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2012
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かわりばんこ
いちばんの
ひれつは
自分が苦しさや
不愉快さや、いらだちで
人を苦しめ
苦しんだ人を見て、
よろこぶことだと思ったの
あれは15の頃
ひどくつらくて
泣いていた
つらいというより
いかり、ばかり
黙って聞いてくれた
その人は、口の端で笑いながら
そうだね、でもね
卑劣に、いちばんもなにも
ないんだよ、って
穏やかな声で
こたえた
:
たまには地獄の話をしよう
そこには角の生えた
みにくい、鬼が
なんびきもいて
僕らを苦しめるんだ
ぼくらを? ちいちゃんも?
ちいちゃんも
悪いことをしたら
鬼のつので
きゅうきゅうされるさ
その人は
煙草のにおいがする笑みを
かたほほにうかべる
いや!
おに、いや!
こわい
……だいじょうぶだよ
ほんとの地獄はね
救いのために
あるんだよ
なまはげだって
そうだろう
ホントの鬼は
悪い気持ちに
とらわれた人を
悪い気持ちから救うために
いるんだよ
だから
ほんとの地獄の
あの鬼たちは
おんなじように苦しんで
それでも罪をつぐない洗う
苦しい人の前では泣けず
真っ赤になるまで堪えてる
神様みたいな鬼だけさ
ええ
地獄なのに……?
……
救われない地獄もあって
そこは
人間しかいないんだ
ええ?
どういういみ?
救われない地獄では
にんげんが
かわりばんこに
苦しめ役を
つとめるんだ
自分のくるしみしか
みえないから
ひとをくるしめ
どうして私が苦しいんだ
嘆きながら
ひとをうちあう
ひとりが
どん底まで苦しんだら
かわって
鬼役が、犠牲になって、
苦しめられ
また、どん底まで苦しんだら
つぎは、違う人が鬼になって
責めあうんだよ
いや! すごくこわい!
だいじょうぶだよ
ひと鬼にならなきゃ
だいじょうぶだよ
……地獄は
生きてる間に
ここにできるからね
おじさんが、胸の前で
まあるく、円をかく
ひとの胸に地獄あるの!?
はは……
かすかに笑って
それから、何にも答えない
ただ、あたたかな目で
ちとせを見つめて
いつまでも
かたほほだけで笑ってる
その目を、いまなお
覚えている
:
だいぶ落ちかけた夕日が
空を茜色にそめあげ
ビルの色がそれぞれ
赤にしずんでいる
激昂されて
たたかれた右ほほ、
あかくはれた右ほほを
ちとせは水タオルで冷やしながら
ぼお、っと
どこかにある
夕陽の光を
窓越しに見つめている
とすとすと
音がして、
ちとせの上司が
隣にきて
大変だったな、と
力なくつぶやく
大変だったな……
ちとせは
こわばった笑顔を上司に向けて
すいません、わたしのせいで、と
いうけれど
最後の言葉が
どうしても震えてしまう
よわむし
ちとせは思う
そうすると上司が
唇のはしで笑う
――どこかでみたような笑顔で
気にするな
おれも、管理ミスだから
それより、ラーメンでもどうだ
嫌じゃなければ
すいません
おなかかいっぱいで
じつは
食べる気すらおきなかっただけで
それでも
上司が気遣ってくれたのがわかって
ちとせは、丁寧な笑顔をうかべたまま
頭を下げる
うん、そうか
まぁ、気に病むな
明日は
ちゃんとおいでよ
どこかまだ
心配そうな上司に
はい、
では、失礼します
そう笑って
それから更衣室に向かう
紅い夕陽が
ちとせの紫色の影を
灰色の廊下に、映し出し
幾重にも
動かしていく
更衣室のドアを開けてはいり
電気をつけた、とたん
なみだがじわっとわく
かなしいんじゃない
くやしいんだ……
ちとせは思う
哀しい時って
逆に笑ってしまうもの
どうしても……
ヒステリックに
おなかをかかえ
笑い、笑いながら
泣きだしていた
