アパートの部屋の中に
残されていたのは
一枚のメモだった
それには、蚊のように顔がとがった女性が
まっくろな目でこちらをにらんでいる
妙に写実的で異様な絵が描かれていた



麻美がいなくなったのは、先の三月
まだ寒いころあいだった
その頃から、麻美にはよくない噂が付いて回った
麻薬をしている、とか、ろくでもない宗教に入っている、とか
そのうち、奇行がめだちはじめ
周りが「しらべなければならないのでは」と
とうとう危険視しはじめたころ
麻美はとつぜん姿を消した

奇妙なメモを一つ残して



やがて冬に入る前
小さな雪が降った
その時、コレンに出会った
コレンは私を見たとき、あ、あなた麻美さんの知り合いですね、と
聞いてきた
確かに私は麻美の仕事知り合いだった
だけど、彼女が嫌いだった
噂が流れる前から、彼女を避けているような「知り合い」だった
――髪をはでにまとめてやけに細い手足
――あめんぼうの手足みたい
――きゃたきゃた笑い、媚びるような上目づかいで
――「ね、おねがい」と上司や同僚にしなだれかかる麻美
――媚びるものと異なり麻美はのきなみ男にも女にも嫌われていた
――「きもちわるい」と

それでぎくっとして、いえ、違います、ととっさに言いそうになった、
その前に、コレンは私に「あ、すいません、嫌いだったんですね」と
つぶやいた



コレンは探偵だった
売れないけれど、食うには困らない、小さなものを解決している、と
くれた名刺には「霊能探偵」と書かれていて
一気にうさんくさくなって、まじまじとコレンを見てしまった

それでも、よくあることなのか
彼はなにひとつ気にしていないようで
私に言う

麻美さんの失踪調査を、とある人から依頼されたんです
だけど、部屋に行っても変なイメージばかりで
しっかりした「麻美さん」がなくて
それで困っているところに、あなたに触れてしまいまして

とくに大したことでもなさそうに
コレンは自分を「イメージスキャナーのように」
過去や人のイメージをスキャンすることができる「霊能」だと告げた

「でも霊能っていうより、単なる変な能力があるってだけです」
そういってはにかむ

「けっこういい値段の仕事なんで、手伝ってくれたらうれしいのですが」
おずおずという彼はとても悪人には見えず
――むしろお金に困っている善良な一般人にみえて
――白状すれば少し気になるような美形で
つい、うなづいてしまった



「それで、どうすればいいの?」
そう聞くと、コレンは、また柔らかな笑みを浮かべて
「特別なことは何もないです、僕に麻美さんについて教えてください」



そのメモも含め、麻美のことを話し終わると、
青ざめた顔をしたコレンは「すこし、失礼」といって
喫茶店のトイレにはいっていった

なにか変な話をしたかな、と思いながら待っていると
数秒で出てくる
「きもちわるくなっちゃって」
そういいながらメロンソーダを給仕に注文し、ふうーと息を吐いた

「信じてもらわなきゃならないのかな
信じてもらわなくてもいいか」

ぶつぶつとコレンは言う
「そのメモに書かれていた虫のような人のような絵は
こんな絵でしたでしょう?」
そういって、喫茶店のペーパーにさらさらと書かれた絵は
麻美の絵のままだった、
いや、麻美の絵より絵らしく
手描きながらも味のあるタッチで
細部がわかりやすく「はっきりと」仕上げられていた

黒目がたくさんある、虫のように――蚊のように
鼻の下から唇にかけてまっすぐのびた女
手足は短く、細く、顔だけが異様に大きい

「麻美さん、もう、生きていませんね」
それからコレンはまたため息をつく
「高いはずだよーあの野郎、危険案件じゃないかー」



コレンの世界は「触れてはならない危険案件」があるのだとか
麻美の事件は最初から「そんな気がしていた」とコレンはいう
それから、少し一緒についてきてくれないか、という
なぜなら、「あなたが危険だからです」と



とある宗教団体が開発した、とある「薬物」
――麻薬のように幻覚と倒錯感をもたらし
異能感覚をもたらす、中毒者が隠れて多い「薬物」
極秘だが、その薬物は「異能」を開発する
ひとの、異能――と、言われるもの

