なんかどうでもいい。

やってることだのやりたいことだの
どうだこうだ ああだこうだ
意味をつけんのは簡単だけど
所詮やれたかどうかだけで、
「やりたい」とか
「これにはこういう意味がある」とか
何だってどうだって言えるもので
ひとまず聞いてくれるなら言いたい

何かを感じたならそうすればいいだけなのに
なんで人に自分の行動いいわけしとんの?

ご立派なご解説をつけなきゃ
やれないことなんか、
ひとつもないだろうに

結局 口だけで濁して逃げたいだけじゃない

偽善だの偽悪だの
芸術だのコミカルだの
人から見えたラベルは
本気でしょーもないし、どーでもいい。

自分の行動云々がどう見えて欲しいか
口すっぱくして言わなくていいし
むしろ真意だのなんだの本気でどうでもいい。

「あーご立派ご立派」って言われたいなら
気取って自分らしさを作れば良いけど
やりたいって言ってるだけじゃ
やったことにはならんし

自分の創作物ややってることに
「こういう意味がある」って
解説するのはみっともない。

なりたい自分なんか居ないんでしょ。
見せたい自分が居るんでしょ。
格好いい自分になりたいだけでしょ
つくりたいものなんかないんでしょ。

くそくだらねぇ口聞く暇あるなら
とりあえず行動したら?
迷いながらでも、動けば動いただけ
時間は経つ。

言葉は、使わなくていい
添えるだけでいい
絵の具も紙もネットもパソコンも
技術も考え方も
道具に過ぎない

使わなくていい
使われなくていい

使いたいなら 使えばいい
(シリーズ: エン )
2009-11-28 14:24:29