薄鬼

私はてっきり、
人はみな、知っているんだと
思っていました。
知っていても
暗黙の了解とか
秘密の約束とか
そういうことで、
分かっても、見えていても
口にしないのが、人のたしなみなんだと。


綾虎と再会して1か月後、
年賀状が届いた。

薄桃色の花の印の上に
少し蛇行した筆の字で
そう書いてあった。

私はその字を見ながら
あの、奇妙で
優しくて
愚かしかった
綾虎の姿を思い浮かべた。



寒い風のふく夜
たまたま、綾虎と出会った。
10年来だった。

綾虎は私の小学校時代の同級生で
まったく印象がかわっていなくて
街行く人々を見ながら
青いデジカメで、パシャ、パシャ、と
写真を撮っていた。

10年経っても
すぐにわかって
思わず声をかけたのは
私が彼女を忘れていなかったからだ。
「綾虎! 綾虎じゃないの、久しぶりね
今、何をしているの」

彼女は私を見たあと、
少し考えたようだった。
そして言った
10年間、私が忘れられなかった声で。
「あなた、誰?」




12の頃、教室で先生が聞いた
動物にたとえると、自分は犬と猫
どちらだと思いますか。
みんな犬、と
よくわからないままに答えていた。
私も自分は犬、と答えた。
できればブチのある白い犬。
隣に座っていた綾虎も、
自分は犬だと思う、と答えた。
しかし先生は彼女の答えに
彼女だけに、微笑んで首を振り
あなたは猫よ。と言った。
あなたは猫よ。

あとで、綾虎に聞いたら
あたたかな暗さをともなう
深い、おとぎ話を語るような声で
私は、どんなに違うと思っても
先生や親の言うことを聞いて
良い子でいなきゃいけない。
好きな人のために
悲しませないために
自分を抑えて
言うことを聞く動物は
猫より犬だと思う。
そういった。

正直、猫と言われて、ちょっと驚いた。
先生は、きっと
ほかの人と相容れるかどうかで
犬とか、猫とか言っていたんだね。

綾虎は変わった少女だった。
言動も不思議なところがあったけど
特に、声に特徴があった。
どこか懐かしい、
だけど聞いたことがない。
鋭いのに、やわらかい。
心に残る声をもっていた。

綾虎の声って変わってるよね
声優になればいいよ、なんて
同級生が面白がって言うと
いつも、なれないし
ならないと思う、と
言っていた。
からかいに実直すぎる
場にのらないような
不器用さがあった。

王様ごっこの男の子が
「土下座しろ」と彼女に笑った時も
彼女はしない、とつげた。
どなられても、殴られそうになっても
しない、と言った。
あとで、危ないよ、
ああいう時は言うこと聞いておきなよと
そう言ったら、
私はあの人にわびたいと思わなかった。
わびたいと思っていない土下座は
逆に失礼だと思う、と言った。


帰り間際の
夕日が照らす教室。
帰りそびれた私は
ランドセルに給食の残りと
算数のプリントをいれながら
どことなく泣きそうになっていた。
でも特に理由がなく
理由がないのに泣きたい自分は
変だと思って
唇をかんだ。
がら、っと
突然教室の扉があいて、
心臓が飛び出るかと思った。
目を開いて
どこかやましい気持ちで振り返ると
綾虎がいた。
無表情で、私に声をかけず、
綾虎は教室の真ん中に歩み寄った。
彼女は笛をもっていた。
プラスチックでできた、
ちゃちゃな笛。

そして、奇妙な音程で
不思議な歌をふきはじめた。
それは音楽の授業中にも
聞いたことがない
ただの笛なのに
不思議と深く
心に、ひとつひとつの音が
刻まれるような
歌だった。

綾虎は私をちょっと見て
微笑んで、鳴らし続けた。
私は彼女を見ながら
茫然とつったっていた。
気がついたら
日はすでに暮れて
真っ暗な空に
小さく輝く星と、
はんかけの月が昇っていた。

後ろの扉があいて
用務員さんが顔を出して
やっと、
綾虎は笛から口をはなした。

私もはっとなって
音が終わったのに気がついた。
どうしよう、
拍手をした方がいいのかな、と思って
でも、そんなのは変だと気がついて
困って、笑ったような顔で
用務員さんのごつごつした顔を見つめた。
どうしていいんでしょう、と
ちょっとごまかすような
この子へんな子ですよね、なんて
機嫌を取るような
奇妙な、辛さのある気持だった。

用務員さんは
髪の毛の白い、
ちょっと嫌みのあるおじさんで
私たちに「はやくかえりなさい」とだけ言った。
最近はあぶねーから。



花にたとえると、自分は何だと思いますか。
また先生がへんな質問をして、
みんなが、すみれ、たんぽぽ
チューリップ、桜、と
無難な答えを笑いながらしていく。
私はタンポポ、と言っておいた。
座ると、次に、
綾虎はみんなの面前で一人立ち上がる。
そして暗い、でもやわらかい声で
「私は、薔薇です」と言った。
子どもたちはとたんに火がついたように笑い
薔薇って面かよ、と
男の子たちがはやし立てる。

あとで聞いたら
きっと笑われると思った、と、
私だって、あのね、
ほかの人が自分が薔薇です、なんて言ったら
おなか抱えて笑っちゃうかも。
そして軽蔑するし
馬鹿にするわ。 いんちきだって。
でもね

でもね、私は
薔薇以外
わたしじゃないなぁ、って思ったの。



10年後の綾虎は
非常に美しい女になった。
喫茶店に入って
少し話して
もてるでしょう、と
からかって言うと
それには答えず
私をじっと見た。
それから、
「もてたいの?」って聞いた。
「だったら、
相手を理解してみるといいよ
受け入れてくれる人を
人は好きになるんだよ」



綾虎の年賀状は
最初に、
「あけましておめでとう」って書いてあるのに
11月のまだ早い今日に届いて
私は笑って
泣きたくなった。

綾虎。



綾虎の手記。

私は、そういったことは
きっと人は
見えていて、知っているんだろうと
思っていました。
人は奥ゆかしくて
見えていても、分かっていても
知らないふりをするのが
口にしないのが
人の優しさなんだろう。

でも違った。

フェイクは真実になっていた。
しんじつだと
思いこまれていた。

ストレートに
人を見たくない人は多くて、
それは多分
その人が、ストレートな自分を
見たくないんだろうな。


私は、いまも生き難いです。
あなたは、相変わらずでしたね。
最初気がつかなくてごめんなさい。

お元気で。
2010-10-25 15:53:40