花の絵

べつに、そう親しくもなかったように思う
それでも家が近くて
朝陽がきれいだから、とか
夕陽がきれいだから、とか
山鳩がいるから、とか
たまごをみつけたから、とか
そういったことで遊びに誘えた

ほかの誰かなら
笑いそうな誘いを
彼はよろこんで
一緒にきてくれた




やわらかな薔薇色の朝陽の中
金の光に道々はちかちかと瞬いている

一夜にして作られた
納屋のくもの巣は
銀色のほそ糸を
わずかに桃色にそめ
ひらひらと、風にゆらいでいる
真ん中にいる少し大きめのくもが
そのゆらぎに
ここちよさそうにしている

いいなぁ、と思い
取り除こうとした竹箒を手に
少し迷う

それでも、目がめっきり見えなくなったおじいがかかったら
不愉快だろうから、やっぱりえいや、と
さばさばと竹箒で巣を掃除する

―― おまえ、わたるくんとこ
いくんじゃないんか

二階の窓をすこしあけ
おじいが叫んでいる
リイヤはおじいをみあげ、
うん、今行く、
いま準備しているんだ
そういって、赤いはんてんと
はいていた黄色い長靴をぬぎしな、
玄関にもどる

かばんを持って出るころには
空はおだやかな光をみたし
澄んだ青に流れる雲をたずさえている
そこかしこから
ちい、ささ
ちい、ささと
きれいな鳥の声がする

わたるは
リイヤの高校のころからのともだちだ
彼が何とか記憶障害になったのは
学校卒業と同じぐらいで
もう2年経つ
2年というと長いようだけれど
リイヤも、わたるの家族も
わたる自身も、まだそれになれていない

――記憶が混濁するのよ
3年前の記憶
10年前の記憶
昨日の記憶
すべて、時間がおなじなの……

すこしこまったわね、というように
微笑をうかべながらはなす
わたるのお母さんの
おだやかな声を思い出す

わたるのところ、というのは
わたるが病院に通っているので
その帰り道のつきそいを
リイヤが頼まれているからだ

――お願いできないかしら
べつに、危なくないとは思うの
でもね、万が一をかんがえて
お礼はするわ

おれいなんかいらないです
そういって
わたるを迎えにいくようになった

むかえにいく、だなんて
わたるに悪い気がしたが
わたる自身はうれしいようだ



帰り道
病院の近くでご飯を食べて
ゆっくり話しながら帰ると
陽はしだいに
おだやかなオレンジ色をおびてきて
すこしだけ、涼しい風が吹いてくる
病院は遠いから、いきかえりだけで半日かかる

川原ぞいの道を
ふたりでてくてく歩いていると
たまに、わたるのきおくは混濁するのか
不思議なことを言う
川原でお前、おぼれたけれど
体は大丈夫なのか、とか
野球のバット、後ろにお前がいるなんて
きづかなくて
ぶつけてしまった
ごめんな、こぶになっていないか、とか
きおくの混濁は
何がきっかけかはわからない
いつも、違うことをいい
違う思い出を昨日のことのように話す

リイヤはそのたびに
わけのわからない
おなかのあたりがふわっとしたような気持ちになって
だいじょうぶ、とだけ答える

そうしてわたるの家近くになったとき
隣脇の巨木にくもの糸がかかっていて
川原のむこうにしずむ夕陽をあび
それはあまい花のような色をおび
風にあたり、きらきらときらめいていた

わたるが、きれいだなぁ、という
リイヤもそうだなぁ、と思う
しばらくそれを二人で見ていたら
ふいに、わたるがいう

おまえ、だれだっけ……?

リイヤがわたるにあったのは
わたるがここに越してきた高校2年のときからで
だからたまに
リイヤは忘れられる

さとーのともだちだっけ?

ちがうよ

多くはいわないで
リイヤはわたるの手をひっぱって
とりあえず帰ろうぜ、という

わたるは、少しだけ妙な顔をして
うん、とだけいって
ついてくる

それから数メートル
ふたり無言で歩いて
とつぜん、わたるがいう

おまえのもっていた花の絵の手紙
かってにとって
ごめん
あれとったの
俺だ

……知ってる

それだけ答える

この記憶だけ
必ずわたるは思い出す
それから
リイヤに謝る

……ごめん

きれいな絵だった
今思えば、きれいな絵だった
下駄箱に入っていた
時間と、場所と、
よろしかったら、お話だけでもしたいと
かかれていた

周りにからかわれる前に
かばんにしまった
授業中ずっと上の空だった
学校から帰るときに
見ようとしたら、それはどこにもなくなっていた

待ち合わせがわからなくて
それきり

わたるがまたいう
ごめん、
リイヤは困ったようにこたえる
いいよ、もう

家に帰るとき
彼はまたごめん、と
つぶやいて
リイヤはもういいよ、とつぶやいて
おばさんに挨拶して
かえるとき、ふ、と


おまえは、
俺さえ
たまに忘れてしまうのに

それだけ
ずっと
思い出してしまうのか



風が妙に冷たい
空を見上げると
たくさんの星が
まだ明るさを残した青に
きらめいている

なぜか、
くるしかった
2012-05-21 12:16:13