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見えないことの探求記 - 2017.13
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Series :
[ 私の話 ]
[ 記事シェア ]
[ 作品とともに ]
[ 審神者 ]
[ シャーマニズム ]
[ 夜の話 ]
[ 天部 ]
[ イエス様 ]
[ 如来 ]
[ 釈迦 ]
[ 不動明王 ]
[ noSeries ]
[ エネルギーの物語 ]
[ 雑感 ]
...
2017-07-06 08:58:31
...
忌み日に神社に詣でる時は
(noSeries)
神社に忌み日(生理の日、以下忌み日)に
詣でてはいけない、と
聞いたことがありますでしょうか
神様がいやがるから、と、
すこし確かですが
すべてではありません
神様は慈悲を根源にされる方々です
「忌み日」に神社に詣でると
「危ない」から
「詣でてほしくない」のです
エネルギー的にみますと
女性は忌み日のとき
現実とあちらの境にふれやすくなります
また、気持ちが不安定になったり
体も弱まりやすい
神社はよいものばかり、
よいことばかり、……と
いいたいのですが
神社により、けがれが多いこともありますし
とくに朝日のときはともかく
午後からは
けがれをためるようなところもあります
(夜から朝にかけて
ちかくの地域をまもり
浄化するため
けがれあつめするところなんかも……)
それですので
神様がたは
女性が「境目にふれやすくなる」
感覚が鋭敏になり
からだが弱まりやすい忌み日に
詣でてほしくないのです
もし、どうしても詣でるときは
「鳥居をくぐらないでください」
鳥居は「あちらと現実」の
境目の象徴ですので
くぐらなければ
あちらへ触れることもなく
帰ることを、
みまもってくださいます
……
忌み日の詣でへの
「いやがり」に限らず、
神様は無意味に
ひとの行いを
いやがりはしません
「ひとや、命があぶないから」
嫌がることばかりです
神様のいやがりや、おいかり、は
親が子供にむけるような思いです
誤解誤認せずに
...
2017-07-06 07:44:54
...
否と無下の違い
(noSeries)
否と無下の違い
誰かを削りとるために
あたえられたものは
ひとつもありませんから
否と無下はまた全然違うことです
もっとも人を
命をきずつけることは
バカにすることではないし
否定することでもなく
奥底にある「消したい気持ち」でしょうね
バカにされても
なんかいいな、ってなったり
怒られても
否定されても
なんかいいな、ってなったりするのは
奥底に
「貴方をちゃんとみていたい」とか
「生きているのがいい」とか、
そんな肯定が
あるからかもしれません
無下(無視)がやどる言葉やたいどは
表向き何をあらわしていても
人を痛ませる
……
自分に嫌なことをするひと、いうひと
不快におもうことと
消したい気持ちは
べつもので
自分と、ちがうひと、を
消したい気持ちを
やどしながら生きると
辛い日々がかさなります
ちがうひと、しか
いませんから
……
誰かを痛ませるために
やどる力など
ひとつもありません
痛ませたい、は
力が云うのではないです
「消したい気持ち」がいうのです
それがエゴというのでしょうね
……
「くらべて自分は素晴らしい」と
よりかかるための
思想、ちからなら
しだいに
弱くなりますから
(一番になりたいまま
生きていると
そう、なったりしませんか)
なんにもなくても
胸を張っていけたらいい
……
必要なのは
救いでも、現実でもなくて
無価値でも
無意味でも
好きだと、叫ぶほど
いきれることでは
ないのかな
……
ひととくらべて
素晴らしくなるために
ひとを削りとるために
手にできるものは
ひとつもない
役に立つことしか残らない
...
2017-07-06 05:09:38
...
