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見えないことの探求記 - 2018.3
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[ 私の話 ]
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[ 作品とともに ]
[ 審神者 ]
[ シャーマニズム ]
[ 夜の話 ]
[ 天部 ]
[ イエス様 ]
[ 如来 ]
[ 釈迦 ]
[ 不動明王 ]
[ noSeries ]
[ エネルギーの物語 ]
[ 雑感 ]
...
2018-02-06 14:33:39
...
薬と医療学と、シャーマニズム(神様のこと)
(エネルギーの物語)
医学と薬は
シャーマニズムから
逸脱した
よくないもの、ではなくて
もともと、医学は
シャーマニズムから発展したもの
また、薬もそうです
こんにちの薬も「そのようなものだ」と
いわれています
(※確かめてはいません)
昔の薬、は
薬草をシャーマンが見つけだして
つかいかたを見ぬいて
煎じたり、のんだり、塗ったりしていました
:
(※以下の話は聞き伝えで確かめていません)
今の薬のほとんどは
密林から
発見されているといわれます
密林は「未知の薬の宝庫」とも聞きます
:
たまに、シャーマニズムや
霊性に傾いてしまった方で
「薬」や「医学」に
極端な拒否反応が出る方がいますが
その「かたち」は
「シャーマニズム」と
そうかわらないそうです
(むしろ、判断するなら
薬よりも
体の仔細をみぬいて
適切な薬をえらんだり
量を選択する
医者の方を
よく見分することが
大切らしいです)
:
「人を病から救いたい」という心です
:
「ヒーリング」はエネルギーであり
見えないことですから
不思議なちからに思えるかもしれませんし
「シャーマニズム」が好きなら
そっちの方がよいように思えるかもしれません
しかし、こんにちの「医療と薬」も
ヒーリングと同じく
「神のご加護」のもとにあるものであり
「授かりもの」であります……
(ヒーリングと同じく
闇もありますが……)
:
みえないこと
みえること
どちらもあってこの世となります
なにもかも
依存することなく
盲信することなく
みつめていくと
過ごしやすくなるかもしれません
...
2018-01-30 15:36:21
...
ヒーリングとお金について(エネルギーは戻る……)
(noSeries)
ヒーリングとお金
ヒーリングは
シャーマニズムと
スピリチュアルリズム、ほか
レイキとかあるようです
私が、しているのは
シャーマニズムのほうですから
自然発生したものをおいています
スピリチュアルや
レイキとか
じつは、私はよく知りません
私のスピリチュアルは
現実に神様がおわして
人たちを守っていること、
人たちと良い交流をもたらすこと
ほかなりません
これはもしかしたら
他の、おおくのスピリチュアルとは
違うのかもしれません
……
私は、みえるようになってから
かなり戸惑い、
さまざまな文献をあたりました
私が、スピリチュアルに
はじめてふれたのは
その時、読んだ
シルバーバーチの霊訓からでした
シルバーバーチ以上に
おだやかできめ細かい優しさは
見受けていないので
(私のはどうも、
違うものらしいけれど)
私の「スピリチュアルというもの」の指針は
シルバーバーチから
変わっていません……
……
シルバーバーチは
スピリチュアルヒーリングについて
子細をときあかし
また、「無償の奉仕」にしか
そうしたことは、
ありえない(具現しない)ことを
伝えられています
私も……高次の存在が、かかわる
「スピリチュアルヒーリング」は
そうなのだろうと、思います
(特に、イエス・キリストさまや
釈迦如来さまは
奉仕、博愛の精神が高いので
金銭をからませる方には
おとずれませんね……)
……
私は
ヒーリングをすると疲れる
自分のエネルギーをつかっているから
だから、金銭などの
エネルギーを支払ってほしい、というのは
なにか、そうとう
恐ろしい勘違いをされているのでは、と
思います
エネルギーは
だしたものが
濃くなってかえってくる
(与えられるようになる)ので
愛や、健やかのエネルギーを
だし与えているなら
疲れる、とか、
人の病や、負をくらって
病や負になる、とか、
自前のエネルギーを使われて
へとへとになる、とかは
あり得ないと、思うんです
(だって、
ふかまって、
あたえられるんですよ
自分にも、ちゃんと……)
……
ヒーリングは
エネルギーの法則から
無償でやっていても
なんの問題もないものです
エネルギー、
かえってくるので……
(むしろ、
している方も
されている方も
元気になる
ウィンウィンになる)
私の場合は
自然の発生しかできないので
(意図の発生は無理で……)
あらわれたときに
おいていますが
(エネルギーの法則とか
知識だけでも、良く理解していたり
把握しようとシミュレートしてたり
あるいは、感じて熟知しているなら
ふと、この違和感に
気づくことが、あるかもしれませんが)
霊能力や、ブロック解除
カウンセリングや、占い……
こうしたものとヒーリングは
すこしことなります
うまくいえないのですが
ぶっちゃけてしまえば
ヒーリングは
己にも、かえるもの
あたえられるものを
相手に与える行為です、ですから
金銭をとるものは
二重取りしていることになるんですね
(エネルギーを)
ヒーリングに、お金を出してかかるなら
ここらへんの、
エネルギーの現実をふまえて
思慮されるとよいかと思います
...
