〜・・・Return Hitogorosi・・・〜
没文・キブちゃん
ごめんなさいって
何度言えば
許してもらえるの

川原をじっと見ていると
吸い込まれそうになる
僕は小石をちょっと握って温めて、ぽんと放った
小石はくるくる舞いながら、川に落ちた
滝川君につけられた足の傷がじくじく痛い
血がゆっくり、流れ出ている
固まりながら
黒く、醜く、足を汚していく

ズボンに付いた泥を、擦り取って僕は鼻をすすった
泣きたくなんかないのに
あの人達に暴力を振るわれると、何故か涙は止まらない
嗚咽と鼻水をまき散らす僕を、あの人達はとても面白そうに見る
惨めで、痛い

ふと、視線を感じて見上げると、少し微笑んでいる小さな少女が立っていた
「なに・・・見てるの」
僕はちょっとだけむっとして
まだ僕にそれがあるなら、少しだけ、プライドを傷つけられて、少女に問うた
彼女はずっと見ていたのだろうか
僕が這い蹲るところも
僕が頭を地面に擦り付けるところも
少女は手にしていたクマのぬいぐるみを、そっと撫でると、僕の隣に座った
「なに?」
僕は精一杯不機嫌に聞こえるように、少女に聞いた

■■哀
不意に少女が顔を顰めた
とても哀しそうな、泣き出す寸前のような顔だった
「わ、な、泣かないで」
僕は驚いて少女の肩を掴もうとした
少女がさっと身をかわす
「あ、ご、ごめん、でも泣かないで」
ぱちぱちと瞬きをする
もう一回目を瞬いたとき、少女は視界から消えていた
ぎょっとして辺りを見渡す
だけどどの草陰にも少女の姿は無かった
消えてしまった?煙のように
まるで、幻のように

もしかして、僕はとうとう幻覚を見るまでになったのだろうか

■■喜
不意に少女が微笑んだ
金色を太陽に溶かしたような笑みだった
僕は驚いて、目をぱちぱちさせた
もう一回目を瞬いたとき、少女は視界から消えていた
ぎょっとして辺りを見渡す
だけどどの草陰にも少女の姿は無かった
消えてしまった?煙のように
まるで、幻のように

もしかして、僕はとうとう幻覚を見るまでになったのだろうか

■■■

あの人達はとても嬉しそうに僕を追いかける
まるで何かのゲームをやっているように
それに夢中になっているように
僕は心臓が爆発するほど一生懸命足を動かす
口の中で錆びた10円玉の味がして、
倒れそうになるぐらい、走り続ける
だから・・・町に・・・行かなければ・・・
途切れ途切れの思考はそればかり繰り返す
町に行かなければ
町に行かなければ
追われることも無いのに
何故僕は町に行ってしまうのだろう

逃げ込んだ人気のない公園で、
僕は木の陰に隠れた
ぜいぜいと音を立てて息をつき、
跳ね上がっている心臓を何とか沈めようとする
「おい、いなくなっちゃったぞ」
「ふざけんな、あのやろう」
「さがせ、そこらへんにいるはずだ」
怒鳴りながら・・・でも笑いさざめきながら、
彼らが走る音がする
なるべく身を小さくして、僕は祈った
もう、神様なんていないこと、知っているのに
祈らずにいられなかった
どうか見つかりませんように
どうか、見つかりませんように

不意に、目の前にあの少女がいるのに気がついた
一瞬心臓が止まるかと思った
僕はじっとりと汗ばんだ掌を2・3回無理に広げて、握って、心を落ち着かせた
大丈夫、彼女は彼らじゃない

「・・・教えないで」
僕は思わず涙声で彼女に頼んでいた
「教えないで、隠れさせて、お願い、あっちに行って」

■■哀
少女は深く、哀しげに目を伏せた
僕は何故か強い惨めさを感じて、言葉を失った
少女にこんなにも哀れまれているのは、自分なのだろうか

木の陰に、彼の姿が映った


心臓が、止まるかと思った

「いーたー!!!」

大声で彼が叫ぶ

「あ、あ」

僕は言葉にならない言葉をあげて、
また走り出そうとした
彼が僕の腕を掴んで引き寄せる
「逃げてんじゃねぇよ、この馬鹿」
「・・・・!!!」
一瞬息を止めて覚悟した途端、
下腹に、彼の靴がめり込んだ

