まっすぐに仕切られた
ますの中をひとつひとつ丁寧にぬりなさいと
いわれて
塗れる人と
雑な人がいて

丁寧にやる、
まともにやる、ことは
やっぱり、すごいことだ

てきとうとか、
いい加減なことも
やれる人と
やれない人がいて

丁寧とか、真面目とか
いわばスクエア(四角)なことと
アメーバ(ぐちゃぐちゃ)で
ぐちゃぐちゃにする、
みたいなことがあって

アメーバみたいなことには
てきとうさや
いい加減さや
余裕みたいな、
落語で云うなら「ふら」が
必要なんだと思う

ひとによって
数学や、勉強や、
机につくこと自体が苦手なひとがいるように

雑や、らふや、
ランダマイズみたいに
そうやること自体が
苦手なひともいるようだ

……

同じように
ものごとがあって
得意、苦手として
正反対なものごとにも
得意と苦手があるらしい

人間のオーソドックスなかたちの
「苦手」は
共有しているようにおもう

人間は、たぶん、ほんらいなら
「他人を傷つけたり、
侵害したり
搾取したりすること」は
苦手であり、嫌悪をおぼえる生命なんだとおもう
(それをする人は
私には異界のものにみえる(失礼ながら))

オーソドックスな得意、も
じつは共有してるんじゃないかな
それは「思うこと、あたたかいこと」とか
そんな方向のことの気がする

人が喜ぶこと、が
人間の得意なことの
基本的な
根源なんじゃないかな、と思う……

……

きっちりというか
いわれたとおりやることが
機械がでてきて
価値が減り始めてきた

これから、もしかしたら
ランダマイズや、
ある意味、混沌として
生み出しのような作業が
得意なひとの
評価があがるのかもしれない

いままで、いわれたことを
まともにやってきたひとと
同じように

正反対なことにも
苦手なひとはいる

たぶん、機械は
人間と共存はすれども
奪い合いにはならないと
私は思う

事務作業みたいなものだとしても

仕事の価値や評価
どんな仕事ができて
なにができないかで
もたらされるものは
そのときの世界の状態による

なにが苦手でも
できなくても
人の価値は減らない
Series.日々徒然
適当な話(正反対な方向にも、苦手と得意がある)