花の星
>>
小説
>
2011
> 椿
椿
むかし、むかし
確かに、私たちは
ひとから人よりおとるものとして
よりわけられていた
だけど、それには
明確な基準や
明確な規則など
なかったように思う
たんになんとなく
劣るものとして
よりわけられていた
私はつまはじきもの、と呼ばれていたし
つばきは、資産家とよばれる大きな家から
おいだされるほどの「不良」だった
:
つばきは、
ほのくれないの小皿の上に書かれた
深緑の葉の絵をなぞっていた
つばきの掌はうすももいろで
すこし濃い桃色の爪が
その葉を3どなでた
ついかで、抹茶のおだんごをください、と
あの日と変わらない声でいう
今日は、すこしお給料がよかったんです
:
10年前はよく雨が降った
雨の記憶ばかり
つばきは黒い髪を銀の太糸で縛って
黒のビニール傘をさして
私の隣をあるいている
それで、たまにぽつりと
地面に沈み込む水のような声で
ぼくは実は魚なんです、といった
実は魚で、
魚だけど、つばきと名付けられたんです、と
私は、つばきのそばで
雨音にまぎれこむようなその声を聞きながら
ほんとうに、悲しくなった
わけもなく、悲しかった
:
雨の日に、彼は私の家にきて
このアパートはいくらですか、ときいた
一万二千円、でも
めったにとられないよ、と言ったら
にっこり笑った
つばきが家から追い出された日
私は、18になったばかりの学生で
仕事をしながら勉強をしていたので
すこし忙しかった
アパートはぼろぼろで
3部屋あるけれど
西南の私が借りている1部屋いがい
誰も住んでいない
歩くとみしみしいう廊下のすみに
共同トイレがあって
共同洗濯機と物干し台がある
近くに安いつぶれかけた銭湯があって
ぼろになれれば住みやすい
1マン2千円の家賃を
もうろくしているんだ、と
自分で笑いながら言う大家は
取り立てに来ないばかりか、
じゃがいもの煮たのや
紅いものふかしたのをもってきて
学生は痩せていくから嫌なんだ、といいながら
おいていくのだった
大家は案外、年をとっては見えないが
それでもよく、もうろくしているんだ、と
自分で言っていた
:
つばきは16ぐらいの少年で
そういえば、どこで、いつ
出会ったのか、私はさっぱり覚えていなかった
それでも
私の思い違いでなければ
つばきは、ただひとりの親友だった
:
けれど、誰のただしさが
正気で、だれが
狂気なのでしょうか
だれが本当の幸せを知っていて
それで、本当の幸せの量で
人をはかることができるのでしょうか
:
雨の日によく散歩をした
ゴミ捨て場からひろってきた
黒ビニール傘は、1本しかない
それをふたりでさして
つばきに気付かれないように
私はつばきのほうに傘をかたむけて
つばきはすぐに気がついて
傘をたたませてしまうのだった
二人でぬれた方がなんぼかましです、という
そのうち雨にさむくなったのか
私に悪いような目をして
さむいので、もう
傘をさしましょう、といいだす
そのあと、必ず銭湯にいって
雨の日は外に出たくなんかないと
ぶつぶついうのだった
それでも、なぜか、
雨のちょうど良い日になると
私たちはひとつのぼろ傘をもって
外に散歩に出るのだった
:
はさみをください
つばきがいう
つばきは隣の部屋に
住むようになって
ずうずうしくも
私の備蓄しておいた
醤油や砂糖をとっていった
いつかかえします、というから
まっていたら
2日後に煮物になって返ってきた
おいしかった
はさみをください、と
もういっぺんつばきがいう
私は仕事をしすぎて疲れていたので
ふとんもひかずに
パソコン―ぼろやだが、パソコンとネットはあるのだ―を前に
ぐったりねていた
つばきが、その私の尻をふんで
はさみをください、と辛抱強くいった
つかれているんだよ
勝手にとって行けよ、というと
どこにあるかわかりません
それに、それでは泥棒です、という
だから、起き上がって
狭い部屋の中きょろきょろしても
はさみは見当たらない
あれ、みどりのはさみが
パソコンのそばにあったはずなのに、といったら
つばきが、あ、それなら
僕が昨日とっていってしまいました、といった
どろぼうめ
:
雨の日に外に出ると
つばきは、よく
かたつむりを探して歩く
あれらは、最近は
見当たらないんです
ほとんどまみどりのちび蛙も
