なんとなく
ひとごみをさけながら
たまに外食にいくんだけど
よいなぁ、ってお店は
なんだか、こんなときも
前を向いている

前はなかったことが
しだいに導入されていって
さりげない対策が
きちんとされていって
だんだんに行きやすく
かわっていってる

もちかえりも
さかんにかわっていってる

ああ、なんだか
自分もそうでありたいとおもう



あたらしいこと
へんかしていくことが
よのつねで
たしかならぬことが
すべてだというなら

みちぱたの
おりおりの、ながれのなかで
さまざまを
まなんで、つないで
とりいれて
まなんで、つなぐ

そんなことばかりが
よいことにつながるんだろうか

だれもただしくも
たしかにもなれないなら
ただ、みちみち
まなべるかどうかが
ひかりをみいだせるかどうかに
なるのかもしれない

けものとくらべれば

ひとのちからで
もっもとつよいのは
ちえだという



デッサンにいくたびに
まなびが浅いようにおもえる
うまくかけない
でもうまくかけないことが
わかってはじめて
すすめるんだって
Series.日々徒然
いろんな世界
スピリチュアルとか
すこし、いろいろ、
行ってきたけど
「あたりまえなこと」とか
「ふつうなこと」とか
それがどれ程大切なことか
おもいしる

「とくべつなこと」は
かたむけば
「いようなこと」にすぎない

普通なんてない、て
いわれているけれど
そうなんよね
そうなんだけど
でも普通ってあって
それが大切なんだと思う

わたしとともにいてくれる
「見えないかたがた」は
いつも
あたりまえな、継続する努力とか
地味な事とか
「あたりまえな」の
「ふつうなことをすること」の
大切さをとかれていた

わたしは、ともにいる
見えない方々
いつも、平常や普遍をいつくしみ
道外れることなく
おごることなく
いまだにまなび
日々をあゆまれている方々が
とてもすきで
尊敬をおぼえる

わたしは
「ふつう」って
どこにもないんだけど
本当は、ちゃんとあるんだと思う
そうした
「あたりまえ」とか
「ふつう」からみて
自分はどうみえるか、って
どんな行為や言動をしているのか、って
気にする程ではないけれど
忘れてはいけないように思う

とくに、みえない世界と
そばにいるなら

☆彡

数年前に
見える(わかる)ようになって
スピリチュアルな自分を
おもてにだすか
裏で隠すか、考えた

わたしは、嘘がいやだった

わたしの絵や作品には
(わかっていなかったころも)
いつも、モデルさんが
いてくれた

それを
自分の発想です、というのが
いやだったし
そういう体裁じゃ、
描けなかった

わたしは、霊能者じゃない
絵描きだ

だから、表にだした
かれらがいることと
彼らを描いていることを

表にだして、きちんと
かれらとともに、
絵を描いていきたかった

☆彡

これからも
わたしは
絵描きなんだと思う
Series.日々徒然
いやなことに
向き合い続けると
アドレナリンが出るらしい
アドレナリンは
闘争本能みたいなものだろうか
「たたかってしまう」ように思える

戦いというのは
負けか、勝ちか、だから
深いところの流れを追えば
昔は命がかかっていたものだから

いやなものが
「消えない、なくならない」かぎり
まるで追い詰められたような
どうもずっと不幸な気持ちが
なくならないらしい

犬を前にしたウサギのつらさか
猫を前にしたネズミのつらさか



私は昔こればっかりだった
ひとに「戦わないことも
選択肢にあるんだよ」とか
「真正面からぶつからないで
さっとよけることだって
必要なんだよ」とか
いろいろ言われた

