なんだか最近
体調が変わってきたのか
もつ鍋にはまっている
野菜も食べられて、
味もよい

店によって
美味しいところが違う
また量もちがう
どうももつ鍋は
お酒とともに食べるもの?らしくて
昼にひとりで注文してると
ビックリされる

もうお店で頼まないで
新鮮なもつを買って
家でしようか、などと思うも
下ごしらえとか
なかなか面倒くさい

お店は手間料がはいってる

何はともあれ、ことしも、
なんとか過ごしきれた

今年、一年
ありがとうございました
来年もよろしくお願いいたします
幸福な年になりますように
Series.日々徒然
東京・八重州のt-boxさんで
12月5日から開催中の
「エコなクリスマス・お正月」に
参加しています

私は前期の12月11日まで、
水彩画を五枚ほど
参加させてもらっています

お近くにお寄りのさいは
ぜひ、お立ち寄りください
こういう時分はいつも気が緩む
緩和されつつある
普段より気を付ける時かなと思う

美術館にいってきた
仏教美術はいつもひかれる
光のあたりかたでみえかたが違う

なににひかれるか、は
そのときの自分があらわれる気がする
必要なこと、必要なもの
心がほっしている

からだと同じように
心も何かを必要とする
意識ではわかりづらいことが
無意識にはあらわれる

なんだかむしょうに
本屋にいきたくなった



最近の方が
気を付ける時かなと思う
油断するから
心から油断してしまいそうだ

三密回避と、マスクと、手指消毒
基本はきっと変わらない
慎重に続けようと思う
Series.日々徒然
棚をつくった
カンセイヒンが想定されているやつで
指示通りに組み立てるやつ

木のにおいがする
いろんな木の家具で
なんの木をつかわれているのか
気にしたことは
なかったけれど
木は、木によって香りがちがう

木だけになんの木か気にしてみたい

日本人の
流行り病となった花粉症は
杉がうれたころに
杉をうえすぎて
いっぱい花粉がとぶようになって
流行りとなったらしい

杉だけにうえすぎちゃいましたってか。



たまにみえないところで
どんな影響を
自分はつくっているのか
かんがえる

いやだなぁーってことは
つくると
まわりにころがるようになる

楽しいとか
うれしいとか
リラックスとか
そういう風なものを
だしていけるひとになりたい

リラックスが一番難しいと思う

☆拍手レス

いつも応援ありがとうございます
☆「ゴミみたいな大人」は
まだflashですが、「酔いの玉」のほうに
おいてあります

☆ご感想とてもうれしいです
レスはなかなかかえせませんが
いつも励みにしております
ありがとうございます
Series.日々徒然
1、2度手にしてはいつも読めなかった本
なんとか今回は読みきれた
黒ミサがかかわる時の描写がしんどかった

以下、ネタバレあり



とにかく面白かった、
エピローグで
犯人があらわれるとき
今まで堪え忍んだ証のように
イワナガヒメ(黒)から
コノハナサクヤヒメ(桃色)へ
きりえたすがたの
描写もうつくしい

その後、プロローグへのつながりも
美しい、たぶん
図にすると、蜘蛛の巣のような
そういう章構成のようだ



プロローグで犯人の告白には
「じょろうぐも」があらわれる
エピローグでは
「こだま」があらわれている

犯人はずっと
「こだま」のふりをしていた
おうむがえしにひとの声をかえす
こだまだった。

憑き物おとしの基本は
正体をあばくこともふくまれる



居場所がほしいといっていた犯人は
たぶん、誰の心のなかにも
自分がいないことをもって
居場所がないと、
感じていたのかもしれない

彼女が破綻していったのは
結婚してからなのかもしれない

結婚し、あわいきたいを抱いていながら
伴侶のこころには
自分がいられるかも、と
おもっていながら

そこにも彼女がいなかった時に
この事がはじまったのかもしれない

鏡面相というのがある
彼女はまた彼女の旦那とおなじ
どうしても「役に立てないもの」であり
旦那のダメ人間行為は、
彼女のほんとうの姿を
鏡面のようにうつしだした
あらわれだったのかもしれない



