつを傷つけるようなこと、なんかしたんだろうか。
「俺が悪いことしたのか?
謝るから、なにしたか、教えてくれ、
原因が分かんないよ」
「にやにやして」
視線を外したまま、細川がつぶやく。
にやにや?
「にやにやーって、
俺、細川のこと、にやにや見てた?
嫌らしい目で?」
「そうじゃない!!」
細川が、きっと俺をにらみつけた。
「竹内のことだ!!」
「たけ……」
絶句してしまう、竹内?なんでまたあいつが出てくるんだ?やけにこだわってるな。
細川はなんだか涙がにじみそーなほど、うるうるした目でせいいっぱい俺をにらんでる。
うーむ。なんだか、嫉妬されているように想えて、少しドキドキする。
違う。細川は、ホモが嫌いだし、俺はホモだし、好かれることはないし。
ああ、そうか。
「俺が、ホモっぽいことすると、細川、やなのか」
「……」
「そっかーごめんな、安心しろよ、細川には絶対手ぇ……ださないからさ」
うん、きっとそうなんだ。
ちくっと胸が痛んだ。このまま手を出さないでいること、できるかな、俺。
言いながら、不安になる。
いいこいいこ、と撫でると、細川がぶぜんとした、でもちょっと赤らんだ顔で、
ばか、とつぶやいた。
ごめん、ごめんなさい、と言って、きゅうっと抱きしめる。
「ごめんね」
ささやくように言うと、細川はくすぐったそうに肩をすくめた。
細川ホモ嫌いなのに、抱きしめると落ち着くんだ。いつもそう。
きっとスキンシップに弱いんだな。
「俺も……悪い、かも」
急に、細川が、すっごく小さな声でそう言った。
ごめんなさい。
落ち着いたら、そう想ったんだろう。
怒った後にすぐ反省するのも、細川の特徴。
「ん、いいよ、わるくないよ」
いじらしさに細川のほほに唇をよせると、細川がキスして来た。
応じながらもうちょっと強く、抱きしめる。

俺にこういうことされるの、いやじゃないの?
キスとか、抱きしめるとか、そういうことさ。
一回聞いたことある。
細川はうん、とうなずいて、
いや。と言った。
うーやっぱいやなんだ。ちょっと悲しくなると、細川は
でもおまえだったらいいよ、
俺は許すよ。
ゆるすー?てか、細川が練習したいっちうたんじゃん。
いやなら練習やめる?
だから、おまえだったらいいっていってんの。
?よくわかんねぇ。
いいんだよ、お前はちゅうちゅうしてりゃいいの。
あれもこんな風に細川が訪ねて来た日。
一緒に布団に入って寝たから、よく覚えてる。
いくら好きでも決して手を出しちゃいけない、人。
なんかつらいよなー。

***

ほんとは

放課後の教室。
ぼんやりとけむったい夕日が、
部屋の中を薄いオレンジに染めている。
さっき小雨が降っていた。
春も間近、暖かい湿った空気の中で
俺は教科書をいれた鞄を、ぽてぽてと下げながら、
2組に向かった。なんの他意があったわけじゃない。
心にかすかに沈む、竹内をふった「たにやま」のいる教室を
ちょっと見たかっただけだ。

竹内のホモっていう噂はやっとなりを潜めた。
いや、潜めたと言っても、
奥底ではやはりくすぶり続けていて、
何かにつけて、火を噴く。
竹内はそれでも元来、人のいい性格で、
友達も結構多いから、いじめにはつながっていないけれど。
今日も男子たちにやいのやいの言われていた。
俺が止めるとやめるぐらいだから、
やつらもあんまり執着はしてないようだけど。
細川はあれ以来、竹内をからかうことはしていないけれど、
竹内と俺がしゃべっていると、きげんわるそーにじゃましてくる。
先生が呼んでいた、とか、話があるからこっちこい。とか
へたっぴな嘘ついて。
うーどう考えても焼いているとしか想えないんだが、
そんなわけないよなー。

2組の部屋をちらりと覗くと、
窓の枠によりかかって、谷山が夕日を見ていた。
こちら側の体半分、濃い紫の影。
手でささえた清涼感のある、ハンサムな顔立ちが、夕日に照らされて
幻想的でさえある、一枚の絵のような風景だった。