闘牛士になればいいのだけど
「闘牛」のほうになってしまう

「ラビリンス」の話
迷宮に迷い込み
牛の鬼に追われ
蠟の羽根をつくり
逃げたところで
太陽に近づきすぎて
落ちたものの話……

たまにそんなことを思い出す
それはいつも「ロマン」を覚える

私は、いつも
苦しめてくる
「牛の鬼」は
私自身から、うまれたように思える

☆彡

もうすぐ春だ
己の中の牛の鬼
にっちもさっちもいかないものに
怒っている、泣き顔を
みつめていても
季節は適当に過ぎていく

なんとなく
どうも
そうしないことはできないけれど
戦いを忘れる日が
最近、ぽつぽつできてきた

メリハリがあっていい

あと
意外と幸福なことに
たまに気が付く
Series.日々徒然
昔みた、アニメで
「毎日善かったことを探すの」とか
そういう女の子がでてくるものがあった

私はテレビをみるのは
すこし苦手なんだけど
印象に残るところは
とても深くまでのこっている

最終話で、女の子に
そうしたことを
伝えられた人たちが
屋敷に集い、
女の子のおばさんに伝える

「あの子はみんなに
よかったさがしを
おしえてくれました
なぜ、あなたは
知らないんでしょうか」

おばさんだけが
「よかったさがし」を
しらずにいた

そんなシーン

今この頃
なんとなく
よかったことを
思いかえしてみる

ない日もあるし
ある日もある

昔の私はずいぶん
脳天気で
笑ってばかりだったようにも
思い出せる
Series.日々徒然
わかいころは
ひとの意見のほうが、
正しそうにみえるものだから
ほいほい聞いていた

正しいってのは
たぶん、
霧みたいなものだ
実態が、そもそも
つかみきれるものでは
ないんだろう

「自分の意見」は
自分の意見にすぎなくて
世界の「ほんとう」は
自前の頭のなかではなくて
せかいに、あって
それは人間じゃ
つかみきれない

ひとが
ひとりぶんだと
どこかで知ってるひとの話は
いつも、耳に
良いんじゃなくて
清いから
好きだ

これが私の意見で
私にとって、正しいといえる
けれど
「ほんとうは」どうなんだろうって
どんなひとも
ひとりぶんにすぎなくて
みんなや、世界ぶんでは
ないんだよなぁ



寒いと身がひきしまる
なのに
ふとるが。なぜだろう



いろんなことがあって
いろんなひとのはなしをきいて
自分のことは
自分にしかできない

「みちびき」というのも
この世にはあって
私は誰かに
導かれるんだとおもっていた
教えてくれるんだと。

でも、自分が、
導いていて
自分の道と
足の先は
自分にしか
歩き出せない

絵も、創作も
そうなんだなぁ、と
最近おもう

だから、いろんなひとが
「いろんな経験をしなさい」って
いうのかもしれない

私は
「ひとの話をよく聞きなさい」って
よくうのみにしなさい、とか、
したがいなさいって
ことじゃなくて
心や、その人を
うけとり
感じ考えなさいのほうが
ちかいと思う

道のり
自分にしかわからないなら
やってきた、味わってきた経験や、
あるいは、信用できるひとの話を
よく聞いて、よく味わって
おおくの、他人の見方と
こころをしることしか
その地図には
なれないんじゃないか



例え何を知り
なにがみえても
知恵を止ませるな

知識も見識も、
知恵ではないから

心をうけとるなら
心がわかるようになる
Series.日々徒然
どうあがいても
冬は寒く
それでも美しい

春は冬をしばらくしたあと
それまでは、寒い日々

今年は夏があっという間だった
いままでよりも
「あっという間」だった
なんだかんだと
おもったり
悩んだりしているうちに
すぎてしまった

秋あたりに実ったライムをたべた
ユズだ、柚子の実だと
おもってたべたら
ライムだった

あんまり
たべたこと、なかったのに
ちゃんと、
あ、これ
レモンでも、柚子でもない
「ライムだ」と
わかる味だった

いきようとしているんだろうか
なぜか種が、ひとつのふさだけ
ぎっしりつまっていた
Series.日々徒然
寒くなってきて
こたつをだした

あたっていると
そとにいきたくないような
でも景色をみながら
たらたら歩きたいような
そんなことを思う

寒いと憂鬱だけれど
「コタツにあたろう
図書館の本でも読もう」と思うと
ウキウキする
幸せな気持ちになる

昔、どこかで
贅沢なことへの招待みたいな話で
その家にたどりつくまで
極めて暑いところと
寒いところをくりかえし
さいごに
暖炉にあたりながら
汗をぬぐう、
そういうようなものを読んだ
これが贅沢だと
そうかかれていた

