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見えないことの探求記 - 2017.23
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[ 私の話 ]
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[ 作品とともに ]
[ 審神者 ]
[ シャーマニズム ]
[ 夜の話 ]
[ 天部 ]
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[ 如来 ]
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[ 不動明王 ]
[ noSeries ]
[ エネルギーの物語 ]
[ 雑感 ]
...
2017-09-09 05:27:46
...
捨てられることを望むもの、ものとひとと、石と木と
(noSeries)
人形が、優しいから
悪いものがきたとき
人形にはいる、そう
伝えますと
たぶん、驚く方も
いらっしゃるかもしれません
たとえば
悪いものがきたとき
人形はみずからの
からのなかに、かれらをいれ
ださないように、縛られます
人形には、意思がないようにみえて
そこには、
「ワタクシを愛しまれる主」をまもる
れっきとした心があります
うまくやられる方は
人形のなかに、なにがはいっても
浄化されますから
人形が長持ちします
たいてい、わるいものがはいったら
そうした人形は
捨てられることを望みます
悪い物をださないまま
……
石もまた、
悪い物をださないまま
捨てられることを望むものがあります
石により違うのですが
...
2017-09-09 03:11:25
...
代償
(noSeries)
見えない領域へのかんしょうは
だいたいは、許可制です
見えない領域にいるものに
許可をもらわなければ
かんしょうはできません
人であっても同じことです
たにんのこころを見たり
感じたりした、と
思い込まれる方は
ただ
場に発される気を
感じていることが多いです
その気は
たにんのこころと
イコールではありません
たにんのこころは
他人のものであり
他人の持ち物、持ち家だからです
許可がなければ
入ること、みることも
許されません
それとおなじく
神さまであれ
なんであれ
領域にお邪魔するときは
かれらとの話し合いが必須であり
また、打ち合わせがあります
……
見えないものと
コミュニケーションできないなら
見えない領域へのかんしょうは
私はオススメできません……
また、私は
そうしたことが
できない方に
自前のそうした領域への
かんしょうをしてもらうことも
オススメしません
人と人ともそうですが
コミュニケーションの力がない、なら
相手の意志を確認できない
つまり、尊重できないことを
してしまう可能性があるからです
言いなりになることを
「鵜呑みにする」としますなら
話し合いは
思いをうけとり、
自分をつたえることです
うけとるだけでも
つたえるだけでも
場を変えることはできません
...
2017-09-07 10:50:52
...
祟られない人
(noSeries)
祟りというのは
たいていは
神域をおかしたことによる
報いとしてあらわれます
あるいは、負債への
返済として
現れることもありもします
……神域をおかすひと、の多くは
見えない領域を
仕事にされている方です
見えない領域へのかんしょうを
おこなうようなことを
している方の
一部は
ほぼ、祟られています
ですから、祟り神がみえますと
祟りがみてとれますが
だいたい、普通に
すごされているひとではなくて
お仕事として
見えないことをされている方のほうが
祟りを背負われている確率は
たかいです
……
そうした方々の
祟りをうけるひとと
祟られない人の差は
ひととひととの関係性にも
現れるようです
ひとを侵害しないひとは
見えない領域でも
侵害をしません
ひとに敬意尊重を抱く人は
見えない領域でも
敬意尊重、礼心をつくされる
学ばれる方は
学ばれる
人への態度、行為、言動、思慮
わりと、そのまま
見えない領域でもうごかれる
ですから
人に対し無礼な方は
神社に行かれた回数分
被られていたりする
……
見えない領域への
かんしょうをおこすことは
金銭がからむにせよ、なんにせよ
見えないのなら、やめたほうがよいです
知覚できないなら
しないほうがよいです
みえないのに
みえた気になり
うごくことは
多くのさまざまな存在がいるなかで
挑発的な荒らしを行うようなことになる
なにをしていいのか
してはいけないのか
わからないまま、
サファリパークで
車をおりて笑いながら歩くようなものです
……
神様が
「そのひと」を
どう感じ、どう評価し
おもってらっしゃるか、は
他人がそのひとを
どう感じ、どう評価し
どうとらえているか、と
わりと
似ています
...
2017-09-07 03:25:45
...
状態と状況
(noSeries)
状況により
状態がかわり
状態により
気持ちが変わる
ひとはたくさんの状況や現実のなか
様々に生きております
状況がひとをつくる。という一面を
わたしはなんとなく感じるのです
状況により状態があり
状態は、誰でもなるのではないかと
怒りや憎悪、うらみつらみ
喜怒哀楽は
状態です
しかし、状態により
様々にかわりながら
ひとは、ひとりひとり
かわらないものをもつ
わたしは
このことに
興味がつきないのです
状況により、状態がけいせいされる
だから
そういう気持ちにはならない、というのは
誰も固定化してもてない
そういう気持ちというのは
状況からくる、流れのようなものだからです
しかし、同じ流れをうけながら
ひとはやはり千差万別で
かわらない、芯なるものがあるのです
芯なるものを
私はいまは
そのひとなりの
生きてきたなかで
つちかわれた
思想や哲学におもえます
いわば、人間とは、と
言う部分です
...
2017-09-07 00:56:15
...
心が魂とつながり、いきているか
(noSeries)
心がおちついて
すんでないと
さまざまなことの
区別がつかなくなります
心がおちついて
すんでおりますと
すんだ水のように
見渡せます
区別がつかないときに
うごきますと
体が動いていないのとおなじ
頭が動いていないのとおなじで
心がうごいていないのに
無理にしますから、
判断も無理やりになり
むしろ、
なにも判断しなかった時とおなじく
ただ、反射、反応のようになります
そうした心を
スキといいまして
スキをねらうものは
多くいます
……
こころが活発というのは
魂と、こころが
つながっていることです
魂と、こころがつながり
こころと、からだがつながると
それは落ち着いていて
天真爛漫になります
……
魂というのは
現実をまえに 思考ではなく
存在としてあります
おちついていて
天真爛漫で
とらわれていない心の状態が
魂にちかい
……
心をおちつく
これをすると心がおちつく
そうしたものは
何個かあるととても良いです
そうしたものが
良質というものなのだろうと
私は思います
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悪いものがきたとき
人形にはいる、そう
伝えますと
たぶん、驚く方も
いらっしゃるかもしれません
たとえば
悪いものがきたとき
人形はみずからの
からのなかに、かれらをいれ
ださないように、縛られます
人形には、意思がないようにみえて
そこには、
「ワタクシを愛しまれる主」をまもる
れっきとした心があります
うまくやられる方は
人形のなかに、なにがはいっても
浄化されますから
人形が長持ちします
たいてい、わるいものがはいったら
そうした人形は
捨てられることを望みます
悪い物をださないまま
……
石もまた、
悪い物をださないまま
捨てられることを望むものがあります
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