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見えないことの探求記
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見えないことの探求記 - 2017.44
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[ 私の話 ]
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[ 作品とともに ]
[ 審神者 ]
[ シャーマニズム ]
[ 夜の話 ]
[ 天部 ]
[ イエス様 ]
[ 如来 ]
[ 釈迦 ]
[ 不動明王 ]
[ noSeries ]
[ エネルギーの物語 ]
[ 雑感 ]
...
2017-12-28 23:10:38
...
空のかなた
(noSeries)
愛されるとわかるんですよ
自然に理解されて
受け入れられるので
自分から、愛したときも
わかるんですよ
自然に理解して
受け入れているので
……
思い込みなんざ
理解ではないですから
愛からは、程遠いですね
あと不自然ですね、どうしても
……
私が、霊性を人に頼るな、と
のたまうのは
所詮はひとは、
もちまえの、その人の正しさしか
宣えないからです
霊性は、ひとによります
ほんとうに正しいことや
ほんとうに、
エゴと真我の
見分けがつけられるのは
神様、上の方の神様しか
いないからです
なにが正しいか、は
ど天辺あたりの、
神様のおこころを味わうときに、
わかります
……
フィジカルなことも
浄めのこと、
修練のこと
行も、思慮も、ほかすべて
その道のり
すべて、人によります
……
ヨハネの黙示録をたまに読みます
最近は、見えない世界が、
ラグナロクなのですが
ヨハネの黙示録、は
おもしろいほど
それをあてている
ほんとうの預言者は
ヨハネさまのように
かならず、あてられるのでしょうね
それだけでなく
その渦中にいるものに
伝え教えてくださることがある
私と同じ世界かは分かりませんが
いま、見えない界隈の荒れを覚え
混乱されている方は
ヨハネの黙示録に
今の様子が、預言として書かれているので
読まれると良いでしょうね
……
これから、愛が
天からおりてくる
「愛にいた人」は
わたしはさいわいなことに
たくさん、ふれて来れました
それでも、彼らでさえ
衝撃的な体験となるかもしれません
それは、北斗の拳の、歌のようです
ああ、愛で空がおちてくるんだ
愛が降りてくるんじゃないね……
まんまだね……
……
天を愛された
地の神様の親愛
地を愛した
天の神様の親愛
ふたつの親愛が
天をこの地にあたえられ
天とこの地を融合される
私が伝えられているのはそうしたことです
天界が、この地と融合しはじめる
……
愛なき方々、偽りの方々は
破滅します……天界を見たことがある方なら
わかるかもしれません
「天の光、地の愛」は
悪や、敵意には、
最大の毒となる
それはフワフワと優しいものではなく
穏やかで生活的で、人を理解し
認めるようなものです
愛なき心に
それが毒となるのは
愛なき心が、愛がなかったことを
まざまざと見るからです
己の正体を味わう時
己の毒が、己に染みます
……
いぜん、天につながるなら
「自分が優しいとか
正しいとか、そんな気には
ならないと思う」と
つたえました
天は無限の愛であり、
深い思いやり、
慈悲慈愛で満ちています
その慈愛のなか
おぼえしり、みにしみるのは
己の心の、ゆがみです
内観、客観
意識的にする必要はありません
天がおちてきたら、
その圧倒される慈悲慈愛をまえに
ごく自然に、己を味わいますから
己の心のうち、みのほどを。
……
ちなみに神様に、見られると
神様から見た己の姿が見えるんですよ
心のありさまもね。
……
身に沁みる、己の毒、
己の腐敗が、少ないと良いですね
……
「俺との愛を守るため
お前は旅立ち
明日を見失った
微笑み忘れた顔など
見たくはないさ
愛を取り戻せ」(北斗の拳の歌詞より、一部抜粋)
...
2017-12-27 09:21:41
...