彼らが歓声を上げて集まりだす
うっすらと意識の端で、
少女がいないことに安堵を覚えていた

■■喜
不意に彼女は僕の手を取った
ぎくりと、僕の体がこわばる
痣とタバコの火傷の痕のある腕を
彼女はしげしげと眺めた

強く、彼女が僕の手を引いた
「そっちに行ったらばれちゃうよ!!」
僕が声を潜めて慌てると、
彼女は振り返って微笑んだ
大丈夫、その顔が言っているようだった

引かれていった先は、
お椀をうつぶせにおいたような
半円の小さなドームだった
所々に丸い穴が開いていて、
そこから子供達が遊べるようになっているらしい
こんな時間では、さすがに遊んでいる子供はいない
彼女に導かれるままに、僕はそのドームの中に入った
小さくて、窮屈だった

どたどたどた

彼らだ
息を止めて僕は目を瞑った
彼らだと一瞬に分かる足音は、しばらく辺りをうろうろして、
そしてやがて遠ざかっていった
ぶつぶつと、文句を吐き出しながら

ゆっくり、目を開けると、
少女が微笑んでいた
僕はほーっとため息をつて力を抜いた
もう、大丈夫だろうか
大丈夫なんだろうか

「ありがとう、助けてくれたんだね」
言って気がついた
もうすでに、少女がいなくなっていることに
また、消えてしまった・・・・?

何とも、不思議な少女だった

■■■

いつものように、彼らから逃げて路地裏に隠れると
僕は息をついて、しゃがみこんだ

もう、なんだか疲れてしまった

彼らから逃げるのも
彼らに許しを請うのも

いつになったらこの地獄は終わるんだろうか
いつになったら彼らは、止めてくれるんだろうか

考えているとだんだん追いつめられていく
誰も助けてくれない事は知っている
母も父も先生も、誰も
でも、もう、一人で戦うのは疲れてしまった

顔を上げると、少女がいた

「また・・・会ったね」

少女は微笑んで、僕の隣まで歩いてきた
「・・君は何なの?僕の幻?」
少女が首を傾げる。
宝物の小鳥のように、愛らしい。
「・・・味方・・・?」

■■哀
少女は哀しげに、首を振った

僕は、予想していたものの、
強く、痛みを感じた

「そっか、そうだよね・・・」
首を振って、痛みを追い出すと、
僕は下を向いた

硬い、赤茶けた地面が見える
冷えていて、座っているとお尻が冷たくなっていく

「なんか疲れちゃった」
笑って、自嘲気味な笑みだったけど、なんとか笑って
僕は言った
ため息のように、言葉が吐き出された
「彼らの暴力が、痛いんだ
彼らは、僕よりもずっと喧嘩慣れしてる
手加減しながらいかに痛めつけるか、知ってる・・・」
少女が僕の隣に腰掛ける
「だたずっと殴られてると、痛いより・・・
痛いより・・・・」
地面がぼやけて、暖かいモノが、頬を伝った
「辛くて・・・」

誰も、助けてくれなくて

僕は要らない奴なんだ

僕は人間じゃないんだ

そんな気になる

確かに僕は人間じゃないんだ
彼らにとっては
下等な、動物なんだ

ドンドン、ドンドン、崩れてく
僕の中で、崩れていく、何かが
止めたくて、痛くて、辛くて、

このまま、人間じゃない、人間になっていく

そんなようなことを、淡々と僕は吐き出した
ぽろり、ぽろりと、何故か涙が頬を何度も伝った

気がつくと、少女はいなかった

■■喜
少女が太陽のように微笑んだ
僕は一瞬だけ、一瞬だけ、泣きたくなった
「嘘ばっかり言うな!!」
気がつくと怒鳴っていた
「結局助けてくれないくせに!!
結局・・・結局、僕は一人なのに」
ぽろりと、涙がこぼれた
気がついたら、泣いていた
彼らに殴られたときの、涙じゃない
もっと苦しくて、痛い
「独りなのに」
涙でかすんだ景色の中、少女が哀しげに、眉を顰めている
「なんでそうやって、希望を持たせるんだよ」
そうだ
お母さんも
お父さんも
先生も
最初だけは
味方のふりをして
助けてくれるかも知れないって
もしかしたら、彼らを止めさせてくれるかも知れないって