2018-01-30 11:22:05
...
「おまもり」&天部について
(作品とともに)
「おまもり」
これからさき
要となる神様かと
思われますから
天部の方を
詳しく書いてみたいと思います
……
天部のものは
祟ると、有名ですが
祟ります
堕ちたり、穢れたり
祟ったりは、
天部ならではの変化です
かれらは
釈迦如来の眷属であります
それですから
釈迦如来に
よくないことをしたもの、は
よく、祟られています
(神様が眷属に
神獣や神精霊をもつように
釈迦如来は
眷属が天部方々なんですね
これだけでも、
釈迦如来のすざまじいことが
伺えます)
……
良いものはこの世の宝だから
なにがあっても、誰も
苦しめてはならない
これは
釈迦如来のひとつの神呪です
良いもの、を
親愛、善心、真心につとめるもの、
「悟りをひらいたもの」とか
「怠らず努めるもの」とか
される時もあります
誰も苦しめてはならない、とは
神様天部にいわれたことです
ですから
良いもの、には
どんな存在であっても
祟りや厄災を
もたらしてはならない、と
されている神呪です
それほど大切な命なのです
善良なるひとたち、は
(多くの人類のなかで
善良者は、滅多にいませんからね
宝石でいえば
最も希少な石の如くです)
……
良いものには良いものが与えられ
悪いものには悪いものが与えられる
さまざまな神の神呪とともに
こうした流れが
この世からは見えない
エネルギーの交流には
もたらされてあります
(現実や物質のことではありません
エネルギー流と、ひととのことです……)
……
(善良でも悪人にあったり
悪いエネルギー体にあったり
することはありますが
それはまた別の話があるので
またの機会に)
……
天部は、
沢山いる「悪に傾く人」たちから
希少な「善心につとめる人」たちまで
どの段階にでも
あわせられる術を持つ方々です
悪い心持には
悪い天部が来ます
だましたり、
悪心我欲を(一時だけ)かなえたりするので
悪魔みたいに捉えられるかもしれません
また、そうした「次元」のことでなくても
天部は、ほぼ
相手の細やかな心理面と
己をあわせることができるのです
……
天部こそ
まさに、己の鏡
無意識をふくめた
本心本音をあらわす
存在なのかもしれません
悪辣とした天部
くだらないことに尽力する天部
ひとの支配者になってる天部
別神の名を名乗る天部
人に言われて人を呪う天部……
かわって
いのちのために無心でつくす天部
幸福に導く天部
厳しいながらも修行を教える天部
教えをつたえる天部……
さまざまな天部が
この世界にはあります
(特に今、私のいる界隈には
百科事典のように、居ます)
水族館か……
その生態を
見よう、学ぼうもするものにとっては
……宝庫ですね
……
天部がそうした変幻をもち
ひとにいわれて
他人を呪うことさえするのは
天部には
上に記した
釈迦如来の神呪が
流れているからです
「呪いや祟り……
悪い心持には、効くが
善に努めるものには、届かない
(かならず、助けられる、救われる)」
悪い心持をもったものが
持ち前の魂を使って呪うより
天部が、悪心に従うふりをして
呪うほうが
善につとめるものが、傷つかないから、
助かるから、です
……
また、天部は
代償をもとめる術があり
悪い心持は、その代償をはらえませんから
魂をもらわれていってる、
つまり最終的に
悪いことをしていると
己の魂が尽きていくわけです
……
その代償は
善にある人は普通にしていること
普通のひとは
すこし意識してすること、です
