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見えないことの探求記 - 2017.30
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[ 雑感 ]
...
2017-10-11 04:58:33
...
エネルギーの精算
(noSeries)
祟りは、いわば
エネルギーの精算です
毎度書きますが
普通に生きていたら
祟られることは
まずありません
……
例えば、情報や影響も
見えない界隈では
エネルギーとなります
「神様」のことに
ゆがめたり、かえたり
まちがわせたり
損なわせたりするような
エネルギーを、
そこに生じさせたら
もとにもどすエネルギーが
この世の摂理から、生じます
これが祟りになることが
よくあります
……
精算にすぎない祟りと
状況に
人のエゴを加えて
思い通りにしようと、
流れる呪いは
まるで別物です
...
2017-10-11 03:37:36
...
ことば
(noSeries)
霊的センスが高い方の言葉には
そのセンスが反映されます
たとえば
誰かをイメージしながら
そのイメージにむけて
話したとしても
その言葉は
「そのひと」のために
「そのひと」をとおり
あらわれることが多い
……
「これから起こること」や
「心身、霊体」の準備のためや
なかには「忠告」めいた
言葉となることもあります
大切なのは
「ひとのため」「ひとのこと」と
思い込んでいるけれど
そのひとのためのことが
言葉にあらわれている、
そういうことがある、
ということです
……
たまに文中で
ブーメランのように
他者にむけた批判が
その人も、行為していたり
(同一記事でされている方が多いです)
これも、言葉として
そのひとに、忠告や、アドバイス
ナニカが
もたらされているわけです
「その話を耳に入れて聞けますか?」
自分に向けてみると
伝え方は
話し方であることが
わかったりします
……
自分で、自分に
そういってみて
こころをとざすようなら
耳に入りませんよね
……
とくに
霊的センスが高い方は
わりとこうした顕れが多くなります
ひとのことより
自前をなんとかした方が
人にたいしても
良い実を結ぶからです
……
他人よりも
そのひとのほうが
そのひとにあったものを
おろせる
だから
そのひとのためのものが
おりることが
よくあるんです
...
2017-10-10 05:24:21
...
神域(神様のこと)への嘘
(noSeries)
さきの記事とかぶりますが
以前も、
見えない世界で
かんしょうをおこす方のほうが
祟られていることを
のべました
それは神様のこと、に
嘘をまじえている方々です
神様のことを
しって、経験されているかたは
言の葉がなんであるか
だからこそ
神様のこと、自体が
神域とおなじようなことで
その領域を口にするなら
ひとのもつ、手前勝手な
嘘いつわりを
まじえてはならない、ことを
嫌というほど
思い知っているのではないかと
おもうのです
神様のこと、について
嘘、偽りを
ついてはならないのです
……
ふつうに過ごしているのなら
祟りにあうことは
まず、ありません
……
神様のことではないとするなら
言の葉への祟りなど
おこりません
自分が思っただけだけ、とか
自分のことや、
人間の精神性のことについての
言及なら
祟りなど、被りません
また、イマジネーションや
創造性ならば
神々も微笑むこと多く
楽しまれる
……
そういえば
他人のことも
「わかってない」のだから
ほんとうは、
決めつけることなど
他人であれば
誰もできません
心を読んだようでいて
雰囲気をよむだけの
他人との関係
他人のこころは
たにんのものです
ですから
相手の心だ、として
みなしたものは
相手のものであるようで
だいたいは
己の心影か、
内心になるのでしょう
……
自前のことや
自前からの創造を
あらわすのなら
侵害はなりえない
他人のことは
他人のものです
他人様のこと、ものを
決めつけることが
他人様の領域への
踏みにじりになりやすく
また暴威になりやすい
わりとね
……
神様も、
(あかの他人が)
そのお心や、有り様などなどを
決めつけることで
それが、
よこしまな侵害にと
なりはてたりする
そうしたときに
言動行為にたいし
祟りが返済される
それだけです
神様のことは
神様のものなんです
……
いわば
本人のいないところで
本人を知らない人たちへ
印象操作しているようなものですね
そりゃ祟られますね
……
他人にたいして
尊重礼儀がある方は
それが自然なことで
自然にしているからこそ
無為自然の
様々なものが行き交う
見えない界隈においても
他の命へ
敬意といった距離感をもたれ
侵害や支配の
かんしょうをせずにすむから
祟られることがないのでしょうね
...
2017-10-10 01:07:11
...
愚問
(noSeries)
傷つく人の顔が思い浮かぶか……
他人が見えているか、は
私にとって
とても大切なモノサシになっている
たとえば
傷つくことを、
きついこと、や
暴威のともること、を
のたまうとき、するとき
そうした行為で、
どんな人が、
どんなふうに傷つくか
見えなければ
他人を見失っている
……
自分の内心は
真理でも現実でもない
見えないもの
見えない命
隠り世もふくめ
そうしたことは
現実であり
内心とはことなる
見えない世界は
見えないから
他人をみうしなえば
たちまち、己だけになる
……
「魔境」は
頭の中にある
隠り世にあるわけではない
……
この行為で
どういうひとが
どんな反応をするのか
何人か、想像できると
行為に自覚がともる
……
自分の、影響の範囲、は
そのまま、
気づかせようと押し寄せることの
精算の量になる
……
見失っていることに
気づくようになると
視野をたてなおそうとする
...
2017-10-10 00:40:41
...
現実がコミュニケーション
(noSeries)
隠り世で
さまざまなことが
うごいていて
ともない、そろそろ
様々なところで
活動の位置が変わることが
あるかもしれません
活動の場所がかわること、は
たんに
そのひとにとって
その場所が合わなくなった、
というだけで
そのひとの神秘性や
個性、能力への
否認の顕れではありません
慈愛のあることです
……
神々の沈黙は
終えられたようです
しかし
会話は言葉ではなく
授与のように
具現するだけ
現実が
神様とわたしたちの
会話なのです
……
神社やお寺の神様は
おおいなるものの
かけらの顕れです
おおいなるものは
人間の領域をこえていらっしゃるから
触れていながら
把握することはできません
それでも
人間を慈しまれ
みまもられています
ですから、
そのひとが
「神だと思うこと、みなしたこと」に
そのひとのために
降り顕れる
おおいなるものの
慈悲の顕れが
神様とよばれます
……
なにがしかを
ふと、認識する方が
あらわれるかもしれません
怯えなくても良くて
すべて、根源をたどれば
慈悲の顕にすぎません
……
「悪いことをしていた」のなら
思い心なおし、ととのえ
償えば、いずれ
精算もおわります
「理由がわからない」なら
たずねれば
教えてもらえます
……
内から
わきあがりながら
外の顕れにふれる
……
それぞれの神々には
それぞれ
大切にしていることや
ひとがいます
どんなことでも
ものでも、まして知識であっても
正しさであっても
相手を、他の命と見受けて
自分がされたら嫌なことは
自分も、なるべく、避けたほうが
良いのかもしれませんね
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この世の摂理から、生じます
これが祟りになることが
よくあります
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