2017-12-10

火炎演舞







不動明王さまは
火炎の舞をつかわれる
いつも、思う
神々さま、聖霊さまの憤怒は
しずかだ



苛立ちも、むかつきもなく

ただ、しずかに
悪意を浄めはらわれていく



自我のない怒り、は
これほどに美しいのかと
その姿を見ながら思う



……



祟りは衰退、衰弱をもたらす



それは、できごと、として
現れることより
なにか凛としていて、然としている



気配に、凛としたものや、
真としたものがあったりね



お家がやけに衰退していく、とか
原因不明の病にかかる、とか



神様はわりと「伝える」ことを
のぞまれるから
なんの神様になにをしたから
そうなった、か、が
明るいときもある



……



祟りと、のろいは
まるで異なる



呪いには道理がなく
(呪うもののエゴがのりあげていて)
エゴイスティックで
けものじみた風合い



それがわきたつ根源が
呪うものの「エゴ」からなので
そこが満たされるまで
解決方法が見つからなかったり……
呪ったものすら
コントロールが出来なくなって
ひたすら呪い(仕組み)に
エネルギーが
回転していたり……



(呪いのエネルギー



呪いは、儀式などで
負のエネルギーが
ターゲットにながれこむ
仕組みをつくる、ようなこと、



そこに流れこむエネルギーと
組まれた仕組みで回転する
(骨組みをつくるのが儀式)



呪い、であれば
エゴを根源にしているため
呪ったもののエゴがなくならないと
仕組みに
そのエゴ・エネルギーがながれこんで
回転しつづける



呪者の意識がやめる気になっても
一度、呪の仕組みをつくり
エネルギーを通すと、えんえん、
エゴがわくたびに
根から栄養がくるように
回転し、活性化する……)



たいていは、呪うものを
どうにかするしかなくなる



(人を呪わば、というけれど
呪いというものは
人のもつエゴのエネルギーを
栄養にするものなので
一度「組む」と、
「それ(呪い)」が主体になるほど
そちらにエネルギーがとられていって
やがて、呪われたものより
ひどい有様になるらしい)



……



祟りは根をたどると道理があり
祟られる側がなにがしかを
「してしまっている」ことが多く
ゆえに、解決方法があったりする