でかい茶色い蛙なんかも
道路で、たまに
死んでいるのを見るだけです
さびしいですね、という
:
つばきは勉強ができなかった
文字が読めないんだという
だけど私はつばきの言葉が好きだった
不良品というのが
人の中にあるなら
それをいったい誰が選り分けるのだろう
私は、人を傷つけた覚えはないし
つばきも
人をわらい、ないがしろにし
軽んじて傷つけたことなどない
ただ、ただ
必死に必死に
人になりたいと
望んできたことを
だけど、ただ
笑われてきた
なぜだったんだろう
ただ 人になりたいと
人の心を
もとめていた
:
雨が上がる
夜明けが好きです
赤と、群青と紫の
太陽が昇るから
夜明けの中の
いちばんぼしは
一番きれいです
あれは、金星です
:
いったい
だれが幸せの本当を知っていて
だれが、その量で
幸せを測れるのだろう
私たちは
あんパンをふたつにわけてたべて
私は、明日を見ていた
つばきも、明日を見ていた
いったい、誰が
正気と狂気を
きちんと、わけることができるのだろう
いったいだれが
ただしいことの
すべてを
きちんと、わけることが
できるんだろう
なにが やさしさなんだろう
なにが おもいなんだろう
なにが 人間なんだろう
私たちは
ただただ、はぐれながら
人になりたいと思い
人を学んできた
:
つばきの背中には
やけどの跡がある
私は聞かなかった
つばきもいわなかった
だけど、深くおおく
雨が降った日
つばきは
私の背中で酔っ払って
笑いながら
話してくれた
私は
つばきが笑いすぎるのが怖くて
だきしめて
だきしめて
だきしめていたら
ようやく朝がきて
本当にほっとした
あの時の
安堵を
まだ覚えている
:
つばきは夜明けの太陽を知っていて
私は夕方の月をしっていた
ただ明日を見ていた
私たちは、いつも
明日は何をしようと
そればかり
考えていた
:
近くの水族館に
くらげがいる
つばきはクラゲが好きだ
みえるのに透明だから、と
いつも、にっこり笑う
なんでもない笑顔が
私は好きだった
入場料が払えないから
たまにしか来れなかった
雨の日に、
逃げ出したくらげが見えないかと
ついつい近くまで寄った
あるはずもない
「逃げ出したくらげ」を
2人とも信じ込んで
いつか見られるんじゃないかと
今日こそ見られるんじゃないかと
笑いながら話した
朧月にかかる、天気雨だと
月が、くらげのように思えた
綺麗だと思った
:
ひとは、必ず裏切るから、と
つばきにいったら
つばきは、
人の本心が
あなたが期待していたものじゃなかった時の、
裏切り?
それとも、本当のうらぎり? と聞いてきた
真っ黒い目のなかに
くらげのように
電灯のひかりがうつりこんで
ゆらゆらゆれていた
:
人は残酷だね、といったら
僕も、君も、人だから
残酷だよ、という
そうだね、そういった
そうだよね
自分だけは、違う
なんて
思わない
人は、残酷だね
だけど、なぜ
人がいちばん
人を苦しめるのに
人がいちばん、
人を
:
嫌いになりたかった
その絶望
憎みたかった、呪いたかった
もうひとりで生きると
思いこみたかった
それでも人が
いとしかった
それでも人を
求めずに いられなくて
人の心を
求めずに いられなかった
私は人だから
もう 愛されなくてもいいなんて
おもえれば ずっと きっと
ずっと 楽だったのに
:
それから、10年ばかりたって
気がついたら
私は小さな団子屋をはじめていた
別になりたくてなったわけではない
大家がやっていた団子屋を
小遣い稼ぎに手伝っていたら
あととりになってしまった
つばきは、団子屋のポスターなんぞをかいたり
いまは、どこかのなんとかのポスターを描いたり
それで、私のそばでやっぱり
太陽と月の話をしている
むかし むかし
私たちは、確かに
ひとより劣ると
よばれて選り分けられた
ふたりで
たくさんのことを
学び
おぼえた
今年も、また
紅い椿の花が咲いて
雨が降る
Series :
中編
Tag:
... 前頁「ふぐう」へ
... 次頁「軽蔑してきた大人たち」へ
2011-06-16
22:09:10
花の星
>>
小説
>
2011
> 椿
Copyright © by mogiha(
https://ahito.com/
) All Rights Reserved.