そっと近づいていって、よお、と声をかけると、
谷山はちょっと俺を見て、よお、と返した。
そのまま隣に立って、夕日を見る。
ここからだと、森林公園の森に差し込む光に
縁取りが輝き、森が浮き立つように溶け込んでいる。
「たばこ、持ってない?」
谷山がじっとそれを見つめながら、
俺に言った。
「なに、谷山、タバコなんて吸うの?
まずいぜーあれ」
「ん……、いや、吸ったこと無い。」
何を考えているのか、少し笑って
「小江、なんかよう?」
「ああ、俺のことしっとんの?」
「有名じゃん。強いんだって?」
「つよいー?」
「よくするんだろ、けんか」
「ああ?」
なんだよー、俺そんなイメージなわけ?
ちょっと悲しいぜー。とかなんとかぶちぶち言うと、
谷山はけたけた笑った。
「やっぱ湾曲されてんだ」
「湾曲?」
「人に対する人のイメージは湾曲され伝わる物である」
「難しいこと言うな、お前」
「実感から来る思想ですよ」
谷山が、ポケットから100枚入りのペーパーミントボックスを取り出した。
「噛む?」
「ん、あんがと」
紙石けんのようなペーパーミントを一枚もらい、口に入れて、溶かす。
刺激のあるミントの香りが口いっぱいに広がる。
「にげー」
「あはは」
谷山もそれを一枚噛んで、くちゅ、と溶かした。
「小江、竹内のこと聞きに来たんだろ」
「あーうー」
そーじゃないんだが、そ-でもあるし、
いやどーだろう、なんていうか。
「なんとなく、谷山の顔、見たかっただけ。
好奇心だよ、失礼な奴だな、考えると。
ごめん」
「自己完結するなよ。」
あはは、と谷山が笑った。
「竹内から聞いてる。
ホモだってからかわれると、小江がかばってくれるって」
「へえ」
意外だった。
「竹内と谷山、仲いいわけ?」
細川やその他が言う噂では、
谷山が竹内をふって、谷山は誓約書を書かせたって。
「俺とあいつ、幼なじみだから。
家近いんだ」
谷山が、目線を俺から夕日にうつす。
ぽつり、ぽつりと星が灯り、
空のはしは群青に沈んでいる。
「むかしっから、おれのことたーちゃんたーちゃん言ってさ
可愛かったぜ、ほっぺ真っ赤にして俺のこと探すんだ
見つからないと泣いちゃうし、
俺いっつも隠れては泣かせて、いじめてた」
谷山が、うん、と伸びをして、窓をがらっとあけた。
さあっと、湿った風が入る。
「あいつさ、バカだから、俺が女とつるんでる時に、
真っ赤な顔して、俺のこと好きだって言って来やがってさ。」
谷山の顔をずっと見ていた。
谷山は、「あいつ」というとき、少し和んだ目をした。
「あいつ」と愛しそうにつぶやいた。
俺は、何か重大な勘違いをしているのかもしれない。
「俺がなにか言う前に、女どもが騒いじゃって。
その場はなぁなぁで抑えたんだけど、
後で女どもがあいつんとこ行って、いろいろ言ったらしい」
谷山のポーカーフェースな顔が、少し苦々しげに、歪んだ。
「小江、噂じゃなんて聞いてる?」
「……、あてになんねーのな、
谷山が竹内ふって、
『もう近づきません』っていう誓約書書かせたって」
「女どもが書かせたんだ。
嬉しそうに俺に見せて来たから、破って怒ったら
ぎゃーぎゃー言って。
はらいせに、噂まき散らしたみたいだな」
ふう、と谷山がため息をついた。
「竹内と俺、多分つきあうようになるよ」
「……そっか」
「竹内が遠慮しちゃって、俺のこと避け気味だからそれなんとか
しないといけないけどな」
「うんうん」
俺は自然と微笑んでいた。なんだ。よかった。
よかった。
「小江、お前もホモだろ?」
「ん?ああ、そーだけど、なんで?」
「竹内があやしーこと言うから、はっぱかけたら、
慌てて『違うよ、小江君はホモじゃないよ』って聞いてもいないのに。
あいつ、バカなのな、分かりやすい」
くすくすと谷山が笑った。
「ありがとな、小江」
「なにが、俺なんもしてねーよ」
「いろいろだよ、いろいろ」
くすくす、くすくす。谷山は心底安堵しているように、笑って、
そんで、しばらく二人で夕日を見ていた。

***

昔の話

細川がレイプされかけた時の話をしようと想う、
もう、3年も前のことだ。
あれ以来、細川はホモがだいっきらいだ。

夜だった。
綺麗な月が出ていて、
引っ越して来たばっかりの俺はおー月夜、とか想いながら
ぶらんぶらん歩いていた。
今日はソバにしよう。なんもいれなくていい、
黒いそばつゆに月が入るから。
そんなことをぼんやり考えて、にやにやと笑っていた。

「あっ!!!!!」

いきなり聞こえた叫び声に、ぎくりとして足を止める。
悲鳴に近い、なにか危機せまる声だった。
ざわざわと近くの公園の木々が揺れる。
その側の茂みで、誰かが叫んだ。
「ちゃんと抑えてろっ」
「動くなって、きもちよくしてやっからよ」
「やっやめっ」
何かが起こっていることをとっさに判断して、
息をひそめて、公園の入り口に回り込んだ。
夜に沈んだ、ベンチ、子供の遊び場。
茂みの中だけ、不穏な空気が流れてる。
「やっああああああっ」
「うっく……、これでいい」
「へへ、痛かったか?
すぐに熱くなるからな」
俺はまわりを見渡して、武器がないことを知った。
しょうがない。
近くの石を拾い、手の中に隠す。
警察を呼ぶ暇はあるか?ないか?
「やめっはっやめっ」
「みろ、ほら、びんびんに……」
「うわぁ、やっらしぃ……」
いきなり茂みに飛び込んだ。
がささささっと茂みが揺れる。
誰かの上にかがみ込んで、何かをしていたやつらが、
ぎょっとしたように俺を見上げた。
敵はふたり。一人、胸と下半身を露出させられている少年を押さえつけている。
良かった、敵、そんなにいなくて。
やつらが何か言う前に、足を大きく振り上げて、近くにいた男の顔面に振り下ろした。
ぎゃっだかぎょっだかつかない言葉を男があげた、
一度足をひねって放し、次の瞬間、男のあごを飛ぶほど蹴り上げた。
ぐぼっと、音を立てて、男がぐらあ、とゆれる。
足を右にふり、その顔めがけて、大きく蹴りとばす。
がっこんっと、男の頭が左に飛び跳ねた。
鼻血が弧を描いて散る。
白目を剥いて、男が倒れる。
「な、なにしやが」
もう一人の男がまだ戸惑いながら、叫ぶ。
ふりかぶって殴りかかって来た男をよけ、
ぐいっとその襟首をつかんで、引き寄せると、
石をにぎった右手で、思いっきり殴り飛ばした。
男がぐらぐらと頭を揺らし、げへっと泡をふいた瞬間、
その右手で今度は腹を殴る。
「ふぐっ」
もういっぱつ。ぎゃふっと男はつばを吐いて、うずくまった。
その首筋めがけて、両腕を握り、ふりおろした。
ぐったりと力が抜けた男どものズボンを脱がし、
それで木にぎゅうっといわきつけて、
捕らえられていた少年のところに走りよる。
「大丈夫!?」
「はっ……はあ……」
それが細川だった。
細川は、あわらになった下半身を勃起させて、
呆然とした目で空を見ていた。

