まきまの生き方はパワーシャベルみたいだ
大きなシャベルのついている大きな車
まきまはいつも荒んでいる
すさみながら
なんでも、力強く片づけてしまう
だけど、それは破壊をともなう



「あー私の人生は
もっと私にやさしくてもいい」
湯上りのまきまが
タオルを髪にまいたまま
だだをこねるこどものように
ひっくりかえってわめく
「つかれたし!」
私は少し笑ってしまう

たしかにまきまの人生――いや
まきまの周りの人は
まきまにもうすこし、優しくてもいい
――まきまが不満を持っているのは
周りの人間で
だったらまきまにとって
「わたしのじんせい」は
周りの人間なのかしらん――

天井を見上げながら
「私の人生は私にやさしくない」と
まきまはぶーたれる

私から見れば
まきまの人生はまきまそのもので
まきまのまんまだ

パワーシャベルのように
すさみながら、うるさく文句を言いながら
力強く
すべてを片付けていってしまう
破壊をともないながら

「私がやさしくないから優しくないのかなー
でもなーかとおもって
優しくするとつけあがるんだよー」

「やさしくない」対象が
まきまの人生から
まきまの苦手な人にかわっていく

そういえば
だれもかれも
運命はともかく
いきざまは、
そのひとのまんまだった

わたしはまきまに
尊敬を告げようかどうか
まよい、また、やめてしまう
まきまが思っているほど
まきまは「やさしくない」わけじゃない
ただ、破壊をともなっているだけだ
片づけるために

窓の外を見れば夏の日差し
コンクリートは真っ黒で
とけて腐ったチョコレートのよう
夕日は真っ赤で
蚊にさされた皮膚のように赤くはれぼったく沈んでいく

それでもこの世界が好きだと、ふと、思う

まきま、きっと
誰かに好かれても、嫌われても
尊敬されても、軽蔑されても
優しくても、優しくなくても
まきまのじんせいは、かわらない