花の星
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2010
> 嘘といけにえ。愚者の嘘
嘘といけにえ。愚者の嘘
強くならなきゃいけないって
ある日
誰かが言ったらしい
そして強くなったふりをする
あなたは弱いままだ
人は自分が悪くないと感じるために
いくつもの言い訳と理由を考える
自分のことは、実は自分で
案外簡単に
だましたり
ごまかしたりすることが出来る
本当のみにくさと弱さを
見たくない人は
いつまでも本当を知らないでいる。
自分の本音なんかより
嘘は甘美で
こころに立ち向かって
幸せになるより
そっちに居たほうが
楽だ
錯覚に酔いしれる人が多い。
いけにえを求める。
自分が誇れるようには
生きられないのは
自分のせいなのに
永遠に、自分を
好きになれずに生きるのでしょうか。
:
小子さんへ
君をこの間
見つけました
人は
自分を
ごまかしている間は
ごまかしきっているから
分からないみたいです。
君は、まだ
理由の中に居るんですね。
僕は今、北の方に居ます。
とても寒いところです。
最近、雪が降りました
でも満月がでていました。
びっくりしました。
満月が出ていても
雪は降るんですね。
寒い日は
君に刺された胸の肉が
すこし痛いです。
もう、あたらしい
桃色の肉がついて
盛り上がっていて
治っているんです。
だけど痛い。
君が笑っていたのは
いまになって思うんですが
君の姿じゃないかと思うのです。
痛いことを人にしているとき
人は、少し楽しいんだと思うんです。
でもそれは
実のところ
違う楽しさなんだろうな、と思う。
理由をいっぱい言っていたけど
それは僕がどうあれ
痛めつけたい、とにかく安心したい
そういった
本心を感じないようにした
自分へ向けた
理由なんでしょう。
人は、人の
弱さを笑うと
少しほっとするんだと思う。
自分は弱くないと思えるんだろう。
人が、自分より弱いなんて
勝手に思い込んだものを
痛めるときは
だいたいは
本能とか現実とか
理屈より逃避でしょう。
力が満たされてほっとするのは
そういうことかと思います。
本当に戦わなきゃいけないものと
戦いたくない人は
多分、ちがうものを痛めつけて
安心できるんでしょう。
本当に戦わなきゃいけないものは
とても怖いから
臆病をわずらうと
幸せとか、満足とか
そういったものを錯覚する。
戦わないのに
ただの錯覚で
戦い終わった気になるあなたは
いまだに弱いままな気がする。
屈している、不安である
本当は弱い自分でも
まだ弱いものを傷つけられる
笑える。
あいつよりはよほどましだと
まるで許されたような
そんな、弱さです。
一番の醜さは
実のところ
君の中に
いまだに
とどまっているのでしょう。
:
錯覚しなきゃ強くなれない
あなたはいつまでも
錯覚の世界にいるみたい
:
君が責めたい人は
誰なのだろう
君がなじりたい人は
誰なのだろう
多分 それは
プレッシャーとか
ストレスとか
そんなふうなものを
与えてくるのだろう
あるいはこの世が不安ですか
人は嘘をついて
いけにえを求める
真実は
いまのところ
関係ない
自分の心に立ち向かうより
理由があると思い込んだ
他者を傷つけていたほうが
楽だから
自分の心が落ち着くような
他者を責めて良い理由がつけられたら
それで君は、安心して人を痛めつけて
また自分が
偉いような気持ちになって
ある程度
自分の本心を知らずに
日々を送ることが出来るんだろう
:
君だけが
君を知らない
君は多分、いまもなお
自分を認めることが出来ない
手をつなげないでいるんだろう
:
不遇を越えなさい。
この言葉がどれだけ
厳しいものかは分かりません。
でも
君の幸せを願っています。
Series :
中編
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2010-10-24
18:12:33
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ある日
誰かが言ったらしい
そして強くなったふりをする
あなたは弱いままだ
人は自分が悪くないと感じるために
いくつもの言い訳と理由を考える
自分のことは、実は自分で
案外簡単に
だましたり
ごまかしたりすることが出来る
本当のみにくさと弱さを
見たくない人は
いつまでも本当を知らないでいる。
自分の本音なんかより
嘘は甘美で
こころに立ち向かって
幸せになるより
そっちに居たほうが
楽だ
錯覚に酔いしれる人が多い。
いけにえを求める。
自分が誇れるようには
生きられないのは
自分のせいなのに
永遠に、自分を
好きになれずに生きるのでしょうか。
:
小子さんへ
君をこの間
見つけました
人は
自分を
ごまかしている間は
ごまかしきっているから
分からないみたいです。
君は、まだ
理由の中に居るんですね。
僕は今、北の方に居ます。
とても寒いところです。
最近、雪が降りました
でも満月がでていました。
びっくりしました。
満月が出ていても
雪は降るんですね。
寒い日は
君に刺された胸の肉が
すこし痛いです。
もう、あたらしい
桃色の肉がついて
盛り上がっていて
治っているんです。
だけど痛い。
君が笑っていたのは
いまになって思うんですが
君の姿じゃないかと思うのです。
痛いことを人にしているとき
人は、少し楽しいんだと思うんです。
でもそれは
実のところ
違う楽しさなんだろうな、と思う。
理由をいっぱい言っていたけど
それは僕がどうあれ
痛めつけたい、とにかく安心したい
そういった
本心を感じないようにした
自分へ向けた
理由なんでしょう。
人は、人の
弱さを笑うと
少しほっとするんだと思う。
自分は弱くないと思えるんだろう。
人が、自分より弱いなんて
勝手に思い込んだものを
痛めるときは
だいたいは
本能とか現実とか
理屈より逃避でしょう。
力が満たされてほっとするのは
そういうことかと思います。
本当に戦わなきゃいけないものと
戦いたくない人は
多分、ちがうものを痛めつけて
安心できるんでしょう。
本当に戦わなきゃいけないものは
とても怖いから
臆病をわずらうと
幸せとか、満足とか
そういったものを錯覚する。
戦わないのに
ただの錯覚で
戦い終わった気になるあなたは
いまだに弱いままな気がする。
屈している、不安である
本当は弱い自分でも
まだ弱いものを傷つけられる
笑える。
あいつよりはよほどましだと
まるで許されたような
そんな、弱さです。
一番の醜さは
実のところ
君の中に
いまだに
とどまっているのでしょう。
:
錯覚しなきゃ強くなれない
あなたはいつまでも
錯覚の世界にいるみたい
:
君が責めたい人は
誰なのだろう
君がなじりたい人は
誰なのだろう
多分 それは
プレッシャーとか
ストレスとか
そんなふうなものを
与えてくるのだろう
あるいはこの世が不安ですか
人は嘘をついて
いけにえを求める
真実は
いまのところ
関係ない
自分の心に立ち向かうより
理由があると思い込んだ
他者を傷つけていたほうが
楽だから
自分の心が落ち着くような
他者を責めて良い理由がつけられたら
それで君は、安心して人を痛めつけて
また自分が
偉いような気持ちになって
ある程度
自分の本心を知らずに
日々を送ることが出来るんだろう
:
君だけが
君を知らない
君は多分、いまもなお
自分を認めることが出来ない
手をつなげないでいるんだろう
:
不遇を越えなさい。
この言葉がどれだけ
厳しいものかは分かりません。
でも
君の幸せを願っています。