後から聞いた話だと、あのとき細川は、
性魔の媚薬を下半身に注入されて、
自分では抑えきれないほど、欲情していたらしい。
そんなこと、つゆとも知らなかった俺は、
とにかく目がいっちゃってる細川をなんとかしなくちゃならないと、
ほほを2、3度たたいて、しっかりしろ、と叫んだ。
その刺激さえ、細川の体には毒だったらしく
小さな声であえぐと、細川は俺にしがみついた。
「ち、ちんこ……」
今でも覚えてる。震える華奢な腕、
頭を下げて、俺の目を見ずに懇願する細川。
「た、たっちゃって……
う、うごけな……」
見ると細川のそれは先走りの液をとろとろ流して、
びくびくに勃起していた。
「なんかされたの?」
細川はふるふると力なく首をたてにふった。
「い、いたい……」
細川のほほが光った。
ぽたり、と涙が落ちる。
白状しよう、俺はそのとき、この子を可哀想だと想う反面、
強く欲情していた。そんな自分の劣情がいやになった。
「俺、こいつらの後始末するから、
見てないから」
焦って、後ろを向くそぶりをする。
細川がやっと俺の顔を見上げて、じっと見上げて、
それからそっと頷いた。
真っ赤な顔をしていた。
可愛かった。

細川の欲情は1回では終わらなくて、3回ほどいったようだった、
いったのは気配で分かったけれど、
細川は決して声をあげなかった。
一生懸命押し殺して泣いている様を想うと、不憫でならなかった。
今でも不憫になる。

警察関係につとめている叔父に電話して、
男たちを公園の外の鉄柵に結びつけ直し、
戻ると、細川はどろどろの下半身をさらけ出したまま、
意識を失っていた。
ぐったりと、全身に汗をかいている。
後始末は叔父がしてくれると言っていた。
今、巷を騒がせている連続レイプ魔だろうとのこと。
この分では、この子に事情聴取をするのは無理だろう。
とりあえず、この場を去ろう。
そっと細川の汚れた下半身を、
湿らせてきたハンカチでぬぐうと細川がびくっと震える、
全部ぬぐってから、ズボンを丁寧にはかせ、
背とひざの部分に両手を差し込み、抱き上げた。
細川が、「うん」と言った。
同情と、なんだか分からない、愛しさみたいな気持ちがわき上がって、
俺はそおっとその子を運んだ。

細川―その頃は名前も知らなかった。―を布団に横たえさせて、
安心したらおなかが減った。
カップ麺にお湯を入れて持っていくと、
細川がぼんやりと起き上がって、部屋を見渡していた。

「大丈夫?」
慌てて、カップ麺を置いて、
台所に戻る。
気つけには何がいいんだっけ?ウィスキー?
お酒なんかないぞ。牛乳でいいや。
牛乳にはちみつをスプーンでたらし、電子レンジに入れて、
部屋に戻る。
「平気?俺のことわかる?」
「……」
ぷっと細川が笑った。
「そんな、きおくそうしつみたいに」
「あ、そうだよね、
えと」
チン、と音がした。
慌てて台所に戻って、牛乳をとりだす。
「あちち」
持っていくと、細川は枕を抱えるように横たわって、
ぼおっとしていた。
「大丈夫?
これ飲んで?」
「ん……」
素直に細川はカップを受け取った。
そのまま、ふうっと吹いて、口に含む。
こっくんと、嚥下するその白い肌に、また悲しい気持ちがわき上がった。
「大丈夫?」
「ん……助けてくれてありがとう」
「……んーん、
けがとか、してない?」
細川が自分の体をあちこち点検する。
「うん……大丈夫みたい」
「お家の人、心配してるかも、
電話かそうか?電話する?」
「うん、むかえに来てもらう」
「そっか」
「あ、ケータイ、あるから」
細川がほんのり笑った。
笑うと女の子みたいに可愛い。
いくつぐらいなんだろう、と想った。
12、13じゃないかな、まだ。
そう想うと、たまらなく悲しくなった。
こんな幼い子を襲うなんて、あいつら、本気で下衆だな。
「おれ……警察とか……いいのかな」
「あ、俺のおじさんが、なんとかしてくれっから」
「おじさん?」
「刑事なんだ、大丈夫だよ」
「そうか」
もう一口。細川が牛乳を飲んだ。
「おいしい……」
「ん……よかった」
細川のふうっと笑ったその顔に、
俺はやっと安堵した。
まだショックから抜けきってないみたいだけど、
家の人にあったら、きっと安心するだろう。
細川が、こく、こく、と牛乳を飲み干し、
ありがとう、と俺にカップを渡した。
その手で、さっき俺が細川と一緒に持って来たバッグをあける。
青い肩掛けバッグは泥だらけになっていて、さっき拭っておいたけど、
まだちょっと汚れている。
ようやく携帯を見つけ出した細川が、ぴ、ぽ、ぱ、と電話をかけた。
俺は台所にカップを持っていって、水でじゃらじゃらと洗い流した。
もういっぱいすすめた方がいいかどうか、迷っていると、
細川の声が聞こえた。
―あ、パパ……、あのね、俺
―レイプ……されかけちゃった
―うん、……うん、平気、今助けてくれた人のとこにいる
―えっと、うん、むかえにきて
―うん、うん
声が湿って来たな、と想ってみると、
はたして細川はぽろぽろ涙を落としていた。
可哀想に。
やっぱりもういっぱい、牛乳をすすめよう。
そうだ、ココアにしよう。甘いし。
えーとどこやったっけ、ココア。なかったっけ。
探していると、細川の声はいよいよしゃっくりをあげて、本格的に泣き出した。
電話口の「パパ」が必死になって何かを叫んでる。
だいじょうぶ、とも、いまいくから、とも、そんな風な言葉らしい。
「す、すいません」
急に細川が台所に顔を出して、細い声で言った。
ひっくっと、一回しゃっくりをあげる。
鼻が真っ赤になってる。
「ん?大丈夫?」
「ここって、どこですか……?」
「柿の木町、10の7の2。
コーポサツキの101号室。
来てもらうなら、柿の木駅から右に曲がったところにある、
青い屋根のコーポだって言って、
あ、かわろうか?」
「あ、大丈夫です、パパ、聞こえた?」
細川が電話に戻る。
電話口の主が、うん、じゃあ今行くから。
タクシーで行くからな、待ってろ、いいな、落ち着いて。
パパが全部なんとかしてあげるから、いいな、落ち着いて、な。

