はじめて、サキハタとなのる
銀髪の恩師の掌をみたとき
なぜか、ヒルみたいだなぁ、と
おもいました

とてもあたたかくて
ひとつも、怖くなかった、のに
なぜか


……

きれいな黒い髪を
腰まで伸ばして、丁寧にすいていた彼女は
ユエヒさんと呼ばれていました
なぜかここでは誰も本名で呼ばれません
ですから、わたしは
恩師の助手をつとめてきた彼女の本名を
とうとう、おぼえられずにいました

ユエヒさんが
今日でここをやめられるので
代わりにわたしが呼ばれ
雇われたのです

数週間前に、電話をくれた
大学時代の恩師は
もしもまだ仕事を探しているなら
急ピッチできてほしいのです、と
よわりはてた声でいわれた

なんでそんなに急いで
辞められるのか
理由は、よくわかりません
ユエヒさんもよくわからない、と
いっていました

なにかが嫌になったわけではないの
でも、そう
タイミングなのかもね……

彼女は付き合っていた彼氏のことを
ふがいないひと、という
でもその言い方が
なにか、かなしいはんぶん
愛しそうで
ああ、このかたは苦労するなぁ、と
私も妙に悲しくてまごついた気持ちになる

やはり、何人もに
何回もいわれただろう
別れた方がいいことを伝えると
ユエヒさんは、私をじっと見て
ありがとうと微笑む

別れた方がいい、ぐらい
きっとわかっているのですよ
みんなそうですね

した方がいいことなんて
わかっているのです……

……

恩師はここの所長といいます
先生でも、社長でもなく、所長です

急ピッチできたわたしと
ふたたび会ったとき
はじめてあったときのように
彼は、大きくて白い掌を差し出し

よろしく、と
太く濃い声でわたしの掌をにぎり
うえに。したにとゆすられました

そのとき、じゅーー、と
肩あたりが冷たくなり
なにか貧血に近いものをあじわい
ふらつくと

あ、また
ごめんね、と恩師はなぜか謝りだして
わたしのふらつくからだを
大きなからだで支えて
そばにあった
ソファーに座らせました

大丈夫かい、
すぐに、なおるからね
おい、チカシくん、コーヒーをいれてくれ

……

天井が熱をうったように
ぼやけ、ゆがんでいたのを
おぼえています

(大学でもこんなことがあったなぁ)

そんなことを
思っていました

……

ユエヒさんは、
ここを去るための準備をおえて
今日、午後休なんです、と
椅子から立ち上がった

そうしたところに恩師ーー所長がきて
やぁ、ユエヒくん
いままでありがとうね、と
なにか妙に、そうっと
彼女の掌をにぎり
わらいかけました

彼女はクラクラしているような顔をして
(わたしは、あの貧血っぽい
眩みではないかな、と
おもいました
恩師の掌はひとを貧血にさせる……)
所長、わたしこそ
いままで、ありがとうございました
そう、つたえられました

……

彼女がでていったあと
ポツリと恩師がいわれました

ーーとりきれなかったな

とりきれなかった?

わたしがつい聞き返すと
恩師ーー所長はゆっくりわたしをふりかえり
目をふかくとじ、またひらいて
話されました

悪いもの……
わたしは
吸えるんだけどね……
できる、範囲がある

それから
チカシくん、
コーヒーくれるかな
と、奥のチカシさんに叫んで
わたしの隣に座られる

むかしは吸血鬼と
呼んだんじゃないのか
いまでも
不老不死とまではいかないけれど
長生きで、やけに健康で
エナジーをすこし、すえる

……

わたしはなんて返したらよいか
わからず、黙っていました

エネルギー、には
ふたつある
よくないのと
よいのと……、ま、
もうすこし複雑に
いろいろだけどね

わたしは、消化できるから
わるいの、ひとから
ちょっと、吸うんだ

わたしも満ちるし
かれらも、バランスがよくなる
よいことだとおもう

……神様が
わたしたちを
つくられたのは
そのためだと
わたしは思っている

それから、かれは
首飾りのロザリオをにぎりしめて
すこし、祈られました

チカシさんがコーヒーをみっつもってきて
さくら、咲きましたね、と
なんでもないことのように
窓を見ながら、はなしかけます

僕もいろいろできるんですよ……
話のついでに
そんなことをいわれる
わたしは困ってしまう……

恩師はまだ
ロザリオをにぎりしめたまま
祈られている

困ったままわたしはコーヒーをもらい
窓をみあげる
たしかに、咲き始めた桜が
きれいに風に流れている