その、案件は「もっとも危険なもの」と
コレンは道すがらつぶやいた

何処へ行くのか、と聞いたら
そんなに遠くない一つの図書館だったので
了解したのだが、

図書館につくあいだ、教えてくれた
コレンの「考え」や事件のことに少しぞっとなった

「私が危険って、どういうことです?」
「失礼ながら、あなたはご家族がいませんよね」
「え、ええ」
「親しくされている友達がひとり、ふたり」
「ええ……」
「三日ぐらいふらっと旅行に行かれるのが趣味」
「ええ」
「つまり、メモをみたあなたが消えても
近々では「調査」すらされないからです」
「メモが危険だっていうのですか」
「できれば僕の知り合いのところにいてほしいのです」
「そんなに危険なメモだったんですか?」
「麻美さんの部屋にあったはずなのに、
次の時、上司がきたらもうなかったんですよね
他はなにもなく
メモだけが一瞬で消えていた」
「……ええ」
言ってもいないのに、次々に当ててくる
ここまでくるとコレンの「イメージをスキャンする」というのが
真にせまってくる

たしかに、麻美が失踪した1週間あと
会社の命令で麻美の部屋に立ち入った

会社も私たちも無責任な麻美が仕事を放りだして
「とんずらした」ぐらいにしか思ってなかった
ただ、勝手に持ち出された書類が
「重要ではないものの無いと困る」ものだったので
会社寮だったこともあり、
そのルームメイトの美香さんの許可を得て入ったのだ
――美香さんと私たちは
子会社の人として知り合いだった
――ずいぶん前から帰ってこなかった、と
美香さんは言っていた
いなくなる三日前ぐらいに不意にあらわれて
なにかして、出て行った、と

必要書類がすぐに見つからず、美香さんの監視のもと
上司と「できるだけ部屋を触らないように」探した
麻美の部屋にはいったのは私が最初だった
上司は美香さんと話していた
麻美が逃げるようなことを言っていなかったか、とか
麻美が失踪したのは正確にはいつごろか、とか

部屋に入ってすぐ私はメモに気が付いた
グダグダな文字の羅列
「いじょうしゃ ろくでもない 歯抜け 人間じゃない」
そして、絵
すぐに頭に焼きついた
「美香さんはこの部屋に入ったことがなかったのかな」と思い
ふりかえり、上司と美香さんに声をかけた
ふたりが部屋に入ったとき、メモはそこになく
私は「疲れていたんだろう」ということになった

――会社はその後警察に連絡した、そのあとのことは知らない――



「あの絵にかかれていたもの、は、
汚蚊といいます
よごれた蚊とかきます
もと、人間ですが、
人間ではありません
あれは、極秘なんです
その薬物をやっているうちに
変質して、最後にはああなってしまうんです」
それでね
コレンは唇をひとつなめた
「信じてくれるといいんですが、
けっこう、知っているってだけで、あなたは危ないです
だから、ここにいてほしいのです
えっと、落ち着くまで。
外に出るときは、みゃーこと一緒にでお願いします」
図書館の司書だという、みゃーこさんは、
毛先がゆるくカールした長い茶髪の小柄な女性で
えくぼをつくって笑って
「でてきた部屋とか大丈夫か?」といった

図書館の中、少し大きめの図書館はまるで迷路のようだ
その角を何度かまがり、鏡を裏返すと扉があって
マンションとでもいうか、部屋があった

深く信じたわけではないし
かといって、疑ってもいなかった
真実味のあるコレンの「イメージ」や
麻美の不気味なメモや、そういったことが重なって
どこか、
自分の家――ひとりきりになってしまうあの家――には帰らず
そうしてしまいたい気持ちになっていた

「自由に出入りしていいですか」
「だいじょうぶです、ぜんぜん
ただ、警戒はしてください
みゃーこと離れないようにお願いします」
「じゃ、お願いします」

コレンもみゃーこさんもここに住んでいるという
部屋にとおされ、一通り見て、ひといきついて
持ってきた荷物だけで事足りるような性格だから
落ち着くまで帰らなくても大丈夫です、というと
みゃーこさんはうれしそうに「つかれたっしょ、珈琲のみなよ」と
あたたかい珈琲をそなえつけのポットからいれてくれた