なんだかパパの方が落ち着いてない。
持っていたカップを置いて、
冷蔵庫からもう一度牛乳を取り出す。
ココアはないみたいだから、はちみつをもういっぺんいれた。

パパが来るまで、きゅーばれみーむーんのCDをかけて、
ふたりで聞いていた。
細川は目をつぶって、枕を抱きしめて、じっと聞き入っている。
傍にいてほしい、と言うから、
その手を握ってあげて、ただ傍にいた。
たまに細川の目尻から涙が落ちた。
それを指先で拭うと、細川は照れたように笑って、ごめんなさい、と言った。
名前は?
細川ゆずる。
あなたは?
小江実春。
こういう字。
変な名前なんで、結構間違われるんだ。
きれいな字だねぇ。
そう言って細川は、名前を綴った紙をしみじみ眺めた。
アイドルみたいな名前。
女みたいでちょっといやなんだけどね。
えへへ、と俺は笑った。
一緒にちょっとだけ笑って、この紙、もらっていい?と細川が言った。
CDが終わる頃に、なにはともあれ飛び出しましたー!!っていう風体の、
細川のパパが来て、細川をそっといたわるように抱きしめて、
帰っていった。俺に何度もお礼を言いながら。
彼らが乗ったタクシーを、見えなくなるまで見送って、
そして気がついた。カップ麺。でろでろになっていた。

それから、この高校に入学して、すぐに細川だって分かった。
同級生だったのかと驚く俺に、あっちもすぐ気がついたらしく、
とてとてと走りよって来て、小江さんもこの学校なの、と言った。

細川はたまに俺のうちに遊びにくるようになって、
その時は決まってきゅーばれみーむーんのCDをかけて、と言うようになった。

3年。
3年経って細川はやっとちょっといじわるな本来の細川になった。
と、細川のパパは言う。
それもこれも小江君のおかげだと。そんなことないのに。照れちゃう。

あんまりのショックで、性格が変わっちゃったかと想った、と言って、
パパは涙を拭う。良かった、傷が癒えたようで。と。
あの時のことを思い出すと、パパはまだ泣けてくるらしい。
怒りと、恐怖と、細川への愛で。
いいパパだ。

さて。細川との出会いの話は、これで終わり。
次は今に戻る。
今。細川と俺が悪友となって、俺が細川に告白して、玉砕して、
竹内が谷山に告白して、細川がなんだか機嫌の悪い、このごろの話に。
ベビーフェースの細川は、今日もまた、俺の部屋に来ると言っている。

***

デート

サマラナランランド。
舌を噛みそうなそのランドは、
休日なのに、人気がない。
ぽつり、ぽつりと、家族ずれや、
なんでこんなとこにいるのか分かりません、と言った顔のカップルが
たまにすれ違う程度。
細川が手をつながないとホモとばらすぞと脅すので、
二人で手をつないでその中を歩いた。
細川はこういう寂れた遊園地が大好きだ。
最後にはつかれて機嫌悪くなるくせに、よく俺やパパを誘っては遊びに来てる。
「小江、あめ買って。」
あめ売りの前で、細川が立ち止まって、嬉しそうに言った。
遊園地に来ると細川は大変嬉しそうになる。
だから、俺も遊園地が好き。
ほんとに嬉しそうな顔するって言ったら、
だって嬉しいもん、と細川は言った。
「ん?なに味?」
「んー、ちょこれーとの!!」
細川が、ぽにぽに手をさする、
なにかにつけ人の手をこすったり、スキンシップを求めてくるのは
細川の癖みたい。はいはい、と笑いながら、
なんだか俺細川の恋人になった気分で、チョコレートの棒形ねじりあめを2本買う。
一本210円。
「ねーあの子、すっげ可愛くない?」
嬉しそうにあめをほうばる細川をなんだか満ち足りた気持ちで見ていたら、
不意にそんな声が聞こえた。
またか。細川と歩いていると、たまにそういう声がかかる、
つまり、なんぱとかなんぱとかなんぱとか。
「隣にいる子もレベルたけーじゃん、
いいじゃんいいじゃん、
声かけてみる?」
「ええーどうするぅ?」
で、決まってこういう時に、細川は機嫌が悪くなるのだ。
案の定細川は顔を思いっきりしかめて、
「小江、行こう。ここやだ」
「あいあい。
次どこ行く?」
「あ、行っちゃうよ」
女たちが焦った声を出す。
「早く。違うとこならなんでもいいから」
怒ったように細川が強く言って、俺の手をぎゅうっとひいて、
駆け足でその場を離れた。
おっとっと。

