心酔

だあちゃんは、銀の細い髪を持った、
淫魔だ。

性器が不能になっちゃった淫魔だ。

だあちゃんは時折僕をベッドの中にひきずりこみながら
小さな声でつかまえました、つかまえました、おおものです、
とふざける。僕が笑って笑ってはなしてーと騒ぐと
おお、びちびちしています、と結局ベッドの中に
―布団の中に
ぼすっといれてぎゅっぎゅっぎゅううっとしてしまう。
苦しくて甘い、だあちゃんのにおい。

だあちゃんの唇はふにふにしていて柔らかい、
僕はこのキスが大好きで、
だあちゃんが寝ているときもそっと触ってみたりする
肉感のある、ぽっちゃりした唇。
だあちゃんのからだの中で一番好き

だあちゃんは僕のおっぱいが好きだ、
ぼくのだいすきな唇でちゅうちゅう吸う、
くすぐったいけどだあちゃんが幸せそうな顔をするから
やめてーって言えない、そのかわり僕もだあちゃんにキスさせてもらう
いっぱいいっぱいキスさせてもらう

だあちゃんは不能になっちゃった淫魔だから、
ちんちんはたたない、
ただ僕を喜ばせることが大変うれしいといいながら
ぼくのちんちんをごしごししごく時がある
気持ちよくて僕は途中で泣いてしまう
そうするとだあちゃんは慌ててごめんね、ごめんね、っていいながら
もっとごしごしする。
すぐいっちゃう。だあちゃんの手はあったかくて広い、
だあちゃんの手の中でいくとき、ぼくは胸がきゅーっとして
口では言い尽くせない、なんとも甘い感触を味あう、

ぼーっとしているうちにだあちゃんは後始末をしてくれて、
その後僕を抱きしめながら、うーん私が不能でなかったらなぁ、なんて
ちょっとも寂しくなさそうに言う。
だあちゃんの胸にだかれて、少しうとうとすると、
だあちゃんはつかれちゃった?と聞きながら
ほっぺにちうをする、くすぐったくてにやにや笑いながら寝たふりをすると
たいていだあちゃんは悪ふざけしだす。
僕を起こそうといっぱい悪ふざけする、耳をなめたり、唇をかんだり。
笑ったら僕の負け。

だあちゃんの仕事は本屋さん。その片隅に
淫魔の流した涙の玉―媚薬を置いてある。
そっちの方が売れてしまうといつもちょっぴり悲しそうにしている。
だってだあちゃんの仕入れる本って、マニアックなんだ。

だあちゃんは不能だけど淫魔の知り合いは多くて、
淫魔は媚薬を人間に売りたいなーと思っている人が多くて、
でも人間界に行くのは面倒だなーっていう人のため、
仲介役で、本屋にちょこっと置いているそうだ。

そうだ、淫魔は涙を流す。
本当の愛しい人と抱き合い、セックスしたときに、
快楽の涙を流す。それは凝固して、玉になる。
よくわからないけど「淫魔の食事」にもなるし、
「人間の媚薬」にもなるんだって。
魔力と快楽の塊だから、大変高値で売れるらしい。

ただだあちゃんはあんまりお金を稼ごうとは思ってないみたい。
仲介料も、ほんのちょっぴり―それでも僕からしてみれば大金―しかとらない。
だからだあちゃんに頼む人はだんだん増えていってる。
ライバルはいるみたいだけど、だあちゃんみたいに安値で引き受けるのは
滅多にいないみたい。本より売れるとサミシーって言って僕をぎゅうぎゅうするんだ、
迷惑だー。じゃあなんで続けてるのかって聞くと、
センチメンタルなんだって、こっちの胸がサミシくなりそうな
―僕が密かに憧れている顔で、この間言ってた。

不能になった時から、だあちゃんは淫魔の食事はせず、
(つまり、性を吸ったり、愛を吸ったり)
普通の人間の食事をしている。
にんじんが嫌いだ。僕はいっしょうけんめいだあちゃんに
にんじんを食べさせようとしています。
だあちゃんはにんじんが食卓に出るたび、
やだーって言う。だめです、食べなさい、と言うと
ぶちぶち文句を言うのでお尻を叩く。
そうするとやっと

やだーもーやーねーぇといいながらもぐもぐ食べる。
まじゅうい。
ちょっと泣きそうな顔をするから、ぶぶう、と笑いをこらえるのに必死になる。

夜はあんまり遅くならないうちにベッドに引きずり込まれる。
お風呂上がりにひきずりこまれることが一番多い。
あーさっぱりした、ビールでも飲もう、と思って
油断しているともういけない。
ぐい、ぐい、ぐい、の勢いで、僕を布団に挟み込んでしまう。
だあちゃんは寂しがりだ。

