わかいころは
ひとの意見のほうが、
正しそうにみえるものだから
ほいほい聞いていた

正しいってのは
たぶん、
霧みたいなものだ
実態が、そもそも
つかみきれるものでは
ないんだろう

「自分の意見」は
自分の意見にすぎなくて
世界の「ほんとう」は
自前の頭のなかではなくて
せかいに、あって
それは人間じゃ
つかみきれない

ひとが
ひとりぶんだと
どこかで知ってるひとの話は
いつも、耳に
良いんじゃなくて
清いから
好きだ

これが私の意見で
私にとって、正しいといえる
けれど
「ほんとうは」どうなんだろうって
どんなひとも
ひとりぶんにすぎなくて
みんなや、世界ぶんでは
ないんだよなぁ



寒いと身がひきしまる
なのに
ふとるが。なぜだろう



いろんなことがあって
いろんなひとのはなしをきいて
自分のことは
自分にしかできない

「みちびき」というのも
この世にはあって
私は誰かに
導かれるんだとおもっていた
教えてくれるんだと。

でも、自分が、
導いていて
自分の道と
足の先は
自分にしか
歩き出せない

絵も、創作も
そうなんだなぁ、と
最近おもう

だから、いろんなひとが
「いろんな経験をしなさい」って
いうのかもしれない

私は
「ひとの話をよく聞きなさい」って
よくうのみにしなさい、とか、
したがいなさいって
ことじゃなくて
心や、その人を
うけとり
感じ考えなさいのほうが
ちかいと思う

道のり
自分にしかわからないなら
やってきた、味わってきた経験や、
あるいは、信用できるひとの話を
よく聞いて、よく味わって
おおくの、他人の見方と
こころをしることしか
その地図には
なれないんじゃないか



例え何を知り
なにがみえても
知恵を止ませるな

知識も見識も、
知恵ではないから

心をうけとるなら
心がわかるようになる
Series.日々徒然
どうあがいても
冬は寒く
それでも美しい

春は冬をしばらくしたあと
それまでは、寒い日々

今年は夏があっという間だった
いままでよりも
「あっという間」だった
なんだかんだと
おもったり
悩んだりしているうちに
すぎてしまった

秋あたりに実ったライムをたべた
ユズだ、柚子の実だと
おもってたべたら
ライムだった

あんまり
たべたこと、なかったのに
ちゃんと、
あ、これ
レモンでも、柚子でもない
「ライムだ」と
わかる味だった

いきようとしているんだろうか
なぜか種が、ひとつのふさだけ
ぎっしりつまっていた
Series.日々徒然
寒くなってきて
こたつをだした

あたっていると
そとにいきたくないような
でも景色をみながら
たらたら歩きたいような
そんなことを思う

寒いと憂鬱だけれど
「コタツにあたろう
図書館の本でも読もう」と思うと
ウキウキする
幸せな気持ちになる

昔、どこかで
贅沢なことへの招待みたいな話で
その家にたどりつくまで
極めて暑いところと
寒いところをくりかえし
さいごに
暖炉にあたりながら
汗をぬぐう、
そういうようなものを読んだ
これが贅沢だと
そうかかれていた

「極めて暑い」なか
かき氷をかっこんで
プールをおよいだり
青い空をみあげたり
「極めて寒い」なか
温泉にはいったり
コタツにあたって
熱燗をのんで
魚をつついたり
たしかに
そんなのは
いちばん贅沢だと思う

欲がみちることと
心が満ちることは
似ているようでちがう

心を満たさないとならない

欲は穴があいているから
どんなにむさぼっても
どこか飢えてしまう

私は、心が満ちることって
たぶん、人と仲良くできたり
気があったり
いまの季節が
たくさん深くあじわえたり
そんな「贅沢なこと」なんじゃないかと思う
Series.日々徒然
庭でおいておいた
ヒメザクロとか
実りがわずかに
熟しはじめた
うはぁ。