細川どんどん走る、
「おい、転ぶぞ」
声をかけた途端、細川は足をつっかけて転びそうになった。
その胸を手でささえて、立たせる。
「もういいじゃん?細川、
あいつらもう追って来てないよ」
「……」
ムウッとした顔で、細川は俺の手をじっと見た。
「ん?機嫌悪くなっちゃった?」
「俺、俺のこと可愛いとかいうやつ、嫌いだ!」
ふふ、とため息みたいな笑みが漏れた。
「しかたないじゃん、細川可愛いもん」
「え……俺、可愛い?」
ちょっと微熱があるような、
潤んだ目でそうなのって顔で俺を見上げる。
唇がちょっとあいている。誘うように。
だめ、こういう顔されると、
たまんなくなる。ぎゅって抱きしめたい。
強引に衝動を理性で抑える。
大変なんだよ、細川君。
「可愛いよ。超可愛い」
「……」
細川が視線をそらせて、
耳まで赤くなった。
「ん?なんか熱ある?赤いぞ?」
「おまえが変なこと言うからだ」
「え?俺変なこと言った?」
「言うからだ!!!」
目をそらしたままで、細川が叫ぶ。
んんん?
「……なんだか、俺、細川のこと怒らせてばっかりだな」
ちょっとため息を漏らし、悲しい顔をする。
照れてるんだろ、分かってるけど、わざと気づかないふりしちゃうぞ、
ちょっとからかってみたい気分。
「ち、ちがう」
細川が慌てたように、俺の顔を見上げる。
光にあたって目がきらきらしてる。
「怒ってない……
俺、照れ屋だから、
お前にいろいろ言われると、て、て、照れちゃっうし
だから恥ずかしくて、
だ、だから……」
衝動的に、細川にキスした。
あ、みんなに見られてしまう、と想ったけど止まらなかった。
細川の柔らかい唇、強く抱き寄せると、
細川がきゅうっと俺を抱きしめ返す。

可愛いんだ、てれちゃう、だって、恥ずかしくて、だって
てれてたの、恥ずかしいの、かっあいいんだ。
「照れてたんだ」
離れて、ふうっと微笑むと
「そ、そんな変な顔すんな」
「んあ?へんなかおしてる?」
「や、やさしいかおしてる……」
「……」
もう、そんな可愛いことばっかりさ、細川さ、
ほんと、たまんないから、勘弁してよ。
「怒ったわけじゃないんだねぇ」
「お、おこってない」
細川が余計真っ赤になって、俺の手をぎゅうっと握りしめた。
「つぎ、観覧車のりたい……
いい?」
俺は微笑んだ。

観覧車から見える景色は、群青の海を遠くにうつしてる。
深いビリジアンの森々に、すうっと光があたり、
雲の影をうつして、またすうっと光る。
「……」
無言で細川はその景色に魅入っていた。
手のひらをぺったりガラスにつけて。
まるっきり、子供みたいに。
片方の手は、俺の手につながれていて、
俺がこちょこちょっとくすぐると、だめーっと言いながら、
手をぎゅうっと握る。
ようやく見飽きたのか、細川が俺の傍に座って、じっと今度は俺を見出した。
「なんでみてるんですか」
「手、噛んでいい?」
「いいよ」
たまに細川は、誰もいないとき、俺の手を噛んでいい?と聞いて、
噛む時がある。
昔から好きなの、噛みたくなるんだ。と、
なんで?って聞いたとき、そう言っていた。
好きなのって俺?って聞きたかったけど、違うよって言われそうで、
聞けずじまい。

許可をもらって細川は嬉しそうに、手をそおっと口に運んで、
舌でちょっと舐めて、口に含んだ。うっとりした顔してる。
細川の歯は力なく、柔らかく柔らかく俺を噛み締める。

あむ、と細川の歯があたる。
あむ、あむ。
細川、たまんないんだよ、本当は俺。
こんな風にされてさ、襲わない方がへんだって言うの。
でもいいんだ。そんな顔、見れるなら、
へんになったっていいよ、俺。

あむあむと思う存分噛み締めた、細川は、
やっと俺の手を放してくれた。
「べたべた」
そう言って笑って、はんかちを取り出して、俺の手をぬぐう。
細川に告白した時のことを思い出した。
高校2年の夏。
蝉の死骸がたくさん道に落ちていた、
暑い夏だった。
―もうあわない
言った俺を、細川は最高潮に機嫌の悪い、泣きそうな顔をして見上げた
―なんで
―今まで黙ってて、ごめん。
俺、な。
ホモなんだ。
秘密を話すように、そおっと口に乗せた、
細川は、さして驚きもせず、それが、と言った。
―細川、ホモ嫌いだろ
―お前は、嫌いじゃないよ
―俺がだめなの。
ホモだからさ、これ以上つきあっていたら、
細川傷つけそうで。
分かってくれよ、と俺は言った。
細川に負けずに、俺だって泣きそうだった。
心がしくしく痛かった。
本当は、細川を手放したくなかった、
好きなんだと言って、愛しちまいたかった。
―おまえ、ホモだってばらされてもいいのかよ。
―え?
―お、おまえが、俺のことあわないっていうなら、
ホモってこと、ばらすぞ!
―細川。
頼むよ、と俺は顔を下げた。
―俺とつきあっていたって、
お前にはなんの特にもならないから。
―特?特ってなんだよ、
じゃあ、練習させろ
―練習?
―ホモなら、男とキスしてもいいだろ、
俺、女とキスすんの慣れてないから。
練習させろ、それで勘弁してやる
―ええー
―ええーじゃない、そうしないと、ばらすぞ
結局細川は、一歩もひかなかった。
俺がどんなに頼み込んでも―それまでなら、
俺が心からたのめば、聞いてくれない願いは無かった―決して首をふらなかった。
いつの間にか、心に跡がつくように、
細川のことばかり考えていた。
気がついたら、
今も、昔も、細川が好きだった。
きっと、ずっと、好きなままだ。
細川が、他の人を好きになって、
俺のもとを去るまで。

