稚魚

とるとるそとした魚臭い夕闇に
森の奥から
一人の青年が出てきて
髪の毛がきらきら薄い金色、
それで、わたしにむかって
水をください、というので
もっていた桶の水を差しあげた

陽のしずむ、しずむまえの赤紫
つらなる群青のはしっこに
ぼんよりした月がひかる
あんまり遠くまではわからないようなうす曇り
井戸の底からこんこんと、湧水が音を立てている

「井戸の底には魚がいるとか」
そういうたら、青年はほほえんで
どこで聞きましたか、という
いえ、湧水ですから、魚もまぎれるかと思うのです
と、いったら、青年はひとくふたくち
桶の水をのんで、口を拭った

稚魚から魚になるまで
少々時間はかかりましても
井戸の中の魚は
天月をめざしております
いずれ、龍になり
井戸の中からぼおっと空に飛び立つのです

不思議な話をする
この井戸にも魚がいるのでしょうか
いうたら、ええ、まぁ
すこしは成魚にちかくなり
たまに外であそんでおります

う、ふ、ふ、

そういえば青年の瞳は
ほんのすこし緑がかった青で
井戸の底のこけのような優しさがある

龍になりましたら
いなくなりますか
と、きいたら
うん、まぁ、龍はいなくはなりません

空にばをかえるだけですから

う、ふ ふ

龍になる時はおっしゃってください
そういうたら
うふふ うふふと笑って
わかりました、
あと九十、一、二年ぐらいです
それぐらいの真夏に井戸を見てください

夏の夜は井戸から煙が空に流れる
あれはようわからんけれども
もしかしたら、稚魚から龍になった
魚のすがたなのでしょう
2011-03-26 11:50:02