食べられるんだろうか。
ドキドキするわぁ

秋というと収穫の秋だと
それはなんだか
言葉で知っていても
イメージでしかなかった

そだっていって
地味に色づきがかわって
ようやくそろそろ収穫できる
こうして目の当たりにすると
ほんとうに、
収穫は秋なのだ!
秋にくるのだ!と思う

よく、人間の行為を
種をまいて
収穫するまで育てて、
と、たとえて

幾つかのおこないには
良い時期があって

それを、満月、新月
四季おりおり、あわせて
伝えられたりするけれど

人間もいきものだから
やっぱり、そんな風な
程好い期間の長さとか
タイミングとか
あるんだろうなぁ、とおもう

それはもしかしたら
いろんなことにも
あるんだろうなぁ、とおもう

焦りがいちばん
よくない
Series.日々徒然
図書館でたくさん本を借りてきた
いつも、図書館って
素晴らしいと思う

図書館も、時代の流れで
中の本はいれかわる

ふと気がつくと
昔、読んだ本が
どこにもなく
あたらしい
みたこともないような事を
テーマにした本が
びっしり並んでる

そういうことに触れると
妙に不思議な気持ちになる

ずいぶん昔々に
はやりこんだことは
わずかをのこして
いまは、もう
どこにもないように思う

昔に生きていたひとたちの
娯楽だったこととか
皆がしていたこととか

もしかしたら
残っているものでは
はかりしれない
多くのことが
あったのかもしれない

昔々の
名ものこっていない誰かは
その頃には
名を呼ばれて
笑いつつ泣きつつ
怒りつつしてて

どっかの誰かが
似たようなことを
思っていたかもしれない
Series.日々徒然
だいたいお弁当は
すくないかな、足りないかな、
ぐらいの量だ
食べるとそれなりに
お腹いっぱいになる
でも、満腹というより
腹八分目ぐらい

身体はすべて
かえのきかない消耗品だから
丁寧に大切につかうほど
末長くつかえるんだとか

生きているから
わかりづらいけれど
身体はものとおなじようだ

すりきらせればすりきれて
無理をすれば壊れやすい

みえないところの
胃も腸もそんな風なんだろう

お弁当はいつも
腹八分目
満腹より
なんでかすこしだけ
調子がいい
Series.日々徒然
うめぼしのおにぎり
二つばかり鞄にいれて
好きな道をえらんで
散歩してきた

途中の公園で休んで
まったり

ここのところ風が気持ちいい
おにぎり二つで
足りるかわからなかったけど
わりとお腹いっぱいになる

うめぼしも、
ウメシロップも
作ろうとおもえば
つくれるもので

なんだか
買ったものとは違い
家の味がする

これがお袋の味とか
家庭の味とか
そういうことなんだろうか?

むかしは
いろんなものが手作りで
沢庵ひとつとっても
ひとつひとつ
家庭の味だったそうだ
んー沢庵つくってみたい

ぬか漬けとか
変わったところでは
卵黄の味噌漬けとか
興味あるんだけど
手間がかかる
だから、ずっと
躊躇していた

最近、お弁当もつようになって
せっかくだから
いろんなこと
やってみようかなぁと
おもっている
Series.日々徒然
梅雨と秋の雨は
どちらも長いという
降るとほんとうに寒くて
あたたかい上着が
ありがたくなる

同じ降るでも
雪のほうがあたたかいらしい
ほんとうだろうか

空が明るい雨の日は
わりとすきだ

雨のなか、かけていく
子供たちのランドセルが
幾色にも光っていた

信号のおじさんとか
おばさんは、
ボランティアなんだとか
みまもられて
安全に、安心して
すくすく育ってほしい

アメリカのセレブだかでは
ランドセルが
一時期人気だったとか
たしかにフォルムはかわいくて
革鞄のように
長く愛用できそうだ

日本ではなんだか
不穏な感じになる気がする
おしゃれとしても
無理がある



人が生きられること。

安心していられて
安全にすごせること

ひとが、ひとと
生きられる適度なこと

イキイキと
生きられること

まなびになり
ちからになる

そういうことが
一番大事だから

それからはじめて
そこを根っこにして
やっていけたらいいなとおもう



たしかなことに
繋げられるひと

リラックスさせることが
できるひと
笑顔にできるひと

ひとを、安全にできるひと

安心させられるひとが
いちばん、すごいし
ちからのある人なんだとおもう
Series.日々徒然
さいきん、お弁当をつくって
散歩に出て、数十分歩いて
運動して、たべて、
また数十分歩いて、
そんな風にしている