***

なかよし

おおかたの大学の受験が終了した日。
もうすぐ卒業で、しばしの連休前、春うららかな日々、
ひとり教室に残って、ぼんやりと、
綺麗に拭かれた黒板を見ていた俺は、
うん、とのびをして、立ち上がった。
そろそろ帰ろう。
大学に合格した日を思い出す。

俺の合格じゃない。細川の。
顔を真っ赤にして、嬉しそうに、鼻息荒く、
きょうね、ごうかくつうちがきたよ、と言った細川。
良かったねぇ、と頭を撫でると、えへへ、えへへ、と笑った。
よっぽど嬉しかったんだろう。
受験前の数ヶ月は、本当に狂ったように勉強ばっかしていたから、
俺もほっと胸をなでおろした。
細川は推薦入学試験で、大学が決まった。
12月頃の話だ。
もともと俺とは違って学年上位の成績で、
先生の物覚えも良かったから、すんなり決まるだろうと想っていたのだけど、
細川があんまり不安がって、俺の傍にばっかりいたがるようになって、
このままじゃ合格の前に細川が壊れちまうんじゃないかと想って
怖かった。嬉しそうな細川をぎゅうっと抱きしめて、パパはまた泣いたらしい。
細川から話を聞くと、パパはないてばっかりいてちょっとおかしい。
俺も細川を抱きしめた。ぎゅっとぎゅっと抱きしめて、おめでとうと言った。

かくいう俺の方はというと、
もともと受験する気持ちはこれっぽっちもなく、
(お金がないものだから)
就職するつもりでいた。
昨日やっと就職先が決まった。
もともと調大獣士(大獣と呼ばれる、百獏とか、角大蛇とかの大型の獣を、友獣(人の生涯にわたって付き添う、守護獣)や、戦獣(騎士等が飼う、戦闘用の獣)に育て上げる仕事、調教士)になりたくて、そっち系で仕事をさがしていたのだけど、
いつも人手不足のこの職業、
人の隙間はあるけれど、若年で経験のない俺は嫌厭されがちで、
調大獣士は獣に襲われて死亡する率も高いし、
若年だと獣が舐めてしまうし、といろいろ断られた。
結局調大獣士ではなく普通の調獣士(小型の獣の調教士)に職が決まって、
それでもかけはなれた職ではないから、
虎視眈々とレベルアップを狙うか、と
胸をなでおろしている。

細川に内定が決まったよ、と知らせると
破顔して喜んでいた。
おいわいしなくちゃ、おいわい、とはしゃいで、
ドアに頭をぶつけていた。

その様子を思い出して、少しにやにやしていたらしい、
細川のことを考えると、
はっと気がつくとほほがゆるんでいて、困ってしまう。

さて、あいつはどこいったのかな。
一緒に帰ろうと言っていたから、校内にはいるはずなんだけど。

ふと、2組の前を通り過ぎるとき、中の景色に目をうばわれた。
二人の少年、谷山と……竹内。
ぎこちなく、ぎこちなく、そおっとお互いの唇に、唇をつけていた。
魅入っていたらしい、
竹内がはなれて、ふうっと安堵したようにため息をついて、
俺に気がついた。

「……………………!!!!!!!!!!!!!!!」

竹内の顔が首まで真っ赤になる。
谷山が、?と言う顔で振り向こうとする。
慌てて俺はそこから去った。
ごめんごめん、と心で謝りながら。

少し歩くと、後ろから走ってくる足音がした。
細川かな。危ないな、走るなっていってるのに。
少し微笑んで振り返ると、
竹内が、ほっぺを赤くしたまま、こっちに来るところだった。

「こ、小江」

ぜいぜいと息をつきながら、俺の前で立ち止まる。
「小江、あ、あの、さっき、見た?」
「んー、あー
ま、なんだ」
ちょっと焦ってごほっと咳払いする。
「仲良きことは美しきかな」
「…………」
いきなり竹内が吹き出した。
「な、
なかよきことはって」
けらけら笑う。可愛い顔で。俺はなぜか、その顔を見て、満足した。
うん、良かった。
良かった。
「ありがと」
急に竹内が、笑いやめて、それでも微笑みながら、俺に言った。
「ありがと」
「?
俺、なんにもしてないよ」
「いろいろしてくれたじゃん。
相談にのってくれたり。
かばってくれたり」
「そうかなぁ」
ぽりぽりと頭をかく。
「礼をいうことなんかないぜ。
このにーさんは照れちまうぜ」
「照れなくていいよ」
くすくす笑いながら、いきなり、竹内が俺の顔をひきよせた。
そのまま、唇を俺のほほにあわせる。
びっくりして動けずにいると、竹内はすぐにはなれて、
「お礼」
と一言言った。

「じゃ、またね、今度は卒業式に」
「お、おう」
「ばいばい、気をつけてね、小江」
「おう」

ばいばーいと手を振って、なんかどうもにやけてしまうな。
人が幸せだと嬉しい物だ。
振り返ると、角から細川が出て来た。
俺を見つけて、少し寂しげに微笑む。
ちょっと、いや、すっごく焦った。
見られた?勘違いされた?
慌てて傍によって
「あ、あのな、細川な、あれは誤解……」
「ん?なんのこと?今誰かいたの?」
顔が固まってますよ、おにーさん。
「竹内がお礼なんだって、だから、好きとかそういうんじゃ」
「わけわかんねぇ、
小江、なに言ってんだよ。
それより探したんだぞ、どこいってたんだよ」
声だけ聞くと、本当に何も知らないように聞こえるけど、
うう、目が怒ってるんだよお。
「細川、ほんとに」
「もう、いいよ。
帰ろうぜ、小江。
パパが心配するじゃん」
「ううー怒ってない?細川」
「だから、なにが。
怒ってねーよ、行こう」
「細川ー」
どうすることもできず、
手をぐいぐいとひかれながら、
絶対勘違いした、絶対怒ってる、どうしよう、と考えていた。