夜の話「ここには人がいっぱいいる」侵略宇宙人の性根について(他)
(夜の話)
今宵のお題は
☆書けなくなるについて
†侵略宇宙人の性根について
☆裁きの天の本質について
†魔界
他、色々です
……
☆書けなくなるについて
ここでなら
書けるんだけど
他で書こうとしたら
書きたいことが
書けなーい
なんてーのは
書くためのエネルギー、
自前のではなく
別からの供給源があるので
(ものをあらわすには
わりと膨大なエネルギーがいるんですよ)
チェックしといたほうが
良いですよ
ちなみにアメーバにいるやつは
悪いやつじゃないよ
(「僕、悪いスライムじゃないよ」byドラクエ)
世界のエネルギー上昇につれて
世に流れているエネルギーが
切り替わる
と、そのあと
書けなくなった、
書くことなくなった☆なんてーのもでてくる
別のエネルギー供給源から
もの書いてると
そうなる
いま世界が
どんどん切り替えていってるから
「古い」ひとが、でてきている
器用な人は
切り換えにのって
切り換えてくる(笑)
すごいね
……
†侵略者の性根について
「侵略宇宙人」の性根をもつひとは
どんなに、光や愛に
みえることをしていても
「侵略者」の性根が
行為のそこかしこにあらわれ
端的にいえば
「人体改造」的なことに従事してたり
「人体実験」的なことばかりしていたり
良さげなこと
モラルなことをのたまうことで
視線へのフォローをしながら
ひとの精神に、手、くわえたがる
それを見ていると
おもいだすのが
侵略宇宙人の映画で
宇宙人「ともだちだよ」
「ともだちだよ」
「へいわだよ」
「あいしてるよ」と
人の言葉を真似ながら
人間を破壊殺戮したり
人体改造して嘲笑ったりしてた
にてんなぁ……
はやり言葉を
繰り返すところとかなぁ……
(流行らせてる側(※天界vs悪魔界)と
それを、モノマネる側……)
今日の夜から……
そうした者たちの中に
それらにさえ、検知できないように
ひそみこまされていた、
その「侵略の性根」に
気が付き、自覚するやつが
でてくるそうで
怖いねぇ
……
☆天のもの、裁く天の本質について
天のうまれのかたにも
色々いらして
たぶんそろそろ、それぞれ
己の本質に自覚がうまれるという
その中に、裁きの天うまれの方もいる
裁きの天は、裁くのが本質だ
善、悪、善、悪、
ニヒ、真理、ニヒ、真理
攻撃性に似ている
「知のちから」を
自覚されたとき
闇だとか、悪だとか
わけのわからん
悪魔界側からの情報操作に
惑わないと良いなぁ、と思う
裁きの天のかたは
慈愛がふかいので
わりと「敵意」や
「真贋・真偽眼」をもつ己を
もてあましたりしてるけれど
侵略型のエネミーが
現実にいんだから
贋や偽が鼻についちゃったり
憤怒がわいちゃったりするのは
しゃーないと思う
……
☆魔界
映画の話で思い出したけれど
ブ○アウィッチプロジェクト……
あれまんま、魔女、悪魔の世界なんよね
プロジェクトつけんな……(笑)
(アメーバもそうねぇ、
ああしたものって
名前を偽ることが
できないんよね、たぶん(※))
ともだちにギャグ映画だと
騙されて見に行って
いつ、笑い事がおきるかと
みていた
後半、般若心経となえて目つぶっていた
エイリアンさんは
だまされて、それらとタッグくんでるけど
それらの精神世界は
あんな感じなので
合わないと思うよ、私は……
……
ちなみに、侵略宇宙人の映画も
(タイトル忘れた)
コメディだと騙された
……
※天界vs悪魔界
天界は「侵略宇宙人」が
流行りのワードを
真似ながら繰り返すことを
熟知してるんで
逆手にとって、仕込み入れとる
悪魔界側は
「よさげなワード」で
人間性を「奴隷化」しようとしとる
「優しい人がいいねぇ」
「良識がすき、善良がすき、真面目がすき」
なんて気持ちに
つけいれられないようにね
現実「優しい人なんざそんな要らないよ」
大切なのは良識とは限らんよ
まして画一的な優しさなんざ
優しさじゃないよ
……
てか、それらの提供してくる
「人間の理想像」
(こういうのが波動高いとか
これは低いとか、
アセンションできる、できないとか、
二極化もくわえて
脅しとともに、宣うね)
そのまま、どんな人物になるのか
想像してみると
それらが、何を求めているのが
わかると思う……
……
☆二極化
そういや、二極化って
もっと現実的なもの、
見えない種族的なことで
「精神的なもの」じゃないですよ
これをするとどうなる、
これをしないとアーダコーダ
この精神じゃないとこうなる、
なんてことは
ありませんよ
……
※名前のルール
「名前を偽って名乗る」存在もいるけれど
偽り方にも
とあるルールがあるのよ
……
※ふるっ
スピ界でも、なんでも
提供してる人や、そのひとの提供物
はなしている事とかに
「つい、先日まで感じなかったのに
古さを感じる」時があったら
それは、いま
世界が上がっているから。
流れているエネルギーの
切り換えが起きていて
新しいのと、古いので
わかれてんよ
そんで、
古いエネルギーは
なくなっていってるんよ
...