期待して


どうして、みんな、諦めてしまうの
どうして、力つきてしまうの

僕は力つきても、倒れても、終わりがないと言うのに

涙は後から後から流れた
嗚咽をあげて僕は泣きはじめた
目を瞑って、ずっと泣いていた

少女はいつの間にか消えていた

■■■
まだ、心臓がドキドキいっていた
滝川君が立ち去った川原で、僕はぼーっと立ちつくしていた

呼び出されたのは早朝
もう何ヶ月も学校に行っていない僕は
てっきり滝川君は学校に行っている物だと思って
油断して外をぶらぶらしていた

家の中にいると、母と父がとても辛い顔をするので、
外に出なければいけない

不意に、腕を掴まれた
反射的に逃げようとする体、振り返る顔
そこに、滝川君がいた

いつになく、真剣な顔をしていた

連れてかれた川原で、僕はまた殴られるのかと思った
だけど滝川君は、殴る代わりに、僕に言ったのだ

お前が好きだ



へは、と、僕の答えは間抜けだった
まさかそんなことを言われるとは思っていなかったので
相当僕は驚いていた

何を言われたのか、ちょっと分からなかった

滝川君はただ黙ってしまったので、
僕はぼんやりと彼を見ながら、ゆっくり考えが昇ってくるのを待った

あの、それって好きって事?

全然信じられず・・・またこれは新たな嫌がらせかと、
僕はもう一度、聞いた

お前男だし

滝川君は言った

絶対叶えられねぇって思ったらにくったらしくて・・・・
でもよぉ・・・、もういじめんのも、俺・・・
悪かったよ、もう、いじめねぇよ・・・・

じゃあな、言ったかったのはそれだけだ

そう言って滝川君は立ち去っていった
僕はぼーっと、
ただぼーっっとその後ろ姿を見ていた

何を言われたのか、まだよく分からなかった

何時間そうしていただろう
ふと気がつくと、当たり前のように少女が目の前にいた

「・・・君か、」
僕は肩の力を抜いて微笑んだ
少女も微笑みかえす
「・・・、今、滝川君に、好きって言われたんだ」

■■哀
少女は哀しげに眉を顰めた
僕はぎゅっと心臓が掴まれるような想いを感じた
「そ、そうだよね、嘘だよね、信じちゃいけないよね」
僕は何故か彼女を直視できず、
ドキマギと、目をそらした
そうだよね、嘘だよね、と何度も小声で繰り返した
信じちゃ、いけないよね

■■喜
少女は嬉しそうに微笑んだ
僕は少し驚いて、その笑みを見た
「本気だと思う?」
少女はただ微笑むだけで、なにも答えてくれなかった
その笑みを見ながら、僕はぼんやり、考えていた

■■■

川原でぼーっとしていると、
向こうから彼らが来るのが見えた
咄嗟に隠れようとして思う

滝川君、もう苛めるの、止めるって・・・言った

ドキドキしながら僕は待った
あの時の滝川君が、嘘なのか、本当なのか、見極めるために
そのまま、立ったまま、彼らが僕に気がつくのを待った

最初に気がついたのは滝川君だった
僕を見た瞬間、何とも言えない複雑な顔をした
「あ、ゴミダメちゃんじゃーん」
次に気づいた滝川君の友達が叫ぶ
「やめろ!」
走り出そうとした彼らに、滝川君が叱咤した
「・・・?」
「・・・、滝川?」
「あれはもう苛めるな」
「はぁ?マジ?」
嘘だろ、とかどうしちゃったの滝川君、とか、
彼らがはやし立てた
「うるせぇ、何でもいいからもう絶対イジメンな」
それだけ言うと、滝川君は無言でざっざと歩いていった
つまらなそうに彼らが後に続く

僕は呆然と、その様子を見守っていた

何分経ったのか、ふと、手にぬくもりを感じて、見ると、少女がいた

■■哀
少女はただ哀しげに、佇んでいた
僕は彼女をじっと見た後、
首を振って、うなだれた

ちっとも分からない
何がなんだか

■■喜
少女はただ微笑んでいた
僕は彼女をじっと見た後、
首を振って、うなだれた

ちっとも分からない
何がなんだか

■■■

この頃は町も安心して、歩ける
あれ以来、滝川君も彼らも、僕を見ても
絶対に手をあげようとしなかった
僕はだんだん、だんだん、警戒心を解いていった
その矢先のことだった