***

別れの予感

朝から曇り空で、
湿った風がふいている日だった、
きゅーばれみーむーんを歌っている人の
新譜が出ると聞いたので、
ほくほくでCD屋に行った時のこと。

どこにあるかな、
マイナーな人だから、あんまどどんとは売ってないだろうなーとか思いながら、
チュカ国ジャズ(その人はチュカ国出身なんだ)の新譜を探していたら、
細川を見つけた。
細川もチュカ国ジャズの棚に立って、
なんだか泣きそうな顔をしていた。

あれ以来、細川とは一度も会ってなかった、
電話をしても、細川はごめん、忙しいんだ、というし、
それは俺にとってかなりのダメージだった。
何を言ったら許してくれるんだろう、誤解なんだ、
とほんとに悲しかった。
新譜を買いに来たのも、一つは細川のことがあったから。
彼に、新しいCDを手に入れたから、おいで、というつもりだった。
そんなことで、細川がなびくかわからなかったけど。

俺は、細川がはなれようとすると、みっともないほど取り乱す。
そんな自分が哀れだと思うし、なんとかしなけりゃなんないと思う。
だけど、細川がいなくなると、いてもたってもいられなくなって、
細川をどうしても求めてしまう、会いたくて、会いたくて。
細川は、いつか誰か、「女」のとこに行ってしまう、人なのに。

そっと細川の隣に立って、声をかける。
精一杯明るいように。
「何をお探しですか、お客さん」
「……小江」
細川が、ふうっと笑った、
すっごく疲れた笑みだった。
不意に心配になる、
俺は勝手に細川が俺に会いたくなくてそう言っていると思っていたけれど
もしかして、本当に忙しかったのだろうか、
なんで?こんなに傷愴するほど?
「どうした?
疲れてるじゃないか」
「ん……なんでもない」
細川が、ちょっと顔をあげて、きゅーばれみーむーんの人のCDを見つけて
手に取った。俺の探していた新譜だった。
「ん?その人、気に入ったの?細川、
俺買うし、貸すよ?」
「……いい、俺、自分で買うから」
「……そっか」
そうしたら、もうしゃべることがなくなって、
無言が落ちる。
久しぶりに会った細川を、やっぱり俺は大好きだと感じていた、
心が、じゃない、もう、体が。
細川の、長い茶色がかったまつげや、
吐息や、気配を、全身で喜んでる。
うう。俺、すごいだめだ、だめなやつだ。
細川が、俺をいらなくなったら、あきらめる。
決めていたのに。
ずっと決めていたのに。
「なぁ」
細川が、振り返る。
その顔が頼りなげに笑っている。
「おまえのうちにあるCD、どれ?」
胸が裂けるようにぐさっと来た。
それは、つまり、もう俺の家では、
そのCDは、聞かない、ってこと……?細川。
「ん、こ、これ」
声が震える。
指した手まで震えた。
慌てて片手でその手を隠す、
細川がそのCDを手に取る。
「きゅーばれみーむーん」
「チュカ語らしいよ」
「そっか」
うん、と細川が笑った。

知ってる?細川、
その言葉の意味は、あなたを愛してるって意味で、
あなたと添い遂げたい、とその歌は歌ってるんだ。
細川と聞いていた時、俺は、その歌のあなたと
細川をなぞっていた。好きだったよ、細川。

涙がにじむ。
手でごしごしこすると、細川がはてな、って顔で見上げた。
「どうしたの?どっか具合悪いの?小江」
「い、いや、ちょっとゴミが……」
「大丈夫?とれた?」
「う、うん」
手を放すと、細川と目があった。
ふたり、
ただ少し、みつめあった。
何にも考えず、
何にも感じず。

細川。



俺は新譜のCDを、
細川はきゅーばれみーむーんを買って、
CD屋を出ると、雨がしとしとと降り続いていた。
雨、ふってるねぇって言うと、
細川は大事そうにCDの入ったバックを胸に抱きしめた。
その顔が、また泣きそうな顔になってる。
細川、細川、
声をかけると、なに?と心細そうに聞く。
折り畳み傘。
笑って鞄から出したら、つられて笑ってくれた。
「あげる」
「え……」
「あげるよ」
ぽいっと、細川の手に渡す、
細川がなにか言う前に、鞄を頭にのせて、走り出した。
いい。
この雨でいい。
泣いても、雨のせいだと言える。

***

こくはく

落ち込んでいた次の日。
夜まで、俺は全然食欲とかなくて、
起きてはぼーっとして、
仕方ないからもう一回寝ようと、
布団をしいて、入ってはぼーっとしていた。
気がつくと、夜九時をまわっていた。
無性に細川に会いたかった。
全部嘘だと言ってほしかった。
くそ、俺は、いつから。
こんななよなよしたやつになったんだ。
でも細川、まだお祝いしてないじゃん、
俺の就職祝い、
お前が良かったね、って言ってくれないと、
俺だめになっちゃうよ。
「……」
ごしごしごしごしっと頭をひっかく
「……あ”ーーーーーーーーーーーーーー!!!!!」
しっかたねぇ、悩んでたってばかばかばかだ、
風呂入って、しょうがねぇ、これからどうするか考える。
全部それから。くそ、マケネェゾ。
がばっと起き上がった途端、
きぃんかあん、
チャイムが鳴った。

何か、細川がいるような、そんな予感がして、
そっと、あけると、
はたして涙で顔をぐちゃぐちゃにした細川が立っていた。

お、おれ、おれ

ほ、細川、ど、どうした?
なんかされたのか!?
どうしたんだ!?