「薬物」について
汚蚊におちた人間の特徴

・「人間だったもの」が大きさからしてネズミからゴキブリ程度になる
・人の血、肉、骨を「吸う」ようになる
・特殊な酸を口から吐き、肉骨を溶かし吸う
・吸った後、自身の排泄物を代わりに相手の血管に注入する
・「吸われる」と多幸感、異能感、倒錯感が全身を襲う
・その排泄物を食しても同じ感覚に襲われる
・吸われ続けると、色覚をはじめあらゆる感覚が変質
・言語が変質(言葉が通じなくなる)
・肉骨を溶かす酸のため、顔、体が崩れていく、歯抜け、毛抜けなどが発生する
・変質が進むと、毛のような「カビ」が全身に生える
・汚蚊前段階あたりはカビた肉の塊のようになる
・目の形が異様化する(黒目の増殖、突起化、など)
・変質していく過程で様々な幻覚幻聴をあじわうが
 変質過程にあるものは、つねに「冷静」であるらしい
・最終的に脳が変質
 脳みそだったものが
 「白く細長い卵の群生」のような状態になる
・この薬物の影響により、血を吸うようになるのは、早ければ人間体の時から

※要注意事項※
・異能が開発される
 ※異能例※
  ・身体能力の大幅な向上
  ・空を飛ぶ、エスパー、念力、など
・汚蚊に近くなればなるほど異能は深まるようだ



コレンが渡してくれた書類には
上のようなことと
「汚蚊」の写真のコピー、数枚
それと、「汚蚊の絵」のコピーが数枚

汚蚊の顔はすべて同じに思えたが
すべて「違う人間だった」らしい
「顔、同じになっていくんです」と、コレンが言う
私は麻美を思い出す
どことなく、汚蚊の顔は、麻美に似ていた
いや、麻美が、この顔に似て行ったのか

また、汚蚊の絵はどれも
「鉛筆や絵筆で描いたように加工した写真」にしかみえなかった

最後に、蓋のところに黄色いテープがばつ印にはられ
封されたビンに何かが入っている写真のコピー
「薬物・ヴァンパイアスペシャル」
ラベルがしてある
それが、その薬物だという
よく見ると、ビンの中には
まるで真っ黒くうねった虫のようなものが入っている

「その薬物は、実は薬ではありません
植物、食べ物、どれも違います
変質した元・人間「蚊」の
うんちなんですよ」

誰から始まったか、どうして作られたか
噂では「多くの病にかかった男が、その薬物の根源だった」という

気持ち悪くて私は顔がゆがむのを感じた
「どうしてそんなものをみな、口にするんです」
「麻薬と同じような倒錯感があり
蚊の排泄物だから「収穫」が非常にたやすいらしい
だから手に入りにくい麻薬代わりにつかれている、とか
いろいろ聞きます
薬物中毒者が最後にいきつく「くすり」だとか
一度でも口にすると
異常に中毒性が高く、食物の感覚が変わるので、
手放せなくなるとか
それと重要なのは、……「特別性」でしょうね」
「特別性?」
「……麻美さんの絵、絵らしくなかったでしょう」
私は麻美の絵を思い返しながらうなづく
手書きなのにまるで写真をみているかのようだった
異様な絵
この、汚蚊の絵のように
「この絵もすべて、そうでしょう
異能――特別、特殊能力が開花されるんです
それを口にしていると」
でもそのかわり
コレンが一息つく。
重いものを背負うようにため息を吐く
「人の血や肉を【吸う】ようになる」
「……吸う?」
「食物がかわるんです
趣向ではなく、肉体が変質して。
口、歯が全部抜けて、
よだれのかわりに酸がでるようになって
それで、人に吸い付いて
体を、肉を骨を血を溶かし、吸うようになるんです」
「うげええ」
「うげええ、あはは」
私の声にコレンが笑った
「うげえでしょう」
「うんち食べて人吸うようになるんですか」
「なるんですよ」
うげえ、と私はまたいう
実に気持ちの悪い話
「うげえ」がそんなに面白かったのか
コレンはくすくす笑いながら
歯も抜ける、毛も抜ける、
――中毒しているうちにカビみたいな小さな毛が生えますが――
言葉もしゃべられなくなる、
声も変になっていく――甲高く、甲高くね
そのうち、蚊のなくような声に変質していきます
「でも、そのかわりに、特殊能力がね、開花されていくんです」
たとえばエスパー、たとえば念力、たとえば透視能力、未来予知
また「写真絵画」もかけるようになる
「写真絵画?」
「写真、というか、みたものを
そのまま、写真のように紙に写せるようになるんです」



「吸血鬼になる薬とか
エスパーになる薬とか
生産のしかたも容易いから
わりあい安値で取引されているんですよ」
そういって、頬半分で笑うコレンは
浮かべている笑みとはうらはらに、
凶暴な顔をして
「じっさい、吸血鬼でもエスパーでもない
たんなる汚蚊に変質していくだけです
その変質する間に、脳が異常化して
変な能力が出てきたりする
それだけです」
そう吐き捨てた



