ゆきおんな

道を歩いていたら
きゅうに、ふぶいてきて
まだ太陽のひかりがある中
やわらかな雪がふわふわ、風に流れおちてくる

むごんで下を見ながら
ぎゅっぎゅっと
むちゅうで歩いていたあいちろうは
ふ、と
前にだれかが居るのを感じ
顔を上げた

紅いスカーフをあたまにつけた
化粧気のない女の人が
あいちろうをじっとみおろしている

―― ……

むごんでみつめかえしたら
女のひとは、ふっと笑う
まるで何かをごまかすように

おかあさんも、たまにするかおだ
あいちろうは思う

それから女のひとが
そのカサカサの唇をうごかして
すこし乾いた声
疲れはてたような声で
話し出す

こんにちは
あたしね、ゆきおんなの、
ここいらで
よいおとこを
さがしているのよ
どこかにいない?
こおらせて
つれてかえるの

よくみると
その人の足には靴がない
はき壊しでもしたのか
ほそい右手でサンダルをもっている
夏の海辺で若い少女がつけるような
おしゃれな模様の入ったサンダル

黒いワンピース一つ
ひざまであるすその下
まっしろい、棒のような素足
われて、血がにじんだ爪が見える

頭の上のスカーフだけが
冬にさく椿のような上品な紅
こまかい金のきらめきが入っている
ひにひからされ美しくて
みょうにういている

そうして
つめたそうなコンクリートに
かかしのようにつったって
あいちろうに
もういちど、笑う

あのね
あたしね
ゆきおんななのよ

彼女の目を
じっと、見つめながら
あいちろうは
母の目を思い出す

すこしだけ違う
かあさんの、あたたかな目と
少しだけ違う
なにがちがうか
うまくいえないけれど

―― さむくないの……

聞いたら、彼女は重心を右側にかたむけて
左肩をあげ
考えるように首をかしげて
それから笑った

―― さむくはない けど さみしい……

急に怖くなって
さよなら、と
とても速い口調でさけび
はしりだす

母に頼まれていたポン酢を
ビニールごと胸にだきしめる

さよならっ!!!

―― うん ばいばいね げんきでね

うしろのほうで
そのひとが
手を振っているのを感じながら
背にあるぞわぞわした妙な気持を
ふりはらうように
はしり、はしり、走り
角を曲がってもっともっと走って
とうとうたどりついた
家の玄関をらんぼうにあけ
飛び込んだ

母がでてきて
おや
おまえ、そんなにいそがんでもいいのに
ぽんずあったかい、だいじょうぶかい、
そう聞く

あいちろうは
ぜいぜいと肩で息をしながら
くしゃくしゃになったビニール袋ごと
ポン酢を差し出し
急にこみあげてきた涙を
おさえることもできず
え、え、え、えぐ、と
泣き始める

母はおどろいたように
ちかづいてきて
どうした、なんかあったかい
そう聞く
こたえることも
なきやむこともできず
しゃくりあげていたら
母はあいちろうを急に抱きしめ
まるで乳飲み子のように
うたってくれた

 だいじょうぶだー
 だいじょうぶだーったら
 だいじょぶだー

なんのうたか
あいちろうはしらないけれど
ゆっくりゆらゆら
母の手でゆられながら
少しずつ、安心していく


―― さむく は ない

 けど

 さみしい な ――




数十年後、
いちにんまえに
事務経理専門の会社で
仕事を覚えるのに必死になりながら
それでいて生意気な人間に育って
上の文句をぶうぶういいながら
あいちろうなんて
格好悪い名前だと
友達とふざけあうようになって
それから彼女ができて
互いの仕事帰りで
一緒にさけをのんでいて
ふ、と
あいちろうは思い出した
ちいさな、ちいさなころの
思い出

おれさ、ちいさいころさ
ゆきおんなにあってさ

たしかめながら、話しだす

髪の長い女の人で
すあしなんだよ
さむいなか、ワンピース一つで
ぶきみでさ
急に話しかけられてさ
でな
ずいぶん
とうじはこわくてさ
であった道さえ
通らないようにしていた
中学校にあがったら
そんなことがあったなんて
忘れてしまって
でも、その道は
ずっとずっと通れなくてさ
なんでなんだろうって
自分で自分が不思議だったんだよな
いま、思いだした

……へぇ……

彼女が黙る
何を考えているのか
じっと手元を見ているから
あ、変な話しちまったかな、フォローしようと
思った瞬間
長い髪を前にばさっとたらし
その隙間を、せいぜいおびやかすように
おどろおどろしく、すこしだけあけて

ねえ、そいつのかおは

 こんな か お だったんじゃ ない か?

そう聞いてきた

無言で、みつめあって
それから吹き出す
ああ、そんな顔だったよ
あいちろうがいう
笑いながら

彼女も笑う

そうね……


―― さむく は ない

 けど

 さみしい な ――


あした
ひとにあえるって うれしいことね

そう かのじょがいうから
うん、と うなづく
2012-05-10 13:19:07