母の姿を、ふ、と
思い浮かべる
たいへんだったよね
あのころよりは
へいちゃらよ
でも
どうしていまだに
なれないんだろうね……
――ちとせはね、
千年ってかくんだ
内緒だよ
おれがつけたんだ
ねえさんと、パパさんが
つけてくれ、なんて
頼み込んできてさ
――おじさんは
お父さんのことを
パパさんと
親しげに呼んだ――
千歳、とも
かけるけれどね
せんねん、のほうが
いいだろう
千年も
しあわせになれって
ことなんだよ
けっして
満面の笑みではないのに
ほほのかたすみで
いとしげに、笑んで見せる
おじさん
おじさんの笑顔は
どうしてあんなに
あたたかかったの
鬼の話、
ちがうのね
人を苦しめて
自分が救われたなんて
思えないよね
とれなくて
とれなくて
くるしくて
くるしくて
くるしめて
すこしだけ
きばらしに
なる
でも
自分が救われることなんて
ない
ぼろぼろと、
涙がこぼれる
いまになって
掌で
ぬれたタオルを
にぎりしめていたことに
気がつく
一生懸命
あけようとしても
がちがちの手のひらは
なかなか
あかなかった
あけようとするたびに
涙が、
ぼたぼた落ちた
鬼は 鬼は せめて
くるしめ 傷つけ
ひとばかり おいつめ
なじっても
なじっても
救われないことを
わかった とき
すくわれるのかも しれない
かわりばんこに
苦しめあう
鬼たちの慟哭が
いまなお、たまに
聞こえるの
そうだね
そうだね
もっとも
救いのない
地獄
人の胸につくられる
:
すくわれたいなら
すくえばいい
手のひらを ひらけばいい
ひらきかたが
わからない
にぎりこぶしで
ひとをうつ
楽になれるはずもなく
くるしみに
とらわれて
ひらけない
にぎりこぶしで
ひとをうつ
苦痛をあたえ
笑いながら
よろこんでいる
人鬼の慟哭
どこででも
きこえる
Series :
中編
Tag:
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2012-05-10
21:05:55
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自分が苦しさや
不愉快さや、いらだちで
人を苦しめ
苦しんだ人を見て、
よろこぶことだと思ったの
あれは15の頃
ひどくつらくて
泣いていた
つらいというより
いかり、ばかり
黙って聞いてくれた
その人は、口の端で笑いながら
そうだね、でもね
卑劣に、いちばんもなにも
ないんだよ、って
穏やかな声で
こたえた
:
たまには地獄の話をしよう
そこには角の生えた
みにくい、鬼が
なんびきもいて
僕らを苦しめるんだ
ぼくらを? ちいちゃんも?
ちいちゃんも
悪いことをしたら
鬼のつので
きゅうきゅうされるさ
その人は
煙草のにおいがする笑みを
かたほほにうかべる
いや!
おに、いや!
こわい
……だいじょうぶだよ
ほんとの地獄はね
救いのために
あるんだよ
なまはげだって
そうだろう
ホントの鬼は
悪い気持ちに
とらわれた人を
悪い気持ちから救うために
いるんだよ
だから
ほんとの地獄の
あの鬼たちは
おんなじように苦しんで
それでも罪をつぐない洗う
苦しい人の前では泣けず
真っ赤になるまで堪えてる
神様みたいな鬼だけさ
ええ
地獄なのに……?
……
救われない地獄もあって
そこは
人間しかいないんだ
ええ?
どういういみ?
救われない地獄では
にんげんが
かわりばんこに
苦しめ役を
つとめるんだ
自分のくるしみしか
みえないから
ひとをくるしめ
どうして私が苦しいんだ
嘆きながら
ひとをうちあう
ひとりが
どん底まで苦しんだら
かわって
鬼役が、犠牲になって、
苦しめられ
また、どん底まで苦しんだら
つぎは、違う人が鬼になって
責めあうんだよ
いや! すごくこわい!