「極めて暑い」なか
かき氷をかっこんで
プールをおよいだり
青い空をみあげたり
「極めて寒い」なか
温泉にはいったり
コタツにあたって
熱燗をのんで
魚をつついたり
たしかに
そんなのは
いちばん贅沢だと思う

欲がみちることと
心が満ちることは
似ているようでちがう

心を満たさないとならない

欲は穴があいているから
どんなにむさぼっても
どこか飢えてしまう

私は、心が満ちることって
たぶん、人と仲良くできたり
気があったり
いまの季節が
たくさん深くあじわえたり
そんな「贅沢なこと」なんじゃないかと思う
Series.日々徒然
庭でおいておいた
ヒメザクロとか
実りがわずかに
熟しはじめた
うはぁ。

食べられるんだろうか。
ドキドキするわぁ

秋というと収穫の秋だと
それはなんだか
言葉で知っていても
イメージでしかなかった

そだっていって
地味に色づきがかわって
ようやくそろそろ収穫できる
こうして目の当たりにすると
ほんとうに、
収穫は秋なのだ!
秋にくるのだ!と思う

よく、人間の行為を
種をまいて
収穫するまで育てて、
と、たとえて

幾つかのおこないには
良い時期があって

それを、満月、新月
四季おりおり、あわせて
伝えられたりするけれど

人間もいきものだから
やっぱり、そんな風な
程好い期間の長さとか
タイミングとか
あるんだろうなぁ、とおもう

それはもしかしたら
いろんなことにも
あるんだろうなぁ、とおもう

焦りがいちばん
よくない
Series.日々徒然
図書館でたくさん本を借りてきた
いつも、図書館って
素晴らしいと思う

図書館も、時代の流れで
中の本はいれかわる

ふと気がつくと
昔、読んだ本が
どこにもなく
あたらしい
みたこともないような事を
テーマにした本が
びっしり並んでる

そういうことに触れると
妙に不思議な気持ちになる

ずいぶん昔々に
はやりこんだことは
わずかをのこして
いまは、もう
どこにもないように思う

昔に生きていたひとたちの
娯楽だったこととか
皆がしていたこととか

もしかしたら
残っているものでは
はかりしれない
多くのことが
あったのかもしれない

昔々の
名ものこっていない誰かは
その頃には
名を呼ばれて
笑いつつ泣きつつ
怒りつつしてて

どっかの誰かが
似たようなことを
思っていたかもしれない
Series.日々徒然
だいたいお弁当は
すくないかな、足りないかな、
ぐらいの量だ
食べるとそれなりに
お腹いっぱいになる
でも、満腹というより
腹八分目ぐらい

身体はすべて
かえのきかない消耗品だから
丁寧に大切につかうほど
末長くつかえるんだとか

生きているから
わかりづらいけれど
身体はものとおなじようだ

すりきらせればすりきれて
無理をすれば壊れやすい

みえないところの
胃も腸もそんな風なんだろう

お弁当はいつも
腹八分目
満腹より
なんでかすこしだけ
調子がいい
Series.日々徒然
うめぼしのおにぎり
二つばかり鞄にいれて
好きな道をえらんで
散歩してきた

途中の公園で休んで
まったり

ここのところ風が気持ちいい
おにぎり二つで
足りるかわからなかったけど
わりとお腹いっぱいになる

うめぼしも、
ウメシロップも
作ろうとおもえば
つくれるもので

なんだか
買ったものとは違い
家の味がする

これがお袋の味とか
家庭の味とか
そういうことなんだろうか?