慌てて、細川を招き入れる、
また何かあったのかと、心の底まで恐怖で冷えきった。
震える細川は、玄関から動こうとしなくて、

おまえが、俺、レイプされそうになってんの、たすけてくれてから、
俺、ずっと好きで……

しゃくりあげながら、細川が言う。
俺はなんにも言えなくて、びっくりしすぎてなんにも言えなくて、
ただ細川を見ていた。

お、おまえが、たけうぢ、ずきだから、
は、はなれようとしたら、
あ、あのCD

俺が竹内すきー?

またびっくりする、
そう、勘違いしていたの、細川

あ、あのCD聞いたら、たまんなくなって

細川がいきなり俺にしがみついて、ずずっと座りこんだ。
慌てて、細川をささえて、
なんか、なんか俺もう。

俺とつきあえよぉ。

細川が、ぼろぼろ泣く。
ぼろぼろ泣いて、鼻水まででて、
ああ、もう

俺が……好きなの?

う”ん……

細川が鼻水をすする。

あんな、やづ、だめだがら

あんなやつ?

たけうぢなんで、だめ、だめ。

細川が俺の胸にしがみつくように、服をひっぱった

お、おでのほが、おでのほが、おまでのごどずぎ

細川ぁ

みんなに言う、お、お前がボモだっで、
づ、づきあっでぐでなきゃ

ひいっく、と細川がしゃっくりした、
涙でにじんだ目で、俺の顔を見上げて、
じっと見て、じいっと見て、

つきあって。

小声で言った。

ほそかわぁ

たまんない、心いっぱい、いっぱい、悲しいんだか嬉しいんだか、愛しいんだか、
わけわかんない感情でいっぱいになって、
細川をぎゅううううっと力任せて抱き上げて、胸に顔を押し付けて、

ほそかわぁ、
俺だって、俺だってさあ、
お前のことすごい好きで、
ほそかわ、なんだって、もう
竹内、好きだなんて言ってないジャン、俺、
俺、俺、お前のことしか考えてないのに

細川が、ぽかんと俺を見上げる

え……ええ……

え、じゃないよ、
ほんとだよ、たまんないよ、おまえ、
おまえ、俺のこと好きだなんて知らなくて
ああ、くそ、どうしよう、
嬉しい、嬉しいよ、細川、
俺、なんかもう

ぽかんとしたままの細川に、無理矢理口づけた。
舌をいれて、思う存分愛撫する、
愛しくて、愛しくて、
心のままに蹂躙していたら、いきなり細川が強く、強く、
俺にしがみついてきた。
細川の呆然としていた舌が、
俺のと絡みだす。

「ん……っん」
「ん……」

はなれて、
目をあわせて、また口づけして、
「こえ、こえ、お、おれのこと、すきなの、すき、なの?」
「うん……しごく好きだよ、
もう、ずっとずっと前から好きだったよ」
「……」
「……」
「好きだよおぉ」
細川が力が抜けたように、ばーっとなきだした、
可愛そうで、可愛くて、可愛くて
「細川……なくなよぉ」
俺はもう、胸がいっぱいになっちゃって、
細川が愛しい、
愛しい、可愛い、愛しい、
ただ、抱きしめたまま、ずっとそうしていた、
ずっとずっと、抱きしめたまま。

細川が、胸の中で息づいていた。

***

幸せになって

ちりり、ちりり、と携帯がなってる。
裸の細川のぬくもりを感じながら、
やっぱり裸のまんまで、三月とはいえ、
まだちょっと寒いので、布団を細川の肩までかけてあげて、
携帯をとりあげた、
細川は、あどけない顔ですうすう眠っている。
鼻が可愛い。唇も可愛い。
全部可愛い。もっかい食べちゃいたい。

「はい、もしもし、小江実春です」

父だった。
もう、ずっとずっと前に別れた父。
もう、ずっとずっと前に、
会わなくなって、心から、別れを告げた父。

細川の鼻をちょっとつついて、
そっと窓を見ると、
花びらがふっていた。
庭の桜の木が、白い白い、淡い鱗片を、
さあっとふらせて、
風がふくたびに、舞い上がる。
父に返事をしながら、
急に愛しくなって、細川を抱きしめる。
細川が、うん、とつぶやく。

父は、もう、卒業か、と言った。
就職は、決まったか。
好きな人はいるのか?
男か?
そうか。

今度、連れてこい。



俺は、もう、いいから。
いいから。

俺、俺幸せになりたいよ、父さん。
幸せに、なりたいよ。

細川、俺、お前のこと、好きだよ。
細川を、ゆずるを連れて行くから、
恋人だって連れて行くから、


幸せに、なっていいよね、
俺、幸せに


なっていいよね。


今の俺は知らないけど、
未来の俺は、10年後、
俺は細川の家に、養子として、家族として、
むかえられることになる。
細川のパパは、あっさりこんこんと俺らを許してくれて、
この国の政府は同性愛を認めてないから、
じゃあ、私のうちに養子になりなさいと言って。

そのとき、お父さんは泣いた。
泣いてくれた。幸せになれと。

細川は、ゆずるは、
ずっとずっとわがままで、
ずっとずっと、俺を好きでいてくれた
調獣士として、表彰されたのも、その年のこと。

でもそれは未来の話、
今の俺は何も知らない、
今は、


今は、
「うん……、じゃあ、来週、連れて行くね、
細川っていうんだ。うん、可愛い人だよ……じゃ、
ばいばい」

ちん、と携帯が切れる。
少し、ため息ついて、
細川のぬくもりをもっと感じられるように、ひきよせて、
そおっと唇に唇重ねる。
細川が、ちょっと起きたのか、俺にキスしやすいように顔を動かす。

愛してる。



愛してる。


雪のように、花びらがふっていた。
2004-03-28 838:59:59