「しばらく留守にします」といって
三日後に、コレンが帰ってきたとき
彼は「焼肉食べに行きましょう」といって
部屋で気絶するように寝てしまった

「しごとうまくいったんだねー」とみゃーこがいう
「ねー、あなたここにすみなよー」
「ええ?っていうか家賃いくらぐらい?私ずっといるけれど」
それは魅力的だなぁ、と
すっかり住み心地に惚れてしまった私は答える

仕事は、実は、コレンに出会ったその日が退職日だった
麻美のけんで、とても嫌な気持になったから、だった
もしも住んでいいなら、
違う職を探してでも、住みたいな

話していると
コレンが起きだして
「そうだこれ、あとで焼肉いくまえによんでおいてください」と
一つの新聞と、メモを渡してくれた



メモ、というか
メモのコピーだった

それは拙い、まるで字の書けないもののような字で
だけどどことなく、麻美のような字で
「わたしは、ふりーになった
じぇんだーもこえた
さべつもきえた
いのちをも こえた じゆう
わたしは ふりーになった」
そう書かれていた



新聞はふたつあり、ひとつは、小さく、
私の勤めていた会社が「火事」になり
金庫や書類保管庫が焼けてしまったことを告げていた

もうひとつは、
とある宗教施設で大量自殺があったことを
大きくとりあげていた



「メモに描いてあった汚蚊、
あれは、汚蚊になりかけていた
麻美さんの自画像だったようです」
そう、コレンは教えてくれた



麻美さんは、あの会社の「企業秘密」を
「お土産に持ってこい」と言われていたらしいです
それで、「重要そうな書類」を持って行ったそうです
僕と刑事さんが踏み込んだとき
もう、後の祭りでした
いくにんも、いくにんも
汚蚊になりかけながら、腐り死んでいました
たぶん「薬物パーティー」でもしたんでしょう
生き残った汚蚊はひとりもいませんでした

どうも、大分前から皆でしていたのかもしれません
いくつもいくつも、汚蚊のしたいばかり
だいぶ経っているのもありました
そのどれかに麻実さんがいたのは確かでしょう
そのメモ書きが落ちていました
――たくさんのメモ書きがおちていました
この汚蚊の集団は書くことに
意味をもっていたようです――
でも、どれが麻美さんなのか、
わかりませんでした

そうして大量に、現実的ではない
濃いイメージがのっこっていました

まっ白い繭の中のような空間
大勢の「あたま」――全員、汚蚊の顔です――が
糸のひとつひとつにくっついて汚れ、ただれ
それがうめきながら互いに
カビのぶぶんから白い糸を飛ばしあっているんです
悲鳴のような、蚊のなきごえ
汚蚊のうめき声がたくさん響いていて
その中心に、真っ黒に汚れた女――いえ、男がいるんです
それがいうんです

「悪魔になろう」「悪魔になろう」



焼肉を食べ終わり、みゃーこさんが私を住まわせたい旨をコレンに告げた
コレンは少し眉をあげて
「あなたは気づいていないでしょうね
実は、かすかなものですが、あなたも異能者なんです」と
不意に言った
みゃーこが驚いたように「そうだのにゃ?」という
――驚くとみゃーこは「にゃ」という――

「あのマンションは住み心地が良かったでしょう
あなたがそれでいいなら、ぜひ住んでほしいです
家賃の件も、あなたの異能に関して話があるので
そのあとで、また、打ち合わせましょう」

外に出ると満天の星空だった
不思議なぐらい、心の中がすっきりしていた
もしかしたら私は「こわかった」のかもしれない
麻美のメモ、消えてしまったメモ
その内容、異様さ、説明のつかない恐怖を
ずっと抱えていたように思う

麻美が死んだと聞いて
悪いかもしれないが、ほっとした

コレンがごちそうさまでしたー、と言いながら外に出てくる
みゃーこが私の手を突然握り、あったかいにゃーという

「悪魔ってなんなのかにゃー
 悪魔になってどうすんだろう」
その言い方に思わず笑ってしまう
「特別になりたい人は、いつでも、どこでも、たくさん、いますよ」
そういってコレンがもう片方の私の手を握った
「あ、あの」
「さあ帰りましょう」



「にゃーこは特別じゃなくていいにゃー
好きなやつらと一緒にいられるならそれでいいにゃー」
図書館への帰り道
ぽつ、ぽつりと
みゃーこがいった