動物園

ひどく暗い動物園
蛍光塗料でもぬってあるのか、
けもののいる檻が
暗がりにとけかけるように
うすぼんやりと光っていた

オレンジ色の街灯は
ところどころ消えかけ
光もあさい

今はもう、すくなくなった
大きなガが
ばたばたと音をたて
その光に群がっている

あれはいつ、
何歳ぐらいの時だったんだろう

確かに夜の動物園
けものと草のにおい
けれども
檻の中、動物たちは
ほとんどいない

はんかけの月が
妙に明るく
土の道を
照らしだし
私はギジ兄と
手をつないで歩いていた

背丈の差がありすぎて
背伸びしないと、つなげないのに
それでも懸命に背をのばし
はなされまいと
歩くことより
そればかりに
集中していた

ふと、ぎじにいが
ひとつの檻の前でとまり
その看板を読み
中をおもしろそうに見つめてから
ほら、黒いひょうだよ
猛獣だよ、と笑い、さししめした

今思えば
ぎじにいは
そう大人でもない
20そこそこの
社会人になりたての青年

私はぎじにいが
私の頭を何度もなでるのが気に食わない
つなぐならともかく
あたまを上からなでるなんて、だめだと思っている
また掌を頭のうえにおこうとしたので
ふりはらうように
ひょうの檻に顔を近づける

暗くてよく見えない
けれど確かに
何かが居る

息づかい
やわらかな音

ひょうが目を開けたのか
ふいに、光りかがやくグリーンのひとみが
ふたつ、闇にあらわれる
それがまっすぐ
私を見つめた

けばだつような恐れを感じ
いそいでぎじにいを振りあおぐ
彼はそんな私をみおろしながら
にやにやと笑っている

ぎじにい
あれは、わるいもの?
よいもの?

ごまかすように尋ねれば

悪いもよいもないよ
ただ、危険なものだね……

まつげをふせた
変な笑い方で
ぎじにいはこたえる

そうして、私の頭に
また、彼は手をおく
ぶれいだ、と思う

その手をとって
かみつく
加減もせず
皮膚に歯が食い込むのを感じる
しょっぱい味

いきをのんで
ぎじにいが私をふりはらう
その手をもう一つの手でおさえる

まん丸の目で
私を見つめる
隣にいた猫が
とつぜん蛇にでも
かわったような
そんな目で、
私を見ている


肌色で、ごつごつした右手の
おやゆびのつけね
私の歯形に
うっすらと、血がにじんでいる



うみはね
うちゅうより
開発が
おくれているんだって
ほんとうかな

深海には
まだみない動物が
たくさんいるらしいよ
ほんとうかな
地海人とかいるかな?
ひとじゃないか
地海知恵いきもの?
え?なにそれ

お気楽ご気楽に
まるでゆりかごゆれて
ねむる前の言葉のように
彼が話す
あいまあいまに
自分で自分に
つっこみをいれながら

明るい昼間の動物園
平日だからか
人は、たくさんはいない
ところどころで
草木とけものの
入り混じったにおいがする

へーんな生き物の中にさ
にんげんと
ことばがつうじないだけで
かなりの高い知恵を
もっているやつとかも
いるのかもねぇ
イルカなんて
頭よさそうだもんなぁ
くじらって
イルカのでっかいのっぽいし
海ってそういえば
重力の制約がないから
どんどん
大きくなるらしいよ
くらーけんくらーけん


へえ……

いつも
変な事ばかりいう
わかるようなわからないようなことばかり
嫌いではないけれど
どう返していいかわからなくて
つい、生返事をしてしまう

それでも彼は
うれしそうにうなづいて
前をみたとたん
「あ、アイスクリームだ!」と
動物園の片隅の屋台にむかって
だあっと走り出した

屋台の上の看板には
明るいペンキで
オーソドックスなアイスクリームが描かれていて
子供たちが列をなし
その後ろで
お母さんやお父さんが
お財布をとりだし
中身を確かめたり
子供に注意をしたりしている

列にうきうきと加わる
彼の背中をみつめながら
あたたかい気持ちがわいて満ちてくる
こころがぽかぽかする
温泉みたいな人だなぁ、と思う

「ねえ、何アイスがいい?」
並びながら彼がふりかえり、叫んで
周りの幾人かが私を見つめる

おおい

「まってよ、えらぶから」

こたえながらゆっくり
そちらにむかって、ひとつずつ歩く



すこし風が強くなってきた
木陰のベンチにすわり
アイスクリームを食べながら
彼がとつぜんいう

また会いたいから指きりしない?

ええ、はずかしいんだけど

そうかな……

真剣な顔で
小指を差し出すから
しょうがないな、と
ゆびきりした

うそついたら
はりせんぼん
のます

何年ぶりよ……
わらってしまう

「ゆびきった」と
笑顔で叫ぶ彼を見ながら
ふ、と
その小指を、いま
この歯で食いちぎったら
彼はもう、約束ができなくなる

その約束で
最後になる

おもわずじっと
彼の小指を見つめていたらしい
しばらくの沈黙

あのさ
人ってさ
人の痛み
じぶんの身になったら
なんていったってさ
きっとわかないんだよ

彼が突然話し出す
天気の話でも
するかのように

大事な人
大切におもい
心配になるほど
大切な人が出来て
それではじめて
ひとって
傷つけてはならないんだと
わかってさ

彼は、私の手をにぎりしめた

じぶんではない
ひとのこと
心深いところから
たいせつに
おもえて
はじめて
人の痛みに、痛みを
感じるように
なるんでないかな

ちいちい、と
木の上で
小鳥が鳴いている

動物園は
幼いころの夜とくらべて
深く明るい
おだやかな光の中、
笑い声や歓声で満ちている

ちょうど目の前にヒョウの檻があった
黒くはない
ふつうの、まだらのヒョウ

 よくも わるくもない 危険なものだよ

ぎじにいの声を思い出して
ちょっとだけ笑ってしまった

そうね 危険なものね
豹のおりから目をそらし
小声でつぶやいたら
危険だよねぇ、なんて
なにがわかっているのか
彼が、のほほん、と
つぶやきかえした
2012-05-11 13:17:12