確かに、私たちは
ひとから人よりおとるものとして
よりわけられていた
だけど、それには
明確な基準や
明確な規則など
なかったように思う
たんになんとなく
劣るものとして
よりわけられていた
私はつまはじきもの、と呼ばれていたし
つばきは、資産家とよばれる大きな家から
おいだされるほどの「不良」だった
:
つばきは、
ほのくれないの小皿の上に書かれた
深緑の葉の絵をなぞっていた
つばきの掌はうすももいろで
すこし濃い桃色の爪が
その葉を3どなでた
ついかで、抹茶のおだんごをください、と
あの日と変わらない声でいう
今日は、すこしお給料がよかったんです
:
10年前はよく雨が降った
雨の記憶ばかり
つばきは黒い髪を銀の太糸で縛って
黒のビニール傘をさして
私の隣をあるいている
それで、たまにぽつりと
地面に沈み込む水のような声で
ぼくは実は魚なんです、といった
実は魚で、
魚だけど、つばきと名付けられたんです、と
私は、つばきのそばで
雨音にまぎれこむようなその声を聞きながら
ほんとうに、悲しくなった
わけもなく、悲しかった
:
雨の日に、彼は私の家にきて
このアパートはいくらですか、ときいた
一万二千円、でも
めったにとられないよ、と言ったら
にっこり笑った
つばきが家から追い出された日
私は、18になったばかりの学生で
仕事をしながら勉強をしていたので
すこし忙しかった
アパートはぼろぼろで
3部屋あるけれど
西南の私が借りている1部屋いがい
誰も住んでいない
歩くとみしみしいう廊下のすみに
共同トイレがあって
共同洗濯機と物干し台がある
近くに安いつぶれかけた銭湯があって
ぼろになれれば住みやすい
1マン2千円の家賃を
もうろくしているんだ、と
自分で笑いながら言う大家は
取り立てに来ないばかりか、
じゃがいもの煮たのや
紅いものふかしたのをもってきて
学生は痩せていくから嫌なんだ、といいながら
おいていくのだった
大家は案外、年をとっては見えないが
それでもよく、もうろくしているんだ、と
自分で言っていた
:
つばきは16ぐらいの少年で
そういえば、どこで、いつ
出会ったのか、私はさっぱり覚えていなかった
それでも
私の思い違いでなければ
つばきは、ただひとりの親友だった
:
けれど、誰のただしさが
正気で、だれが
狂気なのでしょうか
だれが本当の幸せを知っていて
それで、本当の幸せの量で
人をはかることができるのでしょうか
:
雨の日によく散歩をした
ゴミ捨て場からひろってきた
黒ビニール傘は、1本しかない
それをふたりでさして
つばきに気付かれないように
私はつばきのほうに傘をかたむけて
つばきはすぐに気がついて
傘をたたませてしまうのだった
二人でぬれた方がなんぼかましです、という
そのうち雨にさむくなったのか
私に悪いような目をして
さむいので、もう
傘をさしましょう、といいだす
そのあと、必ず銭湯にいって
雨の日は外に出たくなんかないと
ぶつぶついうのだった
それでも、なぜか、
雨のちょうど良い日になると
私たちはひとつのぼろ傘をもって
外に散歩に出るのだった
:
はさみをください
つばきがいう
つばきは隣の部屋に
住むようになって
ずうずうしくも
私の備蓄しておいた
醤油や砂糖をとっていった
いつかかえします、というから
まっていたら
2日後に煮物になって返ってきた
おいしかった
はさみをください、と
もういっぺんつばきがいう
私は仕事をしすぎて疲れていたので
ふとんもひかずに
パソコン―ぼろやだが、パソコンとネットはあるのだ―を前に
ぐったりねていた
つばきが、その私の尻をふんで
はさみをください、と辛抱強くいった
つかれているんだよ
勝手にとって行けよ、というと
どこにあるかわかりません
それに、それでは泥棒です、という
だから、起き上がって
狭い部屋の中きょろきょろしても
はさみは見当たらない
あれ、みどりのはさみが
パソコンのそばにあったはずなのに、といったら
つばきが、あ、それなら
僕が昨日とっていってしまいました、といった
どろぼうめ
:
