ジョウさん ―― 闘心

ひとは
自分をフォローしようとしたとき
ひとを、否定したり
非難したりする言葉を
必ずはく

それは、そのひとが
相手の行動や言葉に、無意識に
自分への否定や非難感を感じ
相手が悪いと思い込んでいるからだ



月が青白い空にうかんでいた
ラムネ水のような空に
ラムネのような月だった
ちいさな星々が
ちかちかちかちか
ラムネの欠片のようにひかっていた



彼女はブランコをこぎながら
胸についた三本の跡を
また今日も、わたしに見せてくれた

紅いまっすぐな三本線は
思ったよりも深く
えぐれている

そしてわたしがせがむままに
その時のお話を聞かせてくれた
公園に遊びにきていた野良猫を
ひざにかかえあげて
ゆっくり、うたうように
はなしてくれた



マザーふぁっか~なんだなぁーって
おもったの、いやに冷静に

あなたが交わりたいのは
お母さまだ
いいえ、お母様の
子宮にもどりたいのかな
あなたは
体内の胎児に戻りたいの
考えず傷つかず
産まれないで
羊水にまもられながら
せかいはどんなかしら
げんじつはどんなかしら
そう夢を見る
胎児に戻りたいのよね、って

 いいえ いまも 胎児なのよ

でもね、いまならわかるの
それって
きっと、みんな
私も、あなたも
みんなが、そうなんだ
そして、いまだに
産まれていない人って
ほんとうに 多い

彼女は猫に向けていた目を
私にゆっくりむけた
真っ黒なのに
なぜかすきとおった
奇麗な目だった



その日は
赤いバラを買って帰ったの
金曜日の夜
仕事が終わると
かならず赤い花を一本
くず花だと、100円ぐらいよ
それをかって
部屋に入れていたの
灰色の部屋に赤い花があるだけで
安心できた
それで泣いた
何時間も泣いた
泣いて、泣いて
朝の月を見た
朝の月って
奇麗なの
たまにしか、見られないのよ
月って毎日
毎日、違う時間に上って
違うところにかかるのよ

その日は赤いバラだった
彼のことを
ずっと考えていた



彼のマンションのドアの前で
胸に、包丁でこの傷を、みっつ
ぐい、ぐい、ぐい、とつけた時
なぜかほっとした
やっと、別れられると思った

不思議に痛みは感じなかった
つつううっと垂れた血をみて
いやなきもちになった
だけどがんばって
その血をすくって、ドアに書いた

「 ひとごろし 」

急におかしくなって
なぜかしら、きっとその文字が
あきらかにまるっこかったからね。
私は、笑いながらそのままかえったの
もちろん、胸の傷が誰かにばれたら嫌だから
用意周到にもってきたタオルで
きつくしばって走ったの
死ぬ気はなかったし、騒ぐ気もなかった

電車に乗って、家に帰るまで
楽しいような気持は続いた
ふとはじけるほど
笑いそうになって、必死にこらえた

灰色の冷え切った部屋に入ってバラを見たら
ようやく痛みに気がついた
ずきずき、ずきずき
あれ、死んじゃう、って思った
息ができなくて、息をとめた
タオルの上からタオルを当てて
ひたすら朝を待った



ひとごろし。

息を止めながら、思ったの
ああ、ひとごろしなんて
書かなきゃよかった
怒りのあまり、傷つけたいあまり
まちがえてしまった
こう、書けばよかった

ひとでなし



きっと男は女のことなど
なにひとつわからず
死んでしまうのです
もしかして、
女が恐ろしいものだとしたら
情でも、ましてや執着でも
その心でも、姿でもなく
ただ、男の心を
男が思う以上に
わかってしまうことなのです

隠しても
かくしても

かくしても。



さて、とジョウさんはつぶやいた。
さて。 今日も一日、はたらきますか。
もうすぐ8時。 仕事の時間
レイラちゃんもそろそろ、
家出に飽きた顔をして
かえりなさい。 お母さんも起きるんでしょう?

ジョウさんは割れるようにほほ笑んだ
野良猫がにいいっとなきながら
ジョウさんの膝から飛び降りた
私も笑った


5歳だった
学校も家も大嫌いだった
だから、誰もかれもが
私をきらっていた

家で、一緒の食卓で
奥歯をかみしめるより
学校で授業を押し付けられるより
こういうふうに笑いあう、
このひとときが
私には、とても
とても、たいせつだった

7歳になるまで
ジョウさんとの朝の密会は続いた
まいかい胸の傷をみせてもらって
同じ話をしてもらった
私はそれを
ただ胸の奥にひたすらしまっていった

ある夜、彼女は本当の家出をして
それ以来
一度も顔を見ていない
家出をする朝も胸の傷を見せてもらって
その話をしてもらった

そのあと、ジョウさんは声をひそめて
わたしは、ちがうまちへ、いくね
と、いった
私が見上げたら微笑んでいた

 ほほえみだった

 だから私も微笑んだ

わたしたちはもろく、よわく
そして傷つきやすい
だから笑うしかないのだ
けっして、怒りの笑みでは
たどりつけない

微笑みを うかべるしか ないのだ



あの頃のジョウさんの年齢
いくつだったんだろう
たぶん、今日このごろの私と
同じぐらいだろう
あのほほえみは今も
あの話と共に
胸にしまってある
2011-07-25 00:13:05