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見えないことの探求記 - 2017.15
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Series :
[ 私の話 ]
[ 記事シェア ]
[ 作品とともに ]
[ 審神者 ]
[ シャーマニズム ]
[ 夜の話 ]
[ 天部 ]
[ イエス様 ]
[ 如来 ]
[ 釈迦 ]
[ 不動明王 ]
[ noSeries ]
[ エネルギーの物語 ]
[ 雑感 ]
...
2017-07-10 06:53:15
...
ただしいイケン
(noSeries)
完璧にただしいイケンは
きっと幻のごとく
蜃気楼のごとく
目にみえるだけだ、と
思っているんです
正しいイケメンごとくですね
でも、ただしい行動って
あるのかもしれませんね
それは結果になります
……
ただしいイケン
ただしいイケンというのは
ただしさのエネルギーと
シンクロをしていますから
「まちがい」が
こころの湖にうつしだされます
私は
完璧にただしいが
リアルではなくて
幻想的なものだと思っています
だから、イケンというのは
すべて、「あてはまらない」とか
「矛盾」とか、を
かかえていると
思っています
それでも
「今何が、ほんとうの正しさだろう」を
はなしあうのって
いいね、と
おもいます
その都度、その都度
はなしあわれる、
ほんとうの
ただしさ
その話し合いが
どこか、善性を
支えてきたように思えるからです
……
どのようなエネルギーであっても
「リスク」、反面、というものはあり
ただしいエネルギーは
まちがいを写し出します
「自分だけが」(onlyのエネルギー)が
はいりますと
とたんに、暴走をはじめます
あのエネルギーと
シンクロするなら
私なら、オープンでないと
たもつことさえ無理そうだな、と
おもいます
多数と意見をきちんと話し合う
エネルギーをかわしあう
公開処刑レベルの
公開っぷりじゃないと
ただしいは
たもてない
狭い範囲で
エネルギーがクローズされると
「あやまちを写し出す」面と
「ただしい」エネルギーに
onlyが加わり
とんでもない攻撃性をうみだします
エネルギーの性質
ただしいは、
ジャッジが、つねにともなう
エネルギーなんです
……
不思議ですね
正しいエネルギーに
のりまくり
onlyのエネルギーと
結びついているひとは
なぜか
正しくなくなるんですよ
……
ほんとうに
正しい道を
歩もうとすると
常に軌道修正を
かけるようになる
ひとの、ではなくて
自分が間違いやすいこと
間違えてきたこと
いまも、かかえている間違えと
向き合うようになる
人間は完璧にはなれません
どこかで
間違えますから
正しい、を
まともに背負うと、ひとは
「完璧ではない」を
背負うようになる
……
私は
「人の意見を聞けて、
自分の意見とともに
思慮しているひと」
いつも、ひとのこころと
自分のこころを
考えている人
無責任ではないのに
意見や思慮が、
状況によって
かわるひと
自分を、正しくない気持ちでいるひと
ひとを、正さないひとが
そうじて
「正しいと、いえないひと」が
たぶん、ですが
ずっと、正しい気がします
……
それで、私は
「正しい」を思うたびに
どんぐりの背くらべを
おもいだすんです
「そんなら、こう言いわたしたらいいでしょう。このなかでいちばんばかで、めちゃくちゃで、まるでなっていないようなのが、いちばんえらいとね。」(byどんぐりと山猫(宮沢賢治・著)より)
私も賛成です
★関連リンク
宮沢賢治 どんぐりと山猫
...
2017-07-10 00:36:21
...
