「陰摩羅鬼の瑕」京極夏彦、を読書した

どことなく
今の、わたしの心の中に
あったことと
リンクしていて怖かった

……

常々、私は
悪霊は思想の執着。つまり
妄執のなれ果てに思う

また、いきながらにして
悪意にそまるひとも
妄執のなれ果てに思う

今のところなのだけれど
私は、
妄執の上に構築された独善が
やがて悪意に膿むんではないかと
思っている


……

すごい小説だなぁ、と
おもうのは
肉体をうしなうことが
人間は客観的にしか
把握できないこと
どうしようもなく、
だれも主観として
把握できない、だから
死は実は
とても不安定なのものなんだ、と
いうところを

とてもきちんと
わかりやすく
のたまわれている

「だからこそ葬式が必要なんだよ」
というのが
なんかもうすごい伝え力

死が
生きている限り
客観的なものにすぎないからこそ
死を主観が
把握できないこともあり
妄執かかえたりすると
悪霊するんだけど
そうしたことが
近くの世界にあるから
私は、自分の世界観に
「死の不安定」が
あるんだけど

「お葬式」はとても
大切なもので

「供養」も

つまり心が納得すると
あがるんだけど
納得しないと
むずかしいのよ

この死が
生の間は
客観にしか視られず
所以に不安定であることを
見事に表していて
また伝えきっていて
すごい小説だった

……

京極堂の亭主
中禅寺は
ツキモノオトシをするもので
これは私には「妄執」の
糸を切りといて
「現実」にもどす様に見える

そうしてそれは
まんま、妖怪や悪霊としたものを
落とすことになる

本の中に
悪霊や妖怪は
でてこない
でてこないが、息づいている
それは影響となり
なかの人物たちへの妄執の土台となり
また現実解離への誘いとなる

しかし
中禅寺は
ツキモノオトシなのに
探偵のようにみえる

一方、榎木津といわれる
探偵役は、
才能も、こうどうも
ツキモノオトシの仕者だ

でも様がそう言う風に見えるだけで
中禅寺はきちんとツキモノオトシをし
榎木津はきちんと探偵(解決への案内)を
しているのだから
まぁ、へんな小説だ

主役であり猿回しのような
戸惑い役である関宮は
その実態が、事件に対し
最も距離があり、客観的だ
様は主役で巻き込まれなのに
客役をしている

紹介と実態がくいちがっているようで
その実、「そう見える」だけで
紹介は実態をとらえている

……

本文に嘘のない
嘘がないのに
そうは見えない
小説たる小説だなぁと思う

……

面白かったんだが
読み終わってしばらく泣いてしまった
ネタバレになるから
あんまり言わんが


……

中禅寺は
ツキモノオトシの
天才なんだろうなぁと
思う

この小説に出てくる
ツキモノは
いつも、
現実解離した妄執であり
おもいこみである

人間誰しも持つのかもしれないが

悪霊より
じつは
そのほうが
ツキモノなんだよなぁ……

しかし、まぁ
現実にいたら
ツキモノオトシを
頼みたくなる実力者だなぁと
読んでて思う

彼は徹底的に現実者だが
(この世に不思議はない!)





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読書感想文「陰摩羅鬼の瑕」とびとびに。