2017-12-14

破魔と、明瞭なことなりを言葉にするのは難しい



▲不動明王の破魔のお姿


天界とつながる方々と
悪魔の傀儡(つながってない、
動かされているだけ)の方々は
明瞭なことなりがある、けれど


それを文書にするのは難しい


文書じゃなくて
状況を描画するほうが
たぶん、わかりやすんじゃないか、と
思っている……


……


天の方々は
ほんとうにつながり
ほんとうにうけとり
ほんとうに、経験しているので


私から見ると


かれらには「見えないけれど現実」があり
その現実に「見えないけれど携わっている」


……


悪魔の傀儡は
「経験しているわけではなくて」
ましてや、つながっているのとも
ことなり


「使われている」ので


なんというか……「現実がない」


そこに「見えない現実がない」


なのに「見えないことをしている」


見えない現実がない、というのは
よく、言動を
その言葉がどういうことなのか
想像しながらうけとれば
わかるのだけれど


たぶん、傀儡にされていると
「見えない現実がない」とは思っていない
能力者と同じように
「見えない現実とたずわれている」と
思い込んでいるんだと思う


だから、(本人が思い込んでいるからこそ)
周りから見ていても
みえない現実がある人、のように
一見、受け取れてしまうのかもしれない


……


見えない現実がない、から、か
かれらは
見えないことを、
どうしようもなく
信じていない


あたまでは、たぶん
信じているのかもしれない


(これまた、かれらは奇妙なことに
あたまと、腹のなかの
たましいが
たまに分離していることがある


肉体の中に、たましいが
何匹もいる、ような)


信じる、というのは


知識ではなくて
経験から培われるから


頭で思うものではないから
見えないことを信じていない、ことは
端々から、にじみでていて


ソレはどうしようもないんだとおもう


見えない現実は
かれらにとっては
ファンタジーであり
たんなる「頭の中の出来事」に
過ぎないんだと、思う


傀儡となり
うごいて、みて、宣うことを
していながらも


えんえんと、たぶん
そうなんだろう、と
思う


……


見えない現実があるひと、は
神様も、見えないことも
ファンタジーではないし
頭の中の出来事でもない


……


この、
「みえない現実がある人」の
姿勢や、行為、把握の仕方が
「ない人」と
どんなに違うか
書きたいのだけれど


「そこには違いがあるよ」しか
かけない


しいていえば
「他人が、視界の中に
息づいているかどうかと
似ている」かなぁ
と、思う


……


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