2017-12-26 06:09:05
...
海に恋した木
(noSeries)
なにが「エゴ」で
なにが「エゴでない」かは
もしかしたら
人間をこえた
もっと上の
天意しか
わからないんじゃないかと
私は、思う
:
「一見優しそう」とか
「一見正しそう」とか
そんなところに邪も腐敗もひそむ
:
「自分が優しい」とか
「自分は正しい」とか
光のものとともにあるとき
そんな気分になる人は
たぶん、いないんじゃないかと
私は思う
「自分は、それほど優しくないし
愚かな面をかかえている
また、正しいというのはエゴに過ぎず
ほんとうの正しさは、
人間には歩めるすべがない」
:
思いやり
つねに、もとうとしなければ
持てないものだと思う
:
「是正すべき」は他人にはない
「是正すべき」
そこに火種があるのに
「光にある」と宣いながら
それがみえないのは
何かを間違えていると思う
:
「あたまのなか」は
現実とは違う
見えない他人
見えない現実
現実を見ることは
現実を知ろうとすることで
他人を見ることは
他人を知ろうとすることで
「こうに違いない」は
自我・我意識からわいてくる
これからも
「知ろうとすること」こそは
とても大切なことになるんだと思う
...
2017-12-20 22:33:32
...
祟り神が濃くなる&イエス・キリストを処刑にかけたものたち
(イエス様)
優しい穏やかな話でも
持ち出したい、今日この頃
祟り神ばかり
歩み強い……
まぁ、ラグナロクやしねぇ……(少し悲しい)
光も闇も、殺伐としています
……
☆祟り神が濃くなる
なにか昨日の夜は、
ぎょっとしてしまったよ……
祟り神がやたらに濃く
ご実存、ご実態をもたれていた
神様の憤怒の面相なので
たぶん、神さまご自体が
濃くなって
こられているんだろう
ラグナロク
神々の方面は
祟りと祝福の波を
交互に流し込んでいる
祟りは悪のエネルギーを
そぎおとし、
消滅させていく
祟りが濃くなると
悪意をすいあげるもの、は、
湧かなくなり
動けなくなる
祝福は善意への祝福
祟りの波が濃すぎるので
「普通の人」や「善人」にたいし
祟りを被らないように
重ねがけされている
……
☆弁財天さまの不快
昨夜は弁財天さまがあらわれ
おおいなるものと
お話をされていた
弁財天さまは
穢れたものたちが
自分の領域にいるのが
とても不快なようなのだけれど
おおいなるものは
ラグナロク中に
そうしたものたちがいることで
悪意が現れにくいことを伝え
おさめるように伝えられる
穢れたものたち、は
悪意とイコールではない
ただ、わきやすくなっているし
いまはどの界隈でもはこびっている
かれらは、
創造性にとぼしく
様々なことのクオリティが著しく低い、が、
求める金銭が微妙に高く(微妙に)
地位や名誉を地味にもとめる(地味に)
でも悪気はまとっていない風合い
弁財天さまのご界隈には特に多いらしい
……
☆イエス・キリストを処刑にかけたものたち
過去の因縁は
神様ももたれている
ラグナロクにおいて
イエス・キリストさまは
たいへん、重要な方なのだけれど
あの日、かれを信じず
ユダを裏切りにはしらせ
かれを侮辱し、おとしめ
処刑にかけたものたちは
いまなお、かれを信じることもできず
かれや、神への信仰を
おとしめ
ひとから剥がして、すてさせようと
躍起になっている
また、かれや
かれのようなものが
あらわれたら
処刑にかけたいらしく
血眼になって探している
また、彼のふりをして
彼が与えられている尊敬や信仰を
根こそぎ、あちらの陣営に奪いたいらしく
ラグナロク進行中に
彼が現れるのを知っているのか
何度もタイミングをみて
それらの傀儡を、キリストとして
したてあげ
目立つように名乗りを上げさせ
人を釣ろうとしている
……
血眼を、ずっと、血ナマコだと思っていた
しかし、光や神の話でも
ラグナロクの祟り関連は
受け入れがたい話じゃないかと思う
光にある人は
光の負の面(悪と対峙した時の面相)を
経験するものだけれど
「慈悲慈愛」を理解していないと
おびえて見ないふりをされる
でも、もしかしたら
どんなに、ないことにしても
これからは
神とともにあられる方は
神が濃くなるにつれ
その祟りに
気づかれるかも知れない
言葉で読むより
味わわないと、その実態は
わからないものだと思う
祟りは、
おおいなるものの慈愛のひとつだ
まもりたくて
ながれている
...