お休みの日を作る(クリエイト)
(noSeries)
お休みの日は
自分でクリエイトしてしまうと良いと思います
のちのち、大変な助けになります
お休みの日
体をやすめたり
疲れをとったりするだけは
ありません
「自分を休む日」
自分を休んで歩くと
見えてくる景色が
ひとつ、違うんですね
誰かのためにいきるのも
なにかのためにいきるのも
自分を活きています
自分を休んで
まわりをみわたし
のびのびする日
そんな日を、過ごす毎日のなかに
ひとつ、おいてしまうと
いっそう、活きることが
たのしくなります
……
神々さまは
巨大なエネルギー流を
この世にあらわされていらっしゃいます
ご自分の親しい神様と
おやすみの日を
シンクロさせると
素敵かもしれません
創造主は
日曜をおやすみとされています
とても心地良い
おやすみのエネルギーです
弁財天さまは
月曜日や水曜日
お休みをされていたりします
地域によってことなりましょうか
わりと活発な商店街と
シンクロされていらっしゃいます
……
みずからのおやすみを
えにしのある神様の
お休みとあわせ
休まれる
そんなことも
楽しいものです
...
2017-07-05 07:00:00
...
裸の王様みたいな
(noSeries)
わりあい裸の王様の物語が
好きなのだけれど
それは
教訓めいたところではなく
バカだけに裸にみえる王様が
おおてをふって大パレード!
ってところと
「バカだけにはみえない服」が
魅力的だからだ
私は、見えなかったとしても
そんな服があったら
大枚はたいて買ってしまうだろう
バカを判断する、とかじゃない
バカだけに裸。これがポイントで
バカだけを驚かせる
これが魅力的なのだ
誰にも内緒できこんで
下に変な服をきて
バカだけが驚く様をみたい
買って着たい
ドラえもんがだすアイテムがごとく
魅力的だ!バカだけに裸服
...
2017-07-04 04:42:50
...
地獄と、祟りの関係
(noSeries)
地獄は、罪人がおちるといわれる地です
地獄が怖いのではなく
そこに凝っている
罪、人の罪が怖いのだといわれます
……
この世は、おおもとは
慈悲でなりたっております
神々は「あやまち」はせめられませんし
「誤解」も「性格」も
せめられません……
……
地獄は大きく言えば
祟りの総結集のような場です
いぜん、祟りには慈悲があると
記しましたが
地獄もまたそうです
地獄には鬼があり
罪人をせめたてますが
それは祟りにある魂の状態です
……
祟りの根元は
(罪への)理解と、反省を
のぞみ、ねがう
痛みです
……
地獄が怖いのではありません……
罪をおかす人が恐ろしいものを宿しているのです
地獄が怖いのは
そのようなひとと
神々の祟りの
戦の場だからです
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神社に忌み日(生理の日、以下忌み日)に
詣でてはいけない、と
聞いたことがありますでしょうか
神様がいやがるから、と、
すこし確かですが
すべてではありません
神様は慈悲を根源にされる方々です
「忌み日」に神社に詣でると
「危ない」から
「詣でてほしくない」のです
エネルギー的にみますと
女性は忌み日のとき
現実とあちらの境にふれやすくなります
また、気持ちが不安定になったり
体も弱まりやすい
神社はよいものばかり、
よいことばかり、……と
いいたいのですが
神社により、けがれが多いこともありますし
とくに朝日のときはともかく
午後からは
けがれをためるようなところもあります
(夜から朝にかけて
ちかくの地域をまもり
浄化するため
けがれあつめするところなんかも……)
それですので
神様がたは
女性が「境目にふれやすくなる」
感覚が鋭敏になり
からだが弱まりやすい忌み日に
詣でてほしくないのです
もし、どうしても詣でるときは
「鳥居をくぐらないでください」
鳥居は「あちらと現実」の
境目の象徴ですので
くぐらなければ
あちらへ触れることもなく
帰ることを、
みまもってくださいます
……
忌み日の詣でへの
「いやがり」に限らず、
神様は無意味に
ひとの行いを
いやがりはしません
「ひとや、命があぶないから」
嫌がることばかりです
神様のいやがりや、おいかり、は
親が子供にむけるような思いです
誤解誤認せずに