むかしは
いろんなものが手作りで
沢庵ひとつとっても
ひとつひとつ
家庭の味だったそうだ
んー沢庵つくってみたい

ぬか漬けとか
変わったところでは
卵黄の味噌漬けとか
興味あるんだけど
手間がかかる
だから、ずっと
躊躇していた

最近、お弁当もつようになって
せっかくだから
いろんなこと
やってみようかなぁと
おもっている
Series.日々徒然
梅雨と秋の雨は
どちらも長いという
降るとほんとうに寒くて
あたたかい上着が
ありがたくなる

同じ降るでも
雪のほうがあたたかいらしい
ほんとうだろうか

空が明るい雨の日は
わりとすきだ

雨のなか、かけていく
子供たちのランドセルが
幾色にも光っていた

信号のおじさんとか
おばさんは、
ボランティアなんだとか
みまもられて
安全に、安心して
すくすく育ってほしい

アメリカのセレブだかでは
ランドセルが
一時期人気だったとか
たしかにフォルムはかわいくて
革鞄のように
長く愛用できそうだ

日本ではなんだか
不穏な感じになる気がする
おしゃれとしても
無理がある



人が生きられること。

安心していられて
安全にすごせること

ひとが、ひとと
生きられる適度なこと

イキイキと
生きられること

まなびになり
ちからになる

そういうことが
一番大事だから

それからはじめて
そこを根っこにして
やっていけたらいいなとおもう



たしかなことに
繋げられるひと

リラックスさせることが
できるひと
笑顔にできるひと

ひとを、安全にできるひと

安心させられるひとが
いちばん、すごいし
ちからのある人なんだとおもう
Series.日々徒然
さいきん、お弁当をつくって
散歩に出て、数十分歩いて
運動して、たべて、
また数十分歩いて、
そんな風にしている

少し前までは
外でゆっくり食べられたんだけど
最近はもう寒くて
食べているのが
難しくなってきた

温かいお茶は
とてもからだが落ち着くので
いつももって出るんだけど
油断すると、熱すぎて
舌を火傷したりする

テキトウなベンチに座ると
飼い主さんの横で
犬が寝転んでいたり
猫が撫でられていたり
なんだか和む

これからも、外でたべたいものだ
凍える程寒くなる前に
お弁当をひろげられて
寒さをしのげて
ゆっくりできるような
調度よいところが
見つかればいいんだけど

いろいろ探している
Series.日々徒然
昔のゲーム、Flashを
すこしずつ
Windowsアプリに変えていってる
難しいようで
煩雑なだけ……

あのころの
「思い」みたいなところ
いまもある、

たぶん
これからは
もっと違う風に
かけるかもなぁと思う

なんだか自分のために
過去に手を触れて
洗い流してみているような
そんな時間だ

☆彡

大人ってのは
大人ってだけで
間違いもするし
ただしいことを
言えるわけでもない



今の「対策が練られないもの」は
世界の本質のようにおもう
「ほんとうのすがた」のように

ほんとうは
世界って、こんな風なもので
こんな風なことの連続で
それにたいして
ずっと、誰も、正しくなんか
なれなかったんじゃないのかな

見知らぬこと
知らないままに
なんとか
経験上の飛び石をしきつめる



真剣なひと
努めてきたひとの
話す話しは
とても価値がある



虚と実は
匂いが違う
ミッシリ感もちがう

みわけられるようになる



こどものころ、
大人の影に見ていた「すごさ」は
自分が幼く小さい弱いものだったから
見えていたものだ

ほんとうは
「すごさ」なんて
ひとは、ずっと
持てないようにおもう

それでも懸命にあるいて
道をひらいている

まよっても
傷ついても
不安でも
自分の足をつかって、
知恵を捻って
目をみひらいて
耳をそばだて
からだをつかって
道をひらいて
歩いてきたひとたちは
命のちからのようなものが、
とてもつよい
Series.日々徒然
まえも、暑いじゃなくて、
熱いんすげどって
日があったけど、ここんところも
熱い……

お気に入りの履きやすい靴が
コンクリートで焼けていく
足の裏が熱い…

下手に長く外にいたら
火傷するんじゃないか

江戸時代にも
気温が高い時があったらしい
どんなふうに
やりすごしていたんだろう?

近くの神社は
むかし、おおきな滝があって
あついときには
ラムネ売りがいて
一杯いくらでうっていて
ラムネ買いながら
滝浴びして
皆が涼んでいたらしい

良いなぁ、そこに滝はもうないけど
滝浴びして
ラムネ飲むとかいいなぁ
Series.日々徒然
6
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