同時に、蜘蛛の巣のように
事件をつくりだす事件が
蜘蛛のつくりあげたものだとしたなら

彼女は、曾祖母の
もしかしたら
伝身(写し観)なのではないかとおもった

彼女は彼女のつくりかたで
蜘蛛の巣をつくりあげた

彼女の犯行は、彼女の産出だけど
彼女が犯人にしたてあげた曾祖母も
ぼけていないときに、
糸をはっていたんじゃないか

彼女の行動には
その意図(糸)の影響が
残滓していたんじゃないのか



八つの扉の部屋
その部屋は、曾祖母が
そもそもすんでたところのようおもう

女系家族だから
長女が家督をつぐのだ
長女は殺された
だから彼女がついだ

部屋はそもそも彼女に
あてられていたものではなくて
家督をつぐことになったとき
あてられたんじゃないか

だから、彼女は
あの旦那を旦那にさせられたんだろう

この家族は彼女を蔑ろにしてみえていたけれど
じっさいは、あの旦那をあてがわれていることも
部屋をあてがわれていることも
「家督のつぐもの」として
扱われていたことがわかる

だとしたら、
部屋をあてがわれたとき
彼女は、蜘蛛をついだ
あるいは
本格的にきどうしたのかもしれない





バイアスのかけかたで行動がかわる
状況により行動が構築されるだけで
ひとは思考により行動しているわけではない
だからバイアスと状況を構築すれば
ひとの行動はある程度つくりあげられる

私は「無明の知」が
ほんとうの「人間の知恵」だとおもう

「私は知っている」は現実的ではない
「私はしらない」が
もっとも現実にちかい

「自分がしらないことを
体感会得で知っている人」は
やはりどんな時も
知らない自分がいるからこそ
調べることをおろそかにしない
だから
賢い選択をしやすい

同じように「私は正しい」も現実的ではない
人間は「正しい」にはいられない
絶対的にいられない
だから
どの人のどんな意見をとっても
「正しさ」は確率になる

なのに「私は正しい」が醸し出る人は
だからこそ、のきなみ
「現実の等身大」ではなくて
「詐称心理」の姿をしている

現実には、そんな人間は、あり得ないからだ



思考は行動時にはおきない
状況は行動をおこさせる

沈黙したとき
ようやく頭は起動する

思考は悩むことじゃない
頭をそうして起動させて
知恵をうごかすことだ



人間であるなら
生きる限り
バイアスはなくならない

知識見識そのものだから

でも「私はしっている」とか
「私は正しい」とか
そういうバイアスは
選択肢をなくしていく

バイアスは個性だ
上の二つの個性は
せまい。





気づいて取れる糸(意図)程度の蜘蛛はまだましだ

人の意図に踊らされたくないならどうすればいいんだろうと
本を読みながらつらつら思っていた

「蜘蛛のもの」
つまり「糸により踊らすもの」は
存在しているようにおもう

何にも考えずに、広い空でも見るといいのかもしれない
考えるからこんがらがるんだ
さまざまなことにとらわれても
ふいに「ばかばかしい」と
ふっきれて「自分の本来の姿に戻れる」が
タフだといえるのかもしれない



「ばかばかしさ」はいつも常にどこにでも転がっていて
深刻っていうのはそうそうない
たんに頭が「深刻にする」時が多い

そういう時、バカバカしさに気づけたら
なんだか色々自由になれる気もする
どんなときも
自分のほんとうのこころで
話をしたり、動いたりできたら
たぶんそれは勇気といえるし
力とも言えるんだと思う

やりたいことをちゃんとできたら
人はみていてくれるし
認めてもくれる

ただ、ちゃんとできていないのに
出来ているようなつもりになって
なにかのところに
にげてしまうから

不埒なところが
あいているから
ぴったりと、くうきがあわない

真の心って
すごく、ちゃんとしてて
本当はずっとしってるし
きちんと、まともな判断をしている

どんなときも
どういう状況でも
心の中のほんとうと
ちゃんと向き合えたら
いいなぁとおもう
Series.日々徒然
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