花の星
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徒然記
>> 「絡新婦の理(京極夏彦)」を読んで
2021-08-30 18:59:54
「絡新婦の理(京極夏彦)」を読んで
1、2度手にしてはいつも読めなかった本
なんとか今回は読みきれた
黒ミサがかかわる時の描写がしんどかった
以下、ネタバレあり
☆
とにかく面白かった、
エピローグで
犯人があらわれるとき
今まで堪え忍んだ証のように
イワナガヒメ(黒)から
コノハナサクヤヒメ(桃色)へ
きりえたすがたの
描写もうつくしい
その後、プロローグへのつながりも
美しい、たぶん
図にすると、蜘蛛の巣のような
そういう章構成のようだ
☆
プロローグで犯人の告白には
「じょろうぐも」があらわれる
エピローグでは
「こだま」があらわれている
犯人はずっと
「こだま」のふりをしていた
おうむがえしにひとの声をかえす
こだまだった。
憑き物おとしの基本は
正体をあばくこともふくまれる
☆
居場所がほしいといっていた犯人は
たぶん、誰の心のなかにも
自分がいないことをもって
居場所がないと、
感じていたのかもしれない
彼女が破綻していったのは
結婚してからなのかもしれない
結婚し、あわいきたいを抱いていながら
伴侶のこころには
自分がいられるかも、と
おもっていながら
そこにも彼女がいなかった時に
この事がはじまったのかもしれない
鏡面相というのがある
彼女はまた彼女の旦那とおなじ
どうしても「役に立てないもの」であり
旦那のダメ人間行為は、
彼女のほんとうの姿を
鏡面のようにうつしだした
あらわれだったのかもしれない
☆
同時に、蜘蛛の巣のように
事件をつくりだす事件が
蜘蛛のつくりあげたものだとしたなら
彼女は、曾祖母の
もしかしたら
伝身(写し観)なのではないかとおもった
彼女は彼女のつくりかたで
蜘蛛の巣をつくりあげた
彼女の犯行は、彼女の産出だけど
彼女が犯人にしたてあげた曾祖母も
ぼけていないときに、
糸をはっていたんじゃないか
彼女の行動には
その意図(糸)の影響が
残滓していたんじゃないのか
☆
八つの扉の部屋
その部屋は、曾祖母が
そもそもすんでたところのようおもう
女系家族だから
長女が家督をつぐのだ
長女は殺された
だから彼女がついだ
部屋はそもそも彼女に
あてられていたものではなくて
家督をつぐことになったとき
あてられたんじゃないか
だから、彼女は
あの旦那を旦那にさせられたんだろう
この家族は彼女を蔑ろにしてみえていたけれど
じっさいは、あの旦那をあてがわれていることも
部屋をあてがわれていることも
「家督のつぐもの」として
扱われていたことがわかる
だとしたら、
部屋をあてがわれたとき
彼女は、蜘蛛をついだ
あるいは
本格的にきどうしたのかもしれない
☆
☆
バイアスのかけかたで行動がかわる
状況により行動が構築されるだけで
ひとは思考により行動しているわけではない
だからバイアスと状況を構築すれば
ひとの行動はある程度つくりあげられる
私は「無明の知」が
ほんとうの「人間の知恵」だとおもう
「私は知っている」は現実的ではない
「私はしらない」が
もっとも現実にちかい
「自分がしらないことを
体感会得で知っている人」は
やはりどんな時も
知らない自分がいるからこそ
調べることをおろそかにしない
だから
賢い選択をしやすい
同じように「私は正しい」も現実的ではない
人間は「正しい」にはいられない
絶対的にいられない
だから
どの人のどんな意見をとっても
「正しさ」は確率になる
なのに「私は正しい」が醸し出る人は
だからこそ、のきなみ
「現実の等身大」ではなくて
「詐称心理」の姿をしている
現実には、そんな人間は、あり得ないからだ
☆
思考は行動時にはおきない
状況は行動をおこさせる
沈黙したとき
ようやく頭は起動する
思考は悩むことじゃない
頭をそうして起動させて
知恵をうごかすことだ
☆
人間であるなら
生きる限り
バイアスはなくならない
知識見識そのものだから
でも「私はしっている」とか
「私は正しい」とか
そういうバイアスは
選択肢をなくしていく
バイアスは個性だ
上の二つの個性は
せまい。
☆
☆
気づいて取れる糸(意図)程度の蜘蛛はまだましだ
人の意図に踊らされたくないならどうすればいいんだろうと
本を読みながらつらつら思っていた
「蜘蛛のもの」
つまり「糸により踊らすもの」は
存在しているようにおもう
何にも考えずに、広い空でも見るといいのかもしれない
考えるからこんがらがるんだ
さまざまなことにとらわれても
ふいに「ばかばかしい」と
ふっきれて「自分の本来の姿に戻れる」が
タフだといえるのかもしれない
☆
「ばかばかしさ」はいつも常にどこにでも転がっていて
深刻っていうのはそうそうない
たんに頭が「深刻にする」時が多い
そういう時、バカバカしさに気づけたら
なんだか色々自由になれる気もする
Series.