無知のまもる
(noSeries)
ソクラテスさんが
無知の知を発見して
何年たったのでしょう
彼もまた、聖霊の声を聞いたといわれます
……
魂って
無知無明なんですよ
魂のままになると
肉体の機能がとれ
じょじょに
常識や、知識とか
外側のためにあったものが
はずれていくんですね
ですから
肉体ではなくて
魂とシンクロがふかいかたは
「無知の知がいいですよ」なんて
自覚もないままに
無知をいだき
無知のままで
どこか、無垢というのでしょうか
いまある知識にたよることなく
いつも、
学ぼうとされる
これが本来の
真の無垢ではないかしら、と
私はおもうのです
私はしらない、
私はわかってない
これってすごく大切な
無垢ではないかしら
古きを訪ねて新しきを知る
「知っている」を
すてるんじゃないんです
「知らないままなの」なんです
そんなふうに
こえたところに
無垢な無知があって
受けとることのふかさが
ちがいます
まなび、しり、わかり、
この経過ってすごく
すごく、たのしんです
「私はしらない」
「私はわかってない」
ここからはじめるの
なんにも知らないまま
新しいこと
たくさん、まなべる
なにがしかを
知り続けるこの世で
無知無明という
魂の無垢を
ずっと、ちゃんと
抱いている方は
やはり、その過程を
なんども味わわれる
うらやましいですな
……
頭でっかちになんか
ほんとうは
ならないんですよ
魂は無知のまま、無明のままですから
魂に、きちんと、かえれば
「なんにもしらないまま」なんです
……
でも魂は「できること」や
「経験の記憶」を
もつんです……
「身につける」って 言うじゃないですか
「身になる」「ものにする」
できることが
そこに達すると
魂のちからになるんです
「身になる」ものを
たくさん、もっていきたいです
★関連リンク
作家別作品リスト:プラトン
...
2017-07-09 22:16:38
...
このブログについて
(noSeries)
このブログに記していることは
見えないことの、
雑学チックな娯楽コラムです
ひとつは、管理人がかかわりました
見えない命のはなし、
見えない世界のことを
ひとつは、管理人の思ったことを
まんがか、イラストとともに
提供しております
できれば、ひまなときに
ひまつぶしによめる「娯楽」を
めざしています
管理人の思想と、想像と、雑学が
いりまじり、だんだんと
カオスになっていくかもしれません
とにかく
「面白さ」を追究していこうと
おもっております
しんじようと、しんじまいと、
否をおぼえても
是をおぼえても
面白い!って
おもえるサイトにしていきたいです
よろしければ、ご笑覧ください
★このブログの本家は「花の星」です
こちらのブログに掲載した絵も
アップしています
...
2017-07-09 22:00:51
...
他人を何とかしなきゃ
(noSeries)
そっちょくに
闇のエネルギーは
悪いものではありません
依存をもたらすものにも
なりません
……
他人を何とかしなきゃ!というのが
わりあい、ふかみにある
闇のエネルギーです
肯定のばあいは
「癒さなきゃ」ですし
否定のばあいは
「したほうがいいことを
させなきゃ」(=人がしてない)ですね
光のエネルギーは
つねに自転していますから
「みずからを行う(照らす)」もので
「他をなんとかしたい」は
光ではないんです
「ほかをなんとかしたい」は
慈悲であれば慈悲につながります
きわまる闇のエネルギーは
母の愛に似て己がありません
「自分はできているのに
あの人がしてない
(だから、あの人がするべき)」では
なくなり
「した方がいいことを、
つたえる」にかわる
あるいは
「満たす」「癒す」に
……
なんだか
毛布みたいですね
毛布といえば
スヌーピーの
ライナスの毛布をおもいだします
ライナスをまもる毛布
わたしには
闇のエネルギーの
慈悲の象徴
そのものにおもえます
ライナスは、毛布から
いずれはなれ
ひとりで生きていきだすかもしれません
毛布をわすれて
それでも、
ライナスへ毛布が与えてくれた
深い安心感をもちながら
……
ただしさのエネルギー
ただしさの影には
つねに、「まちがい」が
うつしだされるんです、が
そんなことは、
どうでもいいんです
……
闇のエネルギーと
光のエネルギーを
バランスよくうけとりながら
陰陽のなかを
ひとは歩んでおります
「なんか、さいきん
良いことないな」ってときは
もしかしたら
陰陽のバランスが
崩れているのかもしれませんね
……
はざまにいる人間は
エネルギー、
闇の慈悲(安寧)と
光の慈悲(克己)、どちらも
ながれうけとれます
そのときの、
心のエネルギーの状態により
闇の方がよいときと
光の方がよいときがありますから
時々の好みで受けとると
よりよく満たされるかもしれません
...