雨の日に外に出ると
つばきは、よく
かたつむりを探して歩く
あれらは、最近は
見当たらないんです
ほとんどまみどりのちび蛙も
でかい茶色い蛙なんかも
道路で、たまに
死んでいるのを見るだけです
さびしいですね、という
:
つばきは勉強ができなかった
文字が読めないんだという
だけど私はつばきの言葉が好きだった
不良品というのが
人の中にあるなら
それをいったい誰が選り分けるのだろう
私は、人を傷つけた覚えはないし
つばきも
人をわらい、ないがしろにし
軽んじて傷つけたことなどない
ただ、ただ
必死に必死に
人になりたいと
望んできたことを
だけど、ただ
笑われてきた
なぜだったんだろう
ただ 人になりたいと
人の心を
もとめていた
:
雨が上がる
夜明けが好きです
赤と、群青と紫の
太陽が昇るから
夜明けの中の
いちばんぼしは
一番きれいです
あれは、金星です
:
いったい
だれが幸せの本当を知っていて
だれが、その量で
幸せを測れるのだろう
私たちは
あんパンをふたつにわけてたべて
私は、明日を見ていた
つばきも、明日を見ていた
いったい、誰が
正気と狂気を
きちんと、わけることができるのだろう
いったいだれが
ただしいことの
すべてを
きちんと、わけることが
できるんだろう
なにが やさしさなんだろう
なにが おもいなんだろう
なにが 人間なんだろう
私たちは
ただただ、はぐれながら
人になりたいと思い
人を学んできた
:
つばきの背中には
やけどの跡がある
私は聞かなかった
つばきもいわなかった
だけど、深くおおく
雨が降った日
つばきは
私の背中で酔っ払って
笑いながら
話してくれた
私は
つばきが笑いすぎるのが怖くて
だきしめて
だきしめて
だきしめていたら
ようやく朝がきて
本当にほっとした
あの時の
安堵を
まだ覚えている
:
つばきは夜明けの太陽を知っていて
私は夕方の月をしっていた
ただ明日を見ていた
私たちは、いつも
明日は何をしようと
そればかり
考えていた
:
近くの水族館に
くらげがいる
つばきはクラゲが好きだ
みえるのに透明だから、と
いつも、にっこり笑う
なんでもない笑顔が
私は好きだった
入場料が払えないから
たまにしか来れなかった
雨の日に、
逃げ出したくらげが見えないかと
ついつい近くまで寄った
あるはずもない
「逃げ出したくらげ」を
2人とも信じ込んで
いつか見られるんじゃないかと
今日こそ見られるんじゃないかと
笑いながら話した
朧月にかかる、天気雨だと
月が、くらげのように思えた
綺麗だと思った
:
ひとは、必ず裏切るから、と
つばきにいったら
つばきは、
人の本心が
あなたが期待していたものじゃなかった時の、
裏切り?
それとも、本当のうらぎり? と聞いてきた
真っ黒い目のなかに
くらげのように
電灯のひかりがうつりこんで
ゆらゆらゆれていた
:
人は残酷だね、といったら
僕も、君も、人だから
残酷だよ、という
そうだね、そういった
そうだよね
自分だけは、違う
なんて
思わない
人は、残酷だね
だけど、なぜ
人がいちばん
人を苦しめるのに
人がいちばん、
人を
:
嫌いになりたかった
その絶望
憎みたかった、呪いたかった
もうひとりで生きると
思いこみたかった
それでも人が
いとしかった
それでも人を
求めずに いられなくて
人の心を
求めずに いられなかった
私は人だから
もう 愛されなくてもいいなんて
おもえれば ずっと きっと
ずっと 楽だったのに
:
それから、10年ばかりたって
気がついたら
私は小さな団子屋をはじめていた
別になりたくてなったわけではない
大家がやっていた団子屋を
小遣い稼ぎに手伝っていたら
あととりになってしまった
つばきは、団子屋のポスターなんぞをかいたり
いまは、どこかのなんとかのポスターを描いたり
それで、私のそばでやっぱり
太陽と月の話をしている
むかし むかし
私たちは、確かに
ひとより劣ると
よばれて選り分けられた
ふたりで
たくさんのことを
学び
おぼえた
今年も、また
紅い椿の花が咲いて
雨が降る