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なんとか今回は読みきれた
黒ミサがかかわる時の描写がしんどかった
以下、ネタバレあり
☆
とにかく面白かった、
エピローグで
犯人があらわれるとき
今まで堪え忍んだ証のように
イワナガヒメ(黒)から
コノハナサクヤヒメ(桃色)へ
きりえたすがたの
描写もうつくしい
その後、プロローグへのつながりも
美しい、たぶん
図にすると、蜘蛛の巣のような
そういう章構成のようだ
☆
プロローグで犯人の告白には
「じょろうぐも」があらわれる
エピローグでは
「こだま」があらわれている
犯人はずっと
「こだま」のふりをしていた
おうむがえしにひとの声をかえす
こだまだった。
憑き物おとしの基本は
正体をあばくこともふくまれる
☆
居場所がほしいといっていた犯人は
たぶん、誰の心のなかにも
自分がいないことをもって
居場所がないと、
感じていたのかもしれない
彼女が破綻していったのは
結婚してからなのかもしれない
結婚し、あわいきたいを抱いていながら
伴侶のこころには
自分がいられるかも、と
おもっていながら
そこにも彼女がいなかった時に
この事がはじまったのかもしれない
鏡面相というのがある
彼女はまた彼女の旦那とおなじ
どうしても「役に立てないもの」であり
旦那のダメ人間行為は、
彼女のほんとうの姿を
鏡面のようにうつしだした
あらわれだったのかもしれない
☆
同時に、蜘蛛の巣のように
事件をつくりだす事件が
蜘蛛のつくりあげたものだとしたなら
彼女は、曾祖母の
もしかしたら
伝身(写し観)なのではないかとおもった
彼女は彼女のつくりかたで
蜘蛛の巣をつくりあげた
彼女の犯行は、彼女の産出だけど
彼女が犯人にしたてあげた曾祖母も
ぼけていないときに、
糸をはっていたんじゃないか
彼女の行動には
その意図(糸)の影響が
残滓していたんじゃないのか
☆
八つの扉の部屋
その部屋は、曾祖母が
そもそもすんでたところのようおもう
女系家族だから
長女が家督をつぐのだ
長女は殺された
だから彼女がついだ
部屋はそもそも彼女に
あてられていたものではなくて
家督をつぐことになったとき
あてられたんじゃないか
だから、彼女は
あの旦那を旦那にさせられたんだろう
この家族は彼女を蔑ろにしてみえていたけれど
じっさいは、あの旦那をあてがわれていることも
部屋をあてがわれていることも
「家督のつぐもの」として
扱われていたことがわかる
だとしたら、
部屋をあてがわれたとき
彼女は、蜘蛛をついだ
あるいは
本格的にきどうしたのかもしれない
☆
☆
バイアスのかけかたで行動がかわる
状況により行動が構築されるだけで
ひとは思考により行動しているわけではない
だからバイアスと状況を構築すれば
ひとの行動はある程度つくりあげられる
私は「無明の知」が
ほんとうの「人間の知恵」だとおもう
「私は知っている」は現実的ではない
「私はしらない」が
もっとも現実にちかい
「自分がしらないことを
体感会得で知っている人」は
やはりどんな時も
知らない自分がいるからこそ
調べることをおろそかにしない
だから
賢い選択をしやすい
同じように「私は正しい」も現実的ではない
人間は「正しい」にはいられない
絶対的にいられない
だから
どの人のどんな意見をとっても
「正しさ」は確率になる
なのに「私は正しい」が醸し出る人は
だからこそ、のきなみ
「現実の等身大」ではなくて
「詐称心理」の姿をしている
現実には、そんな人間は、あり得ないからだ
☆
思考は行動時にはおきない
状況は行動をおこさせる
沈黙したとき
ようやく頭は起動する
思考は悩むことじゃない
頭をそうして起動させて
知恵をうごかすことだ
☆
人間であるなら
生きる限り
バイアスはなくならない
知識見識そのものだから
でも「私はしっている」とか
「私は正しい」とか
そういうバイアスは
選択肢をなくしていく
バイアスは個性だ
上の二つの個性は
せまい。
☆
☆
気づいて取れる糸(意図)程度の蜘蛛はまだましだ
人の意図に踊らされたくないならどうすればいいんだろうと
本を読みながらつらつら思っていた
「蜘蛛のもの」
つまり「糸により踊らすもの」は
存在しているようにおもう
何にも考えずに、広い空でも見るといいのかもしれない
考えるからこんがらがるんだ
さまざまなことにとらわれても
ふいに「ばかばかしい」と
ふっきれて「自分の本来の姿に戻れる」が
タフだといえるのかもしれない
☆
「ばかばかしさ」はいつも常にどこにでも転がっていて
深刻っていうのはそうそうない
たんに頭が「深刻にする」時が多い
そういう時、バカバカしさに気づけたら
なんだか色々自由になれる気もする