2017-12-20 07:50:54
...
霊性開花のはざまのなかで(今日は書きすぎ)
(noSeries)
親愛なる者へ、伝えられ続けた
スピリチュアルは
親愛であり、
霊性の開花
それは、やがて
みえること、感じることをともない
それは、やがて
神とともに暮らすことにたどりつく
邪悪な勢力は
つねに、人間の霊性開花と
神とともに暮らすことを
邪魔してきた、ふさいできた、
おしこめようとしてきた、
霊性が高くなれば
霊性開花する
霊性が高まれば
みえるようになり
うけとる……はなすようになる
あたりまえのことを
「それは蛇道」とし
それらは、人間をふさぐため
能力と霊性を分け隔ててくる
……
霊性
たかまるなら
たかまるなかで
己の胸内に気がつく
愛はあるか、親愛はあるか
誰を愛せて、誰を愛せずにいるのか……
己の愛のいびつさに気がつく
己の醜さにこそ
目がいくようになる
人の姿におぼえる胸内の
いびつさ
人間は情けない
無償の、すべてを愛する愛を
人間は、もちにくい
おおいなるものが
そうつくられた
それは「愛せる」と
「愛せない」の間で
葛藤するため、だったのかもしれない
己の愛と、愛なき己のはざまで
悩み進むためなのかもしれない
優しくなれ、など
彼らは言っていない
ひとにいえ、とも
言っていない
ましてや、
他人が悪いだの
かれらのなかで
そんなことをいうものは
なにひとり、いない
己をしれ、と、言っている
……
他人の人格否定をしつづける
己の
醜悪さは
愛せないから、わいてくる
……
いびつであることも
狂っていることも
たいして、関係ない
どんな精神か
どんな人格か
関係ない
誰がどんな人間で
何をしているか、じゃ、ない
自分の心理に愛があるか、に、すぎない
他人、ことなるものに
親しみをおぼえ
理解し、愛せなくても
思いやれるか、どうか
失っているこころ
他人に、罪を覚え、憎しみをおぼえている
己の心理に
気がつけるかどうか
……
なんじの隣人を愛せよ、と
彼は伝えられた
……
意外な話を飲み込めるか
私ではわからないが
天界からのスピリチュアルは
自立をすること、であり
また、霊性を高めること
たかめて、やがて
開花すること、になる
霊性を高める=開花はしない、という知識は
かなり歪なものなので
概念があったら、捨て去ったほうがいい
花に水をあたえれば咲くように
霊性にちからをあたえれば
開花はおとずれる
その時は、人に聞くな
邪悪なものたちの
人間の霊性開花への邪魔は
「人に聞く弱さ」にも
さしこんでくる
答えなんかどこにもない
霊性開花中は
かなり不安になるけれど
自分の霊性は
自分で、担うしかない
……
神々は、視える、わかる、うけとり
つたえられる、霊性開花を
まちのぞみ、
そうした、ちからを育むちからを与えてきた
神々からのスピリチュアルは
もとの、人間のちからがもどること
個人個人のみちのり
誰とも異なる日々のなか
個性的な、その人間性から、
霊性開花にたっし
人間たちが、また、ふたたび
神々と暮らすこと、ほかならない
きっと、そうしたことを否定する勢力は
ずっと、そこに、あっただろう
スピリチュアルは、
精神改造のことじゃない
精神のことじゃない
人間の精神が
どうなればいいなんて
どうしてそんな支配を
神々がもたらす?
