なんか思い立って
ロイヤルマサラチャイをいれたら
豆の味がですぎていて
ロイヤルマサラチャイにならなかった
そんな程度なのに
ふてくされている

しょっちゅう
天神と喧嘩していて
もう、なんかこう
どう言うていいかわからんけれど

喧嘩って良いよなぁというか(変か?)

変な話なんだけれど
喧嘩できるから、天神が
信頼できるのかもしれん

なんかしてきて
それが
お互い気に入らないと
キーキーゆうとゆう……

天神も私も
生命だから
「こうである」ていう
概念にあるわけじゃない

日によるし
概念のように固定はされんし
柔らかさみたいなところか

天神が、カテゴリーやラベリングや
「こうである」には、なくて
りゅうどうしている
「彼の好きなようにしている」ところ

うまくいえんけれど

いきものは概念ではない

天神が概念のように
きまってなくて
好きなようにしているから
その時、その人、状況によって

だから
かたまりではなくて
柔らかいところがあるから

そんなんが嬉しい

仲直りできるところも嬉しい

……

世界は、概念ではないから
りゅうどうしている
生き物そのものだ
運命も柔らかい

概念をもって
概念どおりじゃないと
レッテルにしたがるのは
頭の中にすぎない

……

概念と生命が
イコールにならんことが好きだ

……

天神は
私が気にかけることを
気にかけてない

そんなんで
けんかになる

みえないもんだけど
違う視野や思慮を持つ
気の合うひとっていいもんだと思う