2018-01-03

地の猿と不動明王




侵略者を前にした戸惑い

地球の神々や人間は
そんなに弱くもないし
いま、封印されている
(そして、いま
段階を経て
ゆっくりと解法されていっている)
もちまえの、命の霊性神聖が、
すべて開花したら
もしかしたら、
とてつもなく強く優しく
タフな生命体なのかもしれない、とさえ
思う

私が感じることにすぎないけれど

もしかしたら
地球の神々や人間は
「地球を侵略しに来た」エイリアンや
そのエイリアンと手を組んだ
異界の悪魔に

味わったことのない
侵害や、悪意に

とまどってしまって

それで、二の足をふんで

失策を重ねたのかもしれない

……

不動明王がみいだした
芸術にまで昇華される
究極の、真怒は

活路となり

ようやく

人間と、地球の神々が

エイリアン&悪魔に
対処をはじめた

……

やさしい、というのは
弱さではないけれど
おだやかな愛

神様と、人間と
おたがいのわがままや
密な交流さえ
たのしみであったほどの

おだやかな愛の
いきかいになれていた
人間と神様は

……

悪魔と手を組んだ
侵略しにきたエイリアンの
「侵害」や「悪意」には
なれてなかったんだろうと思う

怒りを恥、
相手への思いやりに
つくそうとした
かれらは
いつも、つねに
誉れ高い命だけれど
やはり、まだ
悪意敵意にたいしては
対策の路がなかったんだろう、と
私は思う

……

人間の本性は人間性だから

怒っては恥じ
相手を嫌っては恥じ
誰かを傷つけては恥じる

そうした
恥の多いことをかさねると
己への、不信がつよくなり
やがて自業におちいることになる

人間は、本性が、人間性だから

……

わたしは
不動明王と
人間性をみてきて
「怒り」にある
真の姿のようなものに
ふれてきた

……

人間が、怒りをおぼえる事、には
怒りがどうかというまえに
人間にとって
悪いことが
その、底にある、隠しこまれていても

……

不動明王は
釈迦の親愛に燃やしつくされ
その焔の中
一度、しんで
うまれかわった

それまでは
憤怒と粗暴の長だった

「憤怒はもっとも度し難い」と
とあるお坊さんがいっていた

人間の憤怒

人間にとって
悪いことに触れると
消えることがない

でも、その怒りのために
誰かを傷つけることは
人間性を、恥じにおとすことになる

……

不動明王の、憤怒の活路

それは静かな
親愛の憤怒

私には上手く言葉にできないが

……

「恥じとなる
憤怒にくるしみ
しかし、
許すこともできない」

そこには
「人間にとって悪いこと」が
ひそんでいたら

人間である者たちが
それを許すことは、できなんだ……

……

不動明王の憤怒は
人間性、親愛のままに
もえさかる

誰を傷つけることもなく
敵意悪意のみを
ほうむる

……

地の猿(悟空と名高い斉天大聖)を
描いたら
不動明王があらわれた
たずねたら、斉天大聖は
不動明王、そのひとらしい……

地の猿は、知恵の神様だった

知恵が深い為に
わかることが多く
許せなくなり
暴れ狂っていたらしい

釈迦に燃やし尽くされ
昇華された不動明王の
もうひとつの現れは

玄奘により、みちびかれ
もちまえの智慧が昇華して
悪意敵意を鎮静していく
神に成り遂げている

不動明王さん、凄いなぁと思う

(別天の
龍王、サンサラナーガヤーガは
悪意敵意からながれこむものを
もちまえの毒で、
解毒していく)

(やっぱり、地球の神は
生き生きしていて
個性的で、おもしろく
タフで優しいと思う)
Series:(不動明王)