どんな精神の人間であっても愛した、
釈迦や、イエス・キリスト
かれら、神々が
なぜ人間の精神に
「画一的な理想」を強いる?
スピリチュアルは、
魂のために流し込まれ
魂のことに、与えられてきた
霊性開花から
己に気がつくことも
道にはあるけれど
他人から、精神について
いわれること
他人の、精神について
宣うこと、は
神々のスピリチュアルではない
……
邪なものも
悪いものも
良いものも
自分のすがたも
精神のことも
霊性のことも
自分で気が付け
自分で担え
自分で感じ取れ
自分の頭でかんがえて
自分の魂でうけとり、あたえ
自分の心で、話してみなよ
「好きな人がいる以外に
大切なことって
ないのかもしれませんね」
善哉善哉
大切なことってどんなこと
他人も、自分も
好きな人がいるといいね
好きなことがあるといいね
この世界にあるといいね
善哉善哉 魔は打ち砕かれ
清め過ぎ去る
苦悩と痛みは糧となり
道はひらかれる
愛されていること
愛していたこと
己の愛に出逢いはじめる
おやすみなさい、良い夢を
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愛されるとわかるんですよ
自然に理解されて
受け入れられるので
自分から、愛したときも
わかるんですよ
自然に理解して
受け入れているので
……
思い込みなんざ
理解ではないですから
愛からは、程遠いですね
あと不自然ですね、どうしても
……
私が、霊性を人に頼るな、と
のたまうのは
所詮はひとは、
もちまえの、その人の正しさしか
宣えないからです
霊性は、ひとによります
ほんとうに正しいことや
ほんとうに、
エゴと真我の
見分けがつけられるのは
神様、上の方の神様しか
いないからです
なにが正しいか、は
ど天辺あたりの、
神様のおこころを味わうときに、
わかります
……
フィジカルなことも
浄めのこと、
修練のこと
行も、思慮も、ほかすべて
その道のり
すべて、人によります
……
ヨハネの黙示録をたまに読みます
最近は、見えない世界が、
ラグナロクなのですが
ヨハネの黙示録、は
おもしろいほど
それをあてている
ほんとうの預言者は
ヨハネさまのように
かならず、あてられるのでしょうね
それだけでなく
その渦中にいるものに
伝え教えてくださることがある
私と同じ世界かは分かりませんが
いま、見えない界隈の荒れを覚え
混乱されている方は
ヨハネの黙示録に
今の様子が、預言として書かれているので
読まれると良いでしょうね
……
これから、愛が
天からおりてくる
「愛にいた人」は
わたしはさいわいなことに
たくさん、ふれて来れました
それでも、彼らでさえ
衝撃的な体験となるかもしれません
それは、北斗の拳の、歌のようです
ああ、愛で空がおちてくるんだ
愛が降りてくるんじゃないね……
まんまだね……
……
天を愛された
地の神様の親愛
地を愛した
天の神様の親愛
ふたつの親愛が
天をこの地にあたえられ
天とこの地を融合される
私が伝えられているのはそうしたことです
天界が、この地と融合しはじめる
……
愛なき方々、偽りの方々は
破滅します……天界を見たことがある方なら
わかるかもしれません
「天の光、地の愛」は
悪や、敵意には、
最大の毒となる
それはフワフワと優しいものではなく
穏やかで生活的で、人を理解し
認めるようなものです
愛なき心に
それが毒となるのは
愛なき心が、愛がなかったことを
まざまざと見るからです
己の正体を味わう時
己の毒が、己に染みます
……
いぜん、天につながるなら
「自分が優しいとか
正しいとか、そんな気には
ならないと思う」と
つたえました
天は無限の愛であり、
深い思いやり、
慈悲慈愛で満ちています
その慈愛のなか
おぼえしり、みにしみるのは
己の心の、ゆがみです
内観、客観
意識的にする必要はありません
天がおちてきたら、
その圧倒される慈悲慈愛をまえに
ごく自然に、己を味わいますから
己の心のうち、みのほどを。
……
ちなみに神様に、見られると
神様から見た己の姿が見えるんですよ
心のありさまもね。
……
身に沁みる、己の毒、
己の腐敗が、少ないと良いですね
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「俺との愛を守るため
お前は旅立ち
明日を見失った
微笑み忘れた顔など
見たくはないさ
愛を取り戻せ」(北斗の拳の歌詞より、一部抜粋)