少し前までは
外でゆっくり食べられたんだけど
最近はもう寒くて
食べているのが
難しくなってきた

温かいお茶は
とてもからだが落ち着くので
いつももって出るんだけど
油断すると、熱すぎて
舌を火傷したりする

テキトウなベンチに座ると
飼い主さんの横で
犬が寝転んでいたり
猫が撫でられていたり
なんだか和む

これからも、外でたべたいものだ
凍える程寒くなる前に
お弁当をひろげられて
寒さをしのげて
ゆっくりできるような
調度よいところが
見つかればいいんだけど

いろいろ探している
Series.日々徒然
昔のゲーム、Flashを
すこしずつ
Windowsアプリに変えていってる
難しいようで
煩雑なだけ……

あのころの
「思い」みたいなところ
いまもある、

たぶん
これからは
もっと違う風に
かけるかもなぁと思う

なんだか自分のために
過去に手を触れて
洗い流してみているような
そんな時間だ

☆彡

大人ってのは
大人ってだけで
間違いもするし
ただしいことを
言えるわけでもない



今の「対策が練られないもの」は
世界の本質のようにおもう
「ほんとうのすがた」のように

ほんとうは
世界って、こんな風なもので
こんな風なことの連続で
それにたいして
ずっと、誰も、正しくなんか
なれなかったんじゃないのかな

見知らぬこと
知らないままに
なんとか
経験上の飛び石をしきつめる



真剣なひと
努めてきたひとの
話す話しは
とても価値がある



虚と実は
匂いが違う
ミッシリ感もちがう

みわけられるようになる



こどものころ、
大人の影に見ていた「すごさ」は
自分が幼く小さい弱いものだったから
見えていたものだ

ほんとうは
「すごさ」なんて
ひとは、ずっと
持てないようにおもう

それでも懸命にあるいて
道をひらいている

まよっても
傷ついても
不安でも
自分の足をつかって、
知恵を捻って
目をみひらいて
耳をそばだて
からだをつかって
道をひらいて
歩いてきたひとたちは
命のちからのようなものが、
とてもつよい
Series.日々徒然
まえも、暑いじゃなくて、
熱いんすげどって
日があったけど、ここんところも
熱い……

お気に入りの履きやすい靴が
コンクリートで焼けていく
足の裏が熱い…

下手に長く外にいたら
火傷するんじゃないか

江戸時代にも
気温が高い時があったらしい
どんなふうに
やりすごしていたんだろう?

近くの神社は
むかし、おおきな滝があって
あついときには
ラムネ売りがいて
一杯いくらでうっていて
ラムネ買いながら
滝浴びして
皆が涼んでいたらしい

良いなぁ、そこに滝はもうないけど
滝浴びして
ラムネ飲むとかいいなぁ
Series.日々徒然
昨日パソコンが
とうとう熱暴走したらしく
すごい音と匂いを放ちだしたので
仕方なく、
部屋を寒いような温度にしている