「油断させてんだよ」
飛び込んできたのは、滝川君の声だった
夜の公園
何故か好きで、よく行くそこに、彼らがいた
「油断させて良いように操って」
僕のことだ
不意に気がついて、かっと頭に血が昇った
途切れ途切れに彼の声が聞こえる
公園の門に、指が白くなるほど強く、掌を押しつける
「そんで奴隷に・・」
「なんでも言うことを聞く・・・」
キャタキャタキャタ、と滝川君が笑った
僕はじっとそれを見ていた
だんだん、だんだん、掌が震えて、体が震えてきた

ずっと我慢していた、何かが切れる音がした

気がつくと僕は彼らの前に立って、
滝川君の頬を強く叩いていた

驚いて滝川君が頬を押さえる
「名木!?」
震えながら僕は手を降ろした
体のそこから熱が引いていく
代わりに、暗い、暗い重い物が、胸に広がっていく
「・・・馬鹿だ・・・僕・・・君のこと・・・信じて」
涙が、不意に溢れた
小さく叫んで僕は駆け出した
「おい名木!!!」
滝川君が後ろで叫ぶ







泣きながら走って、走って、たどり着いたところは、
川原だった
「名木!」
後ろで滝川君の声が聞こえた
遠くの方で
目の前に、少女がいた
涙の中で、ぼやけて揺らいでいる
僕の心は黒かった
真っ黒で、塗りつぶされていた
なにも感じなかった
なにも考えられなかった
涙だけが、やけに熱かった

■■哀
「名木!!」
後ろから呼びかけられた瞬間、僕は川に飛び込んだ
がぼがぼがぼっと、冷たい水が口に入り込む
誰かが僕の腕を触った
誰だろうと、思う暇もなく、僕は溺れていった



意識を失う前に、少女を見た気がした
少女は泣いていた
号泣していた
僕を責めるように、ぼろぼろと泣きながら、僕を見ていた

■■喜
「名木!!」
後ろから呼びかけられた瞬間、僕は川に飛び込んだ
がぼがぼがぼっと、冷たい水が口に入り込む
誰かが僕の腕を触った
誰だろうと、思う暇もなく、僕は溺れていった

柔らかな、何かが唇にあたって
そこから空気がひゅうひゅうと入り込む
気持ちよくて、僕はうっとりと目を開けた
目の前に、滝川君の顔があった
「げほっっげほげほ」
途端に体の中から水が逆流して、口をついてでた
げーげーと吐く僕を、滝川君は背中を撫でて、何度も名前を呼んだ
「名木、名木、大丈夫か、大丈夫か?」
「たき・・・がわ・・・・」
「馬鹿だよ・・・お前馬鹿だよ」
滝川君はびしょびしょに濡れていた
滝川君の後ろに、一杯の人がいる
誰かが呼んだのか、救急車の音が近づいてくる
誰もが不安そうな、それでいて好奇心を刺激されたような顔をして、
僕らを見ている
「触らないで・・・」
気がついて僕は滝川君の手を払った
「・・・、お前、勘違いしてるだろ・・・」
情けなさそうに、滝川君が笑った
泣き笑いのような、辛そうな笑みだった
「あの話し・・・ドラマのことだよ、お前の事じゃない」
「嘘!」
「嘘じゃねぇよ!!!」
怒鳴って、不意に、滝川君の目からぽろりと、水滴が落ちた
ぎょっとして、僕は彼を凝視する
ぼろぼろと、滝川君は泣き始めた
「お・・・まえが・・・死んだら・・・」
「・・・た・滝川君」
「・・・馬鹿野郎」
馬鹿野郎、と、何遍も言って、滝川君は顔を覆った
僕はじっと見ているうちに、なんだか泣きたくなって、笑いたくなって
そうか、と何かがやっと崩れるのを感じた
ほっとしたような、力が抜けたような、どうにも切ない気持ちだった
ぽろぽろと僕は泣き始めた
そうか、と思った
滝川君が嗚咽をあげる
僕はじっと彼を見ながらぼろぼろと泣いた
ぼろぼろと、ぼろぼろと、泣いた

救急車がだんだん、だんだん近づいて
物見高い人々が足を止めて僕らを見た

恥ずかしげも無く、僕らは泣き続けた


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