ボタン

いつから
終わらない旅に出てしまい
ここまで迷ってきたように思う



しがみついていた
たくさんの、なにかが
崩れ落ちるのを感じるたびに
ただ、私が間違っていたように思えた。

―― いつから、どこから

わからない

満月だった
明るい、太陽と見間違うばかりの
明るい満月が
森の上の空に
さんさんと輝いていた

木々は光を帯びて
小さな虫の音が
森をみたしていた
静かで冷たい風が吹いている

音の海にいるようだ



気がついたら、酒場にいた
暗くてよく見えないけれど、
たくさんの酒客がいるらしい
なのに、やけに静かだった

空気が泡だつようにざらついていて
甘いにおいがして、
窓を見たら
流れるように雨がしたたっている

目を開くとうさぎがいて
私の隣でお酒を飲んでいた
琥珀色のつやつやした
重たい水が
彼の口の中に滑り降りていく

「不思議なものです」

彼は静かに、いった

「不思議なものです」

とことこと
私のそばに小さな芽をはやした
幼い子供が来て
ちいさなこえでうたった

加害者をね
せめすぎるとね
被害者がね
悪いことになってね
被害者がね
いいすぎだ やりすぎだって
なってね
加害者をかばう人がくるんだよ

ちいさなこえで
だいぶしんどそうに
うたっていた

私の隣にちょこんと座ると
ウィスキーを頼み
バーテンに20以下は、と
お定まりの文句で断られている

雨は滴り落ち
だいぶ時間がたったようだった
うさぎは酔いつぶれて
泣き上戸に、自分の話しをしていた

おう おう おう えらそうに
おまえら なにさまだ
あげあしとって
嘲笑しておいて
嫌われ
怒られたら
あいつが 悪いだの
心がせまいだの
ひとを許せる寛容さがないだの
どういう了見だ

できないことを
人にはいい
じぶんにはやけにあまい
ああ あまい あまい

小さな芽の子は
わらいながらいう

おんなのくせになまいきだとかね
いわれてね
まこと おとこのじごくより
おんなのじごくは ふかいよね
あのね あのね
おんなのくせに
せかいにしゃかいにくちだすなと
いわれてね
だからね
しっぱいしたら
ほらみろ
おんなだからっていわれてね

おうおう おうおう
おうおう おうおう

きらいなひとは、きらいなままでいいのだろう
あっちをなおしたり
こっちがわるいと さいなまれて
なおそうとしたりしては
なにか ちがうことになる

おたがいきらいあうならしかたない
きょりをおこう

ああ よった女の話は
だいぶ蛇行して
こちらまで 気分が悪くなる

おうおう おうおう
おうおう おうおう

あざらしのように
ないている
黒い酒場の、琥珀色の金色の光
ゆっくり黒と金がまじっていく
女の、涙のにおい

おうおう おうおう
おうおう おうおう
おうおう おうおう
おうおう おうおう



金色がちいさなともし火になって
空にもえている
あれは月
星も見えない真っ黒な夜
闇の中では
わたしたちは
ふたりきりでいるようだ

あなたと、わたしのことしかみえない
世界は遠く離れて
違う話をしている

置いてけぼりにされたような寂しさと
そう感じる
私のわがままさに
辟易している

それでいいと思いながら
おいていかないでほしいと
願ってしまう

わたしのさびしさ
心もとない、足場のない世界を
のろいに感じて
広い世界が私をのろっているように思う

ふたりというのはきっと誤解で
わたしからみた人の事と
わたしのことしかみえない

この闇の中は
わたしのことしかみえない

怖いと思う
静かだと思う
くるしいと おもう



ふと気がついたら
また外を散歩していて
となりに、その人がずっと歩いていた

暗い雨がずっとふっていて
海が近いのか、
あざらしのような声が聞こえる
よく耳を済ませたら
それは遠くの方で機関車か電車が
ごとごととなる音が
いり混じって
まちがえて聞こえたようだった

傘は銀色で、ぴかぴかしていて
雨粒をぱしぱしと光ながら飛ばして
きらきらにまたたいていた

ふと、雨がパタパタパタパタやんで
隣にいたあなたが
私を振り返り、
隣に、ひとがいるのは
うれしいことだと
いった

胸に暗いうみができて
その中にたぽたぽと
しずくのように痛みがたれる
色はない
いつも、あの色は
タールのように黒い

悪口を言うときは
口を食いしばって もらさず
良心、真心からの話は
すなおに、どんどん
なさいなさい

劣等感が、敵意の影をつくり
あなたの負い目が、
人の心に責められているような
中傷や、嘲笑、
あなたを傷つけるこえを
見つけるのでしょう

だから 悪意はもらさず
善意はすなおに行いなさい
もしも、どうしても
悪意をもらしてしまうなら
ただ
善良を、おくせず きにせず
つたえ にないつづけていきなさい



人の胸に咲く善良の花は
悪意の泥の中
さきほこる花
なけなしの花

人は弱いから
その花がなければ
大切に
しがみつくように
育てなければ
生きるよわさに
のまれてしまう

悪意の泥に おぼれてしまう



ふと、雨の中
まちまちを歩けば
あなたは隣にいて
ほほえみながら
足を合わせ
歩いてくださる

わたしはなにもいえないし
あなたは何もいわない
岩葉におちる雨が
いとしい音を立て
ただ、まちを音の中に
しずめていく

私はあなたを見て

しあわせって よいですね

と、つぶやいた

そう



角を曲がると、ふいに
真っ赤な真っ赤なボタンが咲いていた
それを見て
黒い湖のある胸の中に
ようやく色がついた気がした

あかい あかい
きれいな色が
ついた気がした
2011-09-20 13:20:34