2018-01-25

神と憑き物のちがい

神様と憑き物は全く違うものであり
違う様子になります

かみさまは、
傍らにともにいるものですから
彼らを信じるも
信じないも、人の自由意思になります

(ちょうど、そばにいる方と
友達になるか、ならないか、の
ようなことでしょうか
信頼は、友情とおなじく
自然にうまれるものです

人と人との間が信頼なら
神と人との間の
自然な敬意が、
信仰と呼ばれるのでしょうね)

……

ツキモノ、は
能力でも状況でも
ついて、付与したり、
具現したりするので

ツキモノのちからをかりたり
またツキモノの守護をうけたりするときは
憑かれないとなりせん

憑かれるための精神があり
それを培わせるツキモノもあります

そうした培いは
(本来の信仰とは
似て非なるものですが)
はたからみたら
信仰の様になることがあります

この様は集団をつくりたがり
いわゆる、
群れの様をもつことがおおく
またツキモノにより
上下の関係があったり
縄張り意識があったりします

ただ、言われているような
上下関係=いやなもの、ではなくて
良いツキモノの場合
上下関係は「下のものを守るために」
発生するものです

「上のもの」のほうが
能力がたかく、先見もあるので
そうしたことのない「下のもの」に
上下関係をしいておくことで
いざというとき、
群れを守ることができるんですね……

群れ、上下関係、縄張り意識
こうしたことは
ツキモノ特有のものです

ツキモノの影響が濃いかたは
こうしたことに敏感です

誰かが
上に見えたり、下に見えたり
縄張りをふんでみえたりすると
急に騒ぎ出す傾向もあります

危機意識が
ツキモノと連動するんでしょうね

……

神様には
神懸り、のものがありますが
憑き物とはすこしことなります

エネルギーの影響は
つく(憑き物)
被る(波動などから影響をうける)
おろす(自体の場を合わせることにより、エネルギーをそこにおろす)
などなどがありますが
神懸は、そうしたどれとも似ていません

被る、と少し似ていますが
(祟り神の気は
被るかたちで影響を受けます)
懸り、は
己の心を下にし(神の盤座にする)
からだをカカリにし
神に座ってもらう、ようなことです

意識はほぼ「無我の安寧」にちかくなり
(瞑想の状態とは少し異なります)
呼吸は神の呼吸となり
チャクラで呼吸する
(魂で呼吸する)ことになります

審神者と呼ばれるものがいなければ
そうとう危ないことです

また
神懸のばあい
人の意思はいれてはなりません

神より低い意識は、
そうしたときに
邪魔となり、
さわりになったりしますから

盤座となるものの魂は
神がそこに座っている間は
ほかのところで
眠ていることが多いです

神のままにおこなわれ
審神者がはなすか、
神がはなれるのを待つようになります

……

神への信仰は
人と人との信頼とおなじもので
自然な敬意の発生です

ひととひとの流れには
年月をかけて信頼関係がうまれる、
これとおなじように
信仰には
信頼関係のようなものが
うまれるときがあります

(私はこれが
本来の神さまと人との
まことの関係性に思えます)

人知をこえて巨大なる方々への
敬意のある親しみとともに
そうしたことは、築かれる

ひとが、良い人を信頼していくように
神様もまた、人を見ています
(こよなく心良く)信仰深い人を
信頼されるのです……

信仰と、神様からの信頼をもって
深い信仰関係が
灯火になっていることもあり

(そうしたことは
充ちたりにあり
なんの欠けもなく、ゆがんでもいません
ですから、周りから見て
異様として
現れることはありません)

その灯火は
極自然に周りを温めるので、
周りの方も、そうした
神との関係を持つ方には
自然に、信頼をおかれるそうです

……

誰でも詣でられ
また教えをもらえる神社

「信仰の自由」がそこにはあります

本来の神と人との関係は
まさに、お寺や神社と人との関係のようです

人が、詣でたければ詣でて
その神気に、ありがたく触れて帰る

(なんにもなくても
神気に触れさせていただけるだけで
ありがたいもんです……)

ささやかで、自然な自由さ、
開放されていて
ただ、敬意をもたれている
そんな様子です

……

信頼ができるなぁ、って
人を思い浮かべてみると
信頼って、ものが
見えるかもしれません

神様って、そんな風合いの方々
個性豊かで、深みやいろどり
思いやりや、愛のある方々です

信頼を、大切にしていきたいですね
Series:(審神者)