2017-07-09 20:29:37
...
自分でなんとかしよう
(noSeries)
できないことが多いと
ひとをなんとかしよう
ひとを、なんとかしようと
してしまう
無理ですよ
だけど
ひとをなんとかしよう、と、
してしまう時も
わたしは
信頼関係がある間柄なら
あたたかい行き交いにおもえます
というか
他人の姿のほうが
よくみえる
信頼の地では
伝えあう行き交いは
とてもあたたかいです
……
マインドは
現実をいきるためにやどり
魂のできていることは
マインドにのぼりにくい
(自然な行為になるので)
出来ないこと、が
マインドには、のぼりやすい
……
イージーではないですね
でも、シンプルだったりします
シンプルなことは
いつも、イージーでは
ないようにおもえます
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完璧にただしいイケンは
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正しいイケメンごとくですね
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ただしいイケン
ただしいイケンというのは
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シンクロをしていますから
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こころの湖にうつしだされます
私は
完璧にただしいが
リアルではなくて
幻想的なものだと思っています
だから、イケンというのは
すべて、「あてはまらない」とか
「矛盾」とか、を
かかえていると
思っています
それでも
「今何が、ほんとうの正しさだろう」を
はなしあうのって
いいね、と
おもいます
その都度、その都度
はなしあわれる、
ほんとうの
ただしさ
その話し合いが
どこか、善性を
支えてきたように思えるからです
……
どのようなエネルギーであっても
「リスク」、反面、というものはあり
ただしいエネルギーは
まちがいを写し出します
「自分だけが」(onlyのエネルギー)が
はいりますと
とたんに、暴走をはじめます
あのエネルギーと
シンクロするなら
私なら、オープンでないと
たもつことさえ無理そうだな、と
おもいます
多数と意見をきちんと話し合う
エネルギーをかわしあう
公開処刑レベルの
公開っぷりじゃないと
ただしいは
たもてない
狭い範囲で
エネルギーがクローズされると
「あやまちを写し出す」面と
「ただしい」エネルギーに
onlyが加わり
とんでもない攻撃性をうみだします
エネルギーの性質
ただしいは、
ジャッジが、つねにともなう
エネルギーなんです
……
不思議ですね
正しいエネルギーに
のりまくり
onlyのエネルギーと
結びついているひとは
なぜか
正しくなくなるんですよ
……
ほんとうに
正しい道を
歩もうとすると
常に軌道修正を
かけるようになる
ひとの、ではなくて
自分が間違いやすいこと
間違えてきたこと
いまも、かかえている間違えと
向き合うようになる
人間は完璧にはなれません
どこかで
間違えますから
正しい、を
まともに背負うと、ひとは
「完璧ではない」を
背負うようになる
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私は
「人の意見を聞けて、
自分の意見とともに
思慮しているひと」
いつも、ひとのこころと
自分のこころを
考えている人
無責任ではないのに
意見や思慮が、
状況によって
かわるひと
自分を、正しくない気持ちでいるひと
ひとを、正さないひとが
そうじて
「正しいと、いえないひと」が
たぶん、ですが
ずっと、正しい気がします
……
それで、私は
「正しい」を思うたびに
どんぐりの背くらべを
おもいだすんです
「そんなら、こう言いわたしたらいいでしょう。このなかでいちばんばかで、めちゃくちゃで、まるでなっていないようなのが、いちばんえらいとね。」(byどんぐりと山猫(宮沢賢治・著)より)
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