だいじょうぶだよ
ひと鬼にならなきゃ
だいじょうぶだよ
……地獄は
生きてる間に
ここにできるからね
おじさんが、胸の前で
まあるく、円をかく
ひとの胸に地獄あるの!?
はは……
かすかに笑って
それから、何にも答えない
ただ、あたたかな目で
ちとせを見つめて
いつまでも
かたほほだけで笑ってる
その目を、いまなお
覚えている
:
だいぶ落ちかけた夕日が
空を茜色にそめあげ
ビルの色がそれぞれ
赤にしずんでいる
激昂されて
たたかれた右ほほ、
あかくはれた右ほほを
ちとせは水タオルで冷やしながら
ぼお、っと
どこかにある
夕陽の光を
窓越しに見つめている
とすとすと
音がして、
ちとせの上司が
隣にきて
大変だったな、と
力なくつぶやく
大変だったな……
ちとせは
こわばった笑顔を上司に向けて
すいません、わたしのせいで、と
いうけれど
最後の言葉が
どうしても震えてしまう
よわむし
ちとせは思う
そうすると上司が
唇のはしで笑う
――どこかでみたような笑顔で
気にするな
おれも、管理ミスだから
それより、ラーメンでもどうだ
嫌じゃなければ
すいません
おなかかいっぱいで
じつは
食べる気すらおきなかっただけで
それでも
上司が気遣ってくれたのがわかって
ちとせは、丁寧な笑顔をうかべたまま
頭を下げる
うん、そうか
まぁ、気に病むな
明日は
ちゃんとおいでよ
どこかまだ
心配そうな上司に
はい、
では、失礼します
そう笑って
それから更衣室に向かう
紅い夕陽が
ちとせの紫色の影を
灰色の廊下に、映し出し
幾重にも
動かしていく
更衣室のドアを開けてはいり
電気をつけた、とたん
なみだがじわっとわく
かなしいんじゃない
くやしいんだ……
ちとせは思う
哀しい時って
逆に笑ってしまうもの
どうしても……
ヒステリックに
おなかをかかえ
笑い、笑いながら
泣きだしていた
母の姿を、ふ、と
思い浮かべる
たいへんだったよね
あのころよりは
へいちゃらよ
でも
どうしていまだに
なれないんだろうね……
――ちとせはね、
千年ってかくんだ
内緒だよ
おれがつけたんだ
ねえさんと、パパさんが
つけてくれ、なんて
頼み込んできてさ
――おじさんは
お父さんのことを
パパさんと
親しげに呼んだ――
千歳、とも
かけるけれどね
せんねん、のほうが
いいだろう
千年も
しあわせになれって
ことなんだよ
けっして
満面の笑みではないのに
ほほのかたすみで
いとしげに、笑んで見せる
おじさん
おじさんの笑顔は
どうしてあんなに
あたたかかったの
鬼の話、
ちがうのね
人を苦しめて
自分が救われたなんて
思えないよね
とれなくて
とれなくて
くるしくて
くるしくて
くるしめて
すこしだけ
きばらしに
なる
でも
自分が救われることなんて
ない
ぼろぼろと、
涙がこぼれる
いまになって
掌で
ぬれたタオルを
にぎりしめていたことに
気がつく
一生懸命
あけようとしても
がちがちの手のひらは
なかなか
あかなかった
あけようとするたびに
涙が、
ぼたぼた落ちた
鬼は 鬼は せめて
くるしめ 傷つけ
ひとばかり おいつめ
なじっても
なじっても
救われないことを
わかった とき
すくわれるのかも しれない
かわりばんこに
苦しめあう
鬼たちの慟哭が
いまなお、たまに
聞こえるの
そうだね
そうだね
もっとも
救いのない
地獄
人の胸につくられる
:
すくわれたいなら
すくえばいい
手のひらを ひらけばいい
ひらきかたが
わからない
にぎりこぶしで
ひとをうつ
楽になれるはずもなく
くるしみに
とらわれて
ひらけない
にぎりこぶしで
ひとをうつ
苦痛をあたえ
笑いながら
よろこんでいる
人鬼の慟哭
どこででも
きこえる