たしかデータセンターの
常時稼働しているパソ子の部屋は
「温度」が決まっているのだそうだ

パソコンは
熱に弱い

熱暴走で
ダメにしたことがあるので
もう十分わかってる

暑さってのは
「はんぱねーよ」と思う

寒いのと暑いのだと
どちらのほうが
「わりとやっていける」んだろう

熱中症と、パソコン熱暴走には
お気をつけて

どちらも「挙動不審」になったら
対策したほうがいい


☆彡

私は、「熱中症」ってなんだか
症状ってものが
わりあい
「気づきにくい」んじゃないかと思う

「頭痛い」とか
自覚症状が出るより前に
「何か挙動不審」な感じが出るので
「変だ」と思ったら
涼しくして休むのが良いと思う

子供や老人、動物が
「だらんとしてきた」
「ぐでぐでだらだらしてる」とか
「変なわがまま言って泣きわめく」とか
「息が荒い」とか
そういう時

わかりにくいけど
怠けているとか、
遊んでいるとか
わがまま言って駄々こねているとか
疲れているとかじゃないことがある

特に10歳以下の子供は
まだ自分の身体症状を
把握することも
伝えることも
うまくいかないんだろうと思う

周りからみて
何事か気づけるように

他のことと同じく
熱中症のことも
症状や対策を
よく知っておくほうが
いいのかもしれない

赤い顔して、力抜けて
寝ているのも注意だと思う

☆彡

きちんとした知識は、
いつも
生活の役に立つなぁと思う

ただ、気合い入れて
「やろう」としないと
「根拠と実績に基づいた
きちんとした知識」って
仕入れられない

「勉強しよう」としないと
「馬鹿なこと」にしかならない

☆彡

「外出前に水呑む」「涼しくする」
3密対策とともに
足しこみしておいてる

私は危ない時は頭に水かぶってる
Series.日々徒然
もう少し庭が広ければ
もうすこし
食べられる葉や
果実をおいて
実ったら描いて
食べながら描いて
食べて描いて食べて描くとか
したいんだけど

もうギリギリで
でもまぁ、よいか。よいか。

あじわい。
食べて描いたら
きっと違うんだろうとか
いろんなことを
おもうんだ。

美味しい、のと
描きたいのは
わたしには
おなじなんだ

神様の絵もそう。
じつは
神様のオーラは
味わいがあって
美味しいから描いてる

美味しいと
美しいと
可愛いは
すばらしい



どんどん、美味しい絵を描きたい
もっと美味しい絵を描きたい
Series.日々徒然
いつもお世話になっている
東京・八重洲口近くの画廊さん
T-BOXさんで
今年も「Mix展」が
開催されます

私も5枚ほど参加します

T-BOXさん Mix展

このようなご時世ですから
画廊さんでも
・マスクの着用
・消毒
・換気
などの対策をとられています

ご来廊いただけます際は
あわせて、個人個人
出来る限りの対策を
お取りください

・マスク着用
・人との距離をとる
・混んでいたら空くまで少し開ける(1時間前後)
・体調が悪ければひかえる

私は水曜日の午後あたりに参ります
別の日付けも
ご来訪される旨
ご連絡いただければ参ります

よろしければ
いらしてください

(※開催週間中は
私は個人的に祈祷しています)
絵は、だいたい、
週に一、二枚にしないと
心の熱のようなものが
回転しすぎて
絵が荒れてくる

一度の熱が
静かになるまで
待つということを
するようになって
ようやく
描きたいことが
わかってきた

不思議なものだ

こうしたことは
ひとりじゃ出来なかった
見える見えないふくめ
まわりの方々のおかげ
ありがたい



どういう風なことであれ
「荒れてくる」みたいなことが
あるなら
それは「やり過ぎ」なのかもしれない

静かになるまで待つのは
うごくより、すこし
ちからをつかうけど

ただ、動くだけじゃなくて
時や、場の動きや
熱の量を観るというのも
「うごき」には
必要なんだとおもう



奥村土牛さんの描かれた
「鳴門」を
思い出す
渦のある翠のきれいな湖

エネルギーは
みえないけれど
たえずながれている

湖みたいなところもあるし
川のようなところもある
荒れたりもするし
凪いだりもする

人は、エネルギーのなかで
エネルギーをだしながら動いている
そうして
たがいに影響しあってる

自身のながしだすものが
荒れた渦にならず
やわらかい静かな渦になると
うれしいものだとおもう

土牛さんのような絵を
いつかかきたい
Series.日々徒然
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