▲昔の絵

きがつかなかったけれど、「不動明王」
よくみたら
むかしから、不動明王ばっか描いてる(好きだから)

こっちも不動明王


昔は、スピリチュアルなんか
まったくしらなくて
なんでこういう絵になるのか
わけが、わからないまま、描いてた

花の星、
スピリチュアルと普通の創作をわけてたんだけど
いまは意識しているだけで
創っている「こと」、
あらわしている「こと」は
むかしから、まったくかわってない

そこがわかってしまったので
サイトあわせてしまった……

……


基本的に、私は(人に言える)意見がない
思想みたいなものはまわるけれど
意見として、いえるものがないなぁ、と思う

そうおもいながら、ふと

意見て変な漢字だなぁと思う

意を見る(あるいは、見える意か)

「意」の意味をぐぐったら「こころ」とか
「精神のはたらき」とかでてきた

としたら、意見て
私がおもっていたもの
(おたがいにかわすディスカッションみたいなの)
ではなくて

「こころの動きをみる(あるいは見せる)」
これ事態をさしているのか

そしたら意見ばかりだなぁ……



日々なにかしているからか
「もうこんな時間?」と同じように
「もうこんな日付!?」ってのがでてくる

大人になるほど
時間がたつのがはやいという

もしも
こどものころには
しらなかったこと、
わからなかったこと
できなかったことが
目の前にありつづけて

だから、実は、無意識に
日々夢中になっていて
時をわすれていることがおおくて、
そうなっていくのなら
素敵なことだとおもう
Series.日々徒然
「他人が嫌い」なときは
たいしたことは出来ないもんだと思う

なのに
たいしたことを
知ったか気分になって
している気分になって
はしりまわって
たいしたことないもんだから
欲しいこと、ことごとく
もらえなくて
疲れ果てて
すさんで、悪循環をするのは
そんなときな気がする

結局、人は人と生きていて
交流のなかに、創作はいきづき
知恵はやどり
生活がともり、現実がそこに活きる

人を好きになれないとき
人を喜ばせるような
たいしたことないけど
ささやかなことが
胸に浮かばないんだと思う

人が、人と生きているもんだから
嫌いなときほど
他人が気になるのかもしれない

嫌悪のとき
なぜか、視線は常に他人にむけられやすい

他人が好きなときは
なんか自由だ、

欲しのぞむことがないからか

他人が生きて
日に日に息づいていることが
うれしいだけだから

視線が空を観たり、世界を観たりする

生活がうれしいって
生きることがうれしいって
たぶん、人と生きていてうれしいって
ことなのかもしれない

Series.日々徒然




3マッチパズルで連鎖するとおちてくる
大量に消せるアイテムを組み込んだ

15連鎖までそのアイテムが生成される
連鎖最大数って制限かけた方がいいんだろうか……

これでだいぶ出来上がってきた
次は、散歩中に使える
いろんなアイテムを組み込む



できれば、
マッチパズルを
キャラクターと
対戦させたいなぁと
ぼんにゃりおもってる……

AIが難しそうなので
組み込めなかったら
またの機会につくってみたい


水彩の散歩……

なかなか
「あ、ここまでくれば
あとはツメだけだ」って
ところまでいかない

手帳にはさまざまにあったことが書かれていく
「思い出」として
イベントを再閲覧できる
閲覧しおえたら手帳に戻る

のこすところの大きな機能は
パズルの「なんか変なアイテム」がでてくるところ……
連鎖を出すと、ぽげーんとでてくる変なもの

「面白いかどうか」といわれたら
ひとによって、あう、あわないがあるなぁ
ただ、われながら、「迷い家」感がゲーム内で満ちている
「不思議な雰囲気」が好きな方にお勧めかもしれない

物語が、「ぶーんとなげっぱなし」で
「わからないところは脳内で保管してね」ってやつで
ゲームやってると「彷徨い感、惑い感」がでてくる奴

そうした「惑い」が好きな方にはお勧めかもしれない

→ 水彩の散歩


世界がどのようにみえても
たぶん、ひとりひとり
自分の道のりがあって
そこを進むのだと、私は思う

絵についても
詩や、小説についても
ほかのことについても

他人の道のりではなくて
自分の前に、道のりがあって
みんな、そこを
進んでいって居るんだと思う

ひとのほうがいい、とか
たまにおもえても
それでも、なんだかんだしていって
やっぱり、自分の前へ、
進んでいって
やっぱり、そこに道のりがある

私は、ひとと自分とか
いきものが
そういうふうに
できていると
かんじるから

ひとのほうがいい、とか
こうしたほうがいい、とかは
たとえば、そうしたことが
あったとしても
いっときの補助輪のようなものだと思え

なんだかんだ、
いろんなことをして、
この先を
もさくを自分でやっていって
進むしかないんだと、思う

それはどれもそうなんだと思う

たとえお金儲けでも、
もてることでも
ビジネスでも

思想や、哲学や
教育でも

自分の先は
自分でやってみて
すすむ、
あるいは
どんなに、人のうしろを
あるこうとしても
自然に、自分の道のりにもどって
そこを歩いているものだと思う

……

「これでおわり」というのは
ないんだと思う
Series.日々徒然


イノシシドシダヨー
猪突猛進に磨きがかかって
今年はすんすん、進めると良いな

イノシシうまく描けなくて
何枚もカイテシマッタヨー

新年の神社参り、初詣
今年は朝に参りました
寒かったです

今年も、すこやかに
幸いにやっていきたいですねー

今年も、よろしくお願いいたします
Series.日々徒然
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