天神さんのことや
私のことは
ほぼ、ほぼ、
心の中や
もっと、細かいこととかは
書いてない
表してない

わずかーに描いたかなぁ……

見えない世界は
ネイティブとポジティブが
ほぼ、めいかくに
くっきりわかれている

私は天神さんや
ほかのかたといると
嬉しいので
ネイティブには
なかなか陥らない

それでも
やすやすと受け入れたとか
騙されているとか
いわれると

いや、けっこーね
何十年間ね
悩んできたのよ
それで、ゆうてるのよ

って、なる

「どうしようもない」ことは
たくさんあって
たとえば、わたしには
祟り神がおとずれるけれど

それを、騙されとか
そういうふうにとるひとも
いるけれど

あのね、どうしようもないのよ
被っているわけじゃないの
やってくしかないのよ

低級霊とか、闇とか
あるじゃない?
宗教とか胡散臭いとか
啓蒙とか、頭浸りとか

そんなん、どうしようもないのよ
知識でなんとかじゃないのよ
家がそこにたっていたように
私はそういうもので
そういうふうに生きてんのよ

他人の実像って
ほとんど、
知識でもイメージでもないじゃない
だいたいが、どうしようもない、か
なんとか自分でできてる

これはこうっていうのは
ぜんぜん、実像じゃないのよ
そうじゃないのよ
実像がないのよ。頭には

他人とふと話してみなよ
そんなんじゃないでしょ
「ーーだからわるい」とか
「ーーだからよい」とか
そうじゃなくて
実像の他人は
生きているでしょう?

ラベリングじゃないし
カテゴリーでもなくて
生きてんのよ
生きてるって
どうしようもないのよ

そういうふうに、生きているって
それが他人の血肉で、他人なのよ

頭の知識とちがうから他人をちがうとか
頭の知識から他人をわかるとか
むりだから、そうじゃないから

たにんは、実像だから

……

天神さんも
みえないだけで
生きてんのよ
生命なのよ
祟り神もそうなのよ

それを低級霊とか
騙してるとか
そうじゃなくて
他人なのよ

自分と向き合うっていうなら
他人にラベリングもカテゴリーもつけないで
ただ伝えてみろよ
伝えてみてよ
ラベリングとカテゴリーばかりで
他人が虚像のひとが
自分と向き合うとか
できてるわけないだろ

頭の知識でしか
思考でしか
他人をしらないひとが
他人にむけることばが
他人の実像が見えてない言葉ばかりの
そんなやつが
自分と向き合うとか
現実みるとか
できてるわけないだろ

他人にむけている言葉に
相手がいないんだよ
相手の血肉や脈拍がないんだよ
魂や悲しみや悩みや痛みがないんだよ
相手の痛みがないんだよ

だから嘘なんだよ、それ
ソレは他人じゃなくてあんたなんだよ
血が流れてない、
心や感情が一切ない
こういうヒトっていう
イメージでしかない
こういうヒトって
ラベリングとカテゴリー
完全に
あんたの虚像だから
あんたでしかないんだよ

……

他人が虚像なんだよ
とにかく
そこ!そこが!すごく、嘘なんだよ

あたまんなかの他人が
嘘な人が
あたまんなかの他人に
人生がないひとが
愛だとか、たましいとか
無理なんだってば
他の人の人生があって
そこに年月があって
毎日毎日あるんだって
わかってから
ようやくはじまんだって

自分とむきあうのも
現実とむきあうのも
ひととむきあうの
他の人にも、自分にも
毎日毎日生活していく
人生があんのを
思えないとはじまんないんだよ

……

向き合うなら向き合えよ
出来ないなら出来ないでいいよ

他人のほうが絶対できてるよ
なんで、人のほうが出来てないって
はなしをしてんのよ

現実と向き合うのも
自分と向き合うのも
すくなくとも
知らない人に、伝えようとする
実像で伝えようとする輩のほうが

説教しかできない善人より
現実あるいてるし、実があるよ

説教しかしてこない、できない
そんな生き方しながら
現実歩いてるつもりになるなよ
他人にむけて与えるものが
そんなものばかりって
どんだけ情けないか気づけよ

花の買い方や、贈り物の買い方
喜ばせ方のほうが現実だろうがよ

凹ませ方ばかり手に入れてきてどうすんだよ
年老いたときに
説教しかできない老人になる気かよ

……

という気持ちが
ずーっと言葉にならない
Series.日々徒然
どのような生き方?