タイムスタンプ

自律神経というものが、なんなのかはよくわからない。

緑の香る丘が上のほうにある。
工場は盆地にあるから、全てを見上げる形になる。
丘が一番綺麗で、切ない。だからよく僕は丘を見る。
自律神経を見るのに飽きたら。

この工場の名前を僕は知らない。
以前誰かに聞いた気もするけど、もう忘れてしまった。
だいたいここでは名前なんて、意味がないんだ。僕にすら。
工場に勤めているのは、僕と、ミミンガ鳥の2人だけだ。
工場は
―実は今気が付いたのだけど、これは本当に工場なんだろうか―
入るとがらんとしていて、かび臭い。
毎日僕より早く来るミミンガ鳥は工場の真中で寝ている。
その横に。「自律神経」がある。
自律神経は橙色をしていて、ほのかに光っている。
たまに大きな光が流れ、濃くて暗い色が流れ、
見ているとぽっこんぽっこんと、音までするようだ。

寝ているミミンガ鳥を起こさないように、僕は隣に座る。
この工場で、自律神経を見守るのが僕の役目だ。
失調しないように。―でも失調って何?―

ある日僕はミミンガ鳥に、この自律神経に名前を付けたらどうか、と提案した。
「つまらないかもしれないけど」
僕は言う。
「みさきとか、ミハイルとか、ミサイル、とか。
みがつく名前がいいと思う」
ミミンガ鳥は首を振ってうなづいた。
―僕はよくわからなかったけど、うなづいたのだと思う―
だから僕は自律神経に名前を付けた。綺麗で美しくて響きのいい、気持ちい名前をつけた。
でもそれはもう忘れてしまったのだけど。
名前なんて、意味をなさなかったから。

たまに僕は自律神経をなでてみる。
自律神経はすっごく驚いたように、びっくんびくんとする。
僕はすぐに手を離す。

午前4時ごろになって、ミミンガ鳥は目を覚ます。
僕は飽きて、丘を見ながら緑の数を数えている。
たくさんたくさん自律神経を見たあとは、目がつんと痛くなって、
緑を見るとじんわりする。だから僕は葉っぱを数えてみる。

ミミンガ鳥が挨拶をした。それはこうやるのだ。
頭をぐりぐりと僕につけ、きゅっきゅうとまわす。
僕の服が体温であったまったらよしとする。

お返しに僕は手を握ってあげた。

午後1時ごろ、自律神経に水をあげる。
綺麗な水でなければいけない。
嘘も偽りも、入っていない、
まじりっけなしの本当でなければいけない。
水をあげると、自律神経は少しほっとしたように、
綺麗な色のオレンジを、宙に浮かす。

なんで自律神経が汚れていくのか、僕は知らない。
「ほんとう」をあげても、自律神経はだんだんその色を落としていく。
橙色から赤色に。
腐ってしまえば綺麗な綺麗なピジョンブラッドになる。
僕は秘密だけど、その色が好きだ。
そのために腐らそうとは思わないけど。

以前に一度だけ、ミミンガ鳥と一緒に、自律神経にお歌を聞かせたことがある。
その日は自律神経の誕生日だったのだ。
僕がそう決めた。
ミミンガ鳥は喜んで、ハミングしてくれると約束した。
僕は一等上等な服を着て、ミミンガ鳥とともに整列した。

手を組んで、お歌を歌った。

多分だけど、自律神経は喜んでいたと思う。しみじみ聞き入っていたから。
僕が恥ずかしさに赤面してしまったので、
それ以来お歌は歌ってない、
今度また、機会があったら歌ってみようと思う。
―恥ずかしくなくなったら―

自律神経を見ていると、たまに、たまにだけど、
僕の中にもこんなものがあるんだろうかと思う。
こういうオレンジで、黄色で、金色のものが。
そしてそれはゆらっているのだろうか。
僕らのように、見守る人がいるのだろうか。
自律神経はいつも、こっぽんこぽんと流れてく。

午後5時に業務は終わる。
僕はミミンガ鳥に、タイムスタンプを手のひらにもらって帰る。
タイムスタンプはオレンジ色で、あの色と少し似ている。
帰り道で何回も見る。
そして家に帰ってお風呂に入って、僕は石鹸とてもいっぱいあわ立てて、
手のひらにこすりつける。
指先からつめのなかまで、綺麗にこする。
手のひらのタイムスタンプを、まぁるく円を描くようにこする。
泡がオレンジ色に染まる。
光を受けて、七色に光る。あの色に似ている。
泡の端っこが白い。泡の真中が赤い。
終わりに暖かいお湯を流す。
お湯は泡とともに、綺麗に流れていく。
僕の腕に暖かいひきあとを残しながら。
スタンプが消えたあとの普通の手のひらを、僕はじっと見る。
目が痛くなるまでじっと見る。
2004-11-14 17:02:37