僕はだあちゃんの唇が好きだ。
だあちゃんはサミシそうにいつも、僕にキスをする
あったかくて、泣きそうになる


だあちゃんと知り合った日、
だあちゃんは捨てられていた
僕は捨てられた


だあちゃんは呆然と真っ暗な裏路地で座り込んで、ただ空を見ていた
蒸しむしとした湿気の多い日
僕はひっぱたかれたほほと鼻血と痣とちょっとの小銭を持ちながら、
だあちゃんを見つけた、
もうどうなってもいいと思っていた、
この世になにも、希望も、夢も、

なんもなかった。

涙も出ない、ただ心だけひりひりして
あの時を反芻していた

――彼は僕が誘ったと言った、父は僕をうち

だあちゃんの隣に座ったのは、なぜかは分からない
ただ、だあちゃんの寂しそうな、
なきもせず、笑いもせず、淡々とした絶望の
寂しそうな顔が、僕をひきつけた。

だあちゃんはちょっと驚いたように僕を見たけど、
なんでもなさそうにまた前を向いた。
瞳にはなんにもうつってなかった。
ぼくたちはふたりっきりで、ひとばんすごした

暑い夏の夜だった

それからだあちゃんはよいしょ、と立って、
真っ白の朝日の中、

絶望したって仕方ないねぇ、
どうにもならないもんねぇ、
ねぇ、ここら辺にご飯たべれるところある?

と聞いた、
そしたら僕は泣いてしまった、
ぎゅううっとして痛くていたくて泣いてしまった
だあちゃんはすこし微笑んでいて、僕をちょっと躊躇しながら抱きしめた
ヒステリックに、嗚咽をあげながら僕は泣いた
だあちゃんはただ僕を抱きしめていた、
だあちゃんの涙は、あのとき固まったまま

柔らかな毛布にくるまい、久しぶりにだあちゃんを待っている。
いつもは僕が待たせているのだけど。
だあちゃんは恥ずかしがってるんだ。

だからお風呂からなかなか出てこない。

さっきだあちゃんと、ちょっとだけキスをした。
僕はなんとなく―なんの気もなしに、だあちゃんのちんちんを握った
だあちゃんは驚いて、やめなさい、と言ったけど
だあちゃん、あのね、不能でもぼくだあちゃんのちんちん好き、
と言ったら、なんか笑っていいのかどうしようって顔した、
だからもう一回キスした、ちんちん握りながら。

だあちゃん、あのね

見上げたら、だあちゃんがぽろぽろ泣いていた
それは―玉になって―かつんかつんと―風呂場に落ちた
銀色の、きれいな玉だった

だあちゃんがあれ、あれ、おかしいな、といいながら、
ごめんね、というから、僕はだあちゃんを抱きしめた、
ぎゅうってして、僕は小さいし、だあちゃんみたいに手のひらも大きくないけど―
ぎゅうって、だあちゃんを抱きしめた
鼻の奥がつんとして、僕も泣きそうだった


  あのときしななくてよかった
  だあちゃんにであえてよかった
  だあちゃんとあいしあえて うれしかった

だあちゃんの耳に顔を近づけて耳をなめて、だあちゃん、だあちゃん、と言うと
だあちゃんはくす、ぐ、ったい、よ、ととぎれとぎれに言った、
ぽろぽろ涙は落ちて、僕はだあちゃんを抱きしめながら、
あ、今、全部浄化してる、と思った

それからだあちゃんはお風呂から出てこない

でてきてーというと、
はずかし……と小声で言ってる。
もうそろそろしたら、ばーんてあけて、
でてきなさいっと叱ろうと思う。


だあちゃんに一度も言ってなかった言葉
だあちゃんも一つも言ってくれなかった言葉





 あいしてる



いうのがこわかったね、いったらくずれてしまいそうで、
ふたり、もしかしたら傷をなめあうためだけに
いっしょにいると、そう、くずれてしまいそうで





それからふろをばーんとあけたらだあちゃんはいきなりぼくをだきしめて
ぼくよりさきにすき、すき、すき、といって
ぼくはびっくりしていてそのあいだにちゅうをされて、

あのね、すき、なの、すきなの

と言って、びーっと泣き出した、
ぽかんとしていた僕は、だんだんだあちゃんの言い方がおかしくなってきて
笑ってしまったそしたらなんで笑うんだよーって怒る、
怒るからもっと笑っちゃって、泣けてきちゃって、
だあちゃん、だあちゃんいいながら泣いていたらぎゅうって抱きしめられて
僕も抱きしめて、どっちが言ったのか分からないほど―キスして、
好きって言って、あふれてた、今までためてきた心の重なっていた部分、


今も神保町の一角で、だあちゃんはマニアックな本をうっている。
淫魔の涙とともに。
そこにたまに、ほんのちょっとだけ

だあちゃんの涙がおすそわけされてる。
―たいていは僕とだあちゃんで食べてしまうのですが。
2004-11-17 17:02:37