コール


子どもの頃
私は、
大人が何で子どもを
子どもで居させてくれないのか
わからなかった。

「この数十年も生きてない
私のような子どもに
逆らわれたり
嫌われたりしたぐらいで
おたおたしてないでほしい
堂々としててほしい
勇気ぐらいは
もって欲しい」と
思っていた。

子どもだという
自覚がある子どもだった。

大人だって言う
自覚のある大人って
そんなに居ないんだ。
それに気がついたのは
ずいぶん年をとってからだ。

それを知ってから
ひとつだけ
決めたことがある。

心をかしてあげる。
だから私を嫌いなさい。



夜に電話があった。
私は友達だと思っているけれど
彼女は多分、
私を友達とは思っていない。
そんな人からの電話だった。

「今何してるの」
少し、なにかを
うかがうような調子で
彼女は言う。

きっと電話のむこうで
いつも見ていた、
奇妙な笑みを
浮かべているんだと思う。

(あのね、最近また
知り合いに聞いたよ、
あなたが私の悪口ばっかり言ってるって
あれはよくない、って言ってたよ)
私は電話のこちらで
彼女の顔を思い浮かべる。

「仕事見つかった?
男とは別れたんだっけ
最近は?」

ちょっと後ろで笑っているような
――馬鹿にしているような――
そんな声。

最近、最近?
なにかあったっけ、と
考えて、ああ、そういえば
お医者をしている人に
プロポーズされていて
それを受けるかどうか
考えていて、
多分断るんだと思う
それ以外は特にないなぁ、と思う。

あの、内気で無邪気な人の
つたない申し出を
断る理由はとても単純で
気が合わないから。

でも、多分、
それを言ったら
彼女は私を馬鹿だと思うだろう。
そして、少しだけ
心がざわめくだろうと思えた。

「うん……」

あのさ、と口を開いて
少し迷った。

迷ったのは
彼女を傷つけることではなくて
今だろうか、どうだろうか、とか
そういったことで
前から言おうとしていて
言えなかったことを
言うのは今でいいのか、という
奇妙なタイミングについての
覚悟。

決心がつくまで
ほんの数秒の間があった。

「あのさ、今、不安なんでしょう」

不意に
電話口の彼女の空気が
かたくなったように感じた。

「そろそろ、やめなよ
不安になるたびに
私に電話してくるの……」

何を言おうとしたんだろう。
彼女が息を吸った。

でも、もう
なんの言い訳も、ごまかしも
聞きたくなかった。
だから、
彼女のタイミングをまたずに
こちらから、
息をつかずに言った。

毎日、毎日
家に帰るたびに独りで
部屋が暗くて、
取り残された気がして
考え込んで
これでいいのかって
考え込んで、

夜、遊びに出て
人の多いところに行って
騒いで、笑って、酔っ払って
気をまぎらわせても
わからない

「気がついてるんじゃないの」

もっと、もっと
自分をごまかすために

まぎらわせるために
私に電話してきたんだね

私みたいな、
貴方から見た、
貴方より不幸な人間が
いまだに不幸だったら
安心できるんでしょう

ねえ、あなたの現実は
なにも
かわっていないのに。

「貴方の情けなさも
弱さも
なにも変わってない」

壁にかかった彼女の写真が
みじろいだ私の袖にあたって、斜めになる。

それを片手でなおしながら
私はしゃべり続ける。

今まで
言わずに、
ただ見守り続けたことを
しゃべり続ける。

人と比べて
安心して
それで、なんになるの。

私と比べるたびに
あなたは後退している。

気づいてる?
私と比べて
安心してるのは
いつも、貴方がほしいものを
私が持っていないかどうかだけなの。

私が、自分なりになんとかやっていて
実は、幸せだとか
そういうことには
興味が無い
だから分からない。

あのね

ため息が漏れた。
少し疲れた。

「もう、止したほうがいいと思う」

数秒してから
彼女の電話は無言で切れた。

ツー、ツーという
冷たい音を聞いた後
静かに受話器を置いた。
それから電話に着信拒否の設定をした。

10年来の、学生時代からの
先生の悪口を言っていた頃からの
私の友達。

だから知ってる。
このあと、彼女は
私や、彼女の知り合いの、
彼女が
自分の味方だと思っている
同意してくれる
調子のよい人たちに
私への罵詈を
愚痴を
被害を
まくしたてるだろう。

あんな人だとは思わなかった、と。

着信拒否、のボタンを押しながら
窓を見上げると
満月だった。
満月は少し黄みがかっていて
ぼんやりとした雲を
傍に従えていた。

あなたが、私の悪口を
ずっと影で言っていたのを
私は知っていた。

あなたが
どういう人か
私は知ってきた。

いずれ、私に全てを拒絶されたと知って
彼女は多分、動揺する。
それから必死に自分を納得させて
私を見下せるなにかを、
考え込んで、みつけて
プライドを
――あるいは
プライドだと思い込んでいるものを
立て直すだろう。

あのね

あなたはきっと
私のことを
何も知らない。

2010-10-17 19:10:49