思いやりとか
親愛や、真心とかですね
……
善人とめぐりあえた天部は
最高の幸運と呼ばれています
天部は如来と違い、修行中の身ですから
修行がある程度高みまでいかないと
善にある人とは巡り会えないそうです……
善人は、
たいてい彼らを使いません
使おうとしません
ただ、ありがたいといって
拝むんだそうです
……
拝み、は、
ほんらいは、そんなふう
願いも祈りもなく
その方がおわすことの
ありがたさ、に
ありがたいなぁ、と、
拝する真心
神様、は
おわすだけで
そこを整えられます
(ありがたいと拝む方々は
そんなことさえ
意識されてないのでしょうね)
それが神様の本性、真髄
真心と敬愛をもって
ありがたい、と
愛しているなら
どんどん、その本性、真髄に近くなり
磨きかかって、輝かれる……
願掛けと違い
とくに、分かりやすい幸運や
啓運はないかもしれませんし
嫌なこともあるかもしれません、
でも、そうしたことが、できる方々は
安寧にありつづけるのでしょうね
……
ちなみに人間の真髄も
にたようなものなのですが
他人が、そこにいることの
ありがたみを身に沁みさせ
愛するのは
難しいことですね……
人間の、神髄
そこにあるだけで
人と人とで、整うこと、
幸福があることを
磨くほどの
愛と感謝が身に満ちると
おおいなるものと
シンクロがながれ
シャーマニズムが
開花するのですが
(たまに、親御さんが
お子様に、持たれているのが
見受けられます……)
そうした敬愛を、
互いに(違いに)、もてたら
世界は変わるんでしょうね……
極楽はそんな様ですが
(そして、此処と融合するらしいんですが)
...
2018-01-29 20:05:13
...
マンコ神様、チンコ神様
(エネルギーの物語)
マンコとチンコの神様も
(日本特有?)いらっしゃるんですが
まんま、マンコとチンコのお姿なんですね
北斎がマンコチンコの
ひとがたを描いたのは有名ですが
なんか、北斎さんは
たぶん、視えていた方なのかもしれません
その絵は
まんま、マンコ神様、チンコ神様です
マンコとチンコを護るのですから
それはそれは、お強い神様です
日本特有なのかもしれませんが
こうした神様は
よく笑い、よく泣き、
また、よく転がられる
神様は
清らかなものを好かれますが
マンコチンコ神さまもおなじで
性を敬愛し、性を尊ぶ思いを
胸にもちながら
きちんと性に向き合い
愛されているかたは
性を護る神様、
かたちが、マンコとチンコが
護っていることもあります
(視えたら、こまりますね)
逆に、性を汚いものとか
悪いものだとか
おとしめていたり
性は軽くしていて良いものだとか
思い込んで
遊んでいたりすると
マンコチンコ神様も
そばをはなれられます
神様や聖霊さまは、まこと
清流にしかすめない
清い魚みたいですね
……
もしも
みえないものが
見える、感じる方で
マンコ、チンコを
そばに感じたら
もしかしたら、それは
マンコチンコ神様かもしれませんね
……
マンコチンコ神様が
おそばにいられると
それはそれは素晴らしい恋(ハアト)が
あるそうです
まこと、見えないことを含めたら
真心が、あるかないかで
運気は変わるものですね
...
2018-01-28 09:47:09
...
如来、観音、天部と、神社の神様の違い
(エネルギーの物語)
※このブログにかぎらず
私が、お話することは
書物で読んだこと、
他人から教えられたこと、ではなく
経験したことから
書いております
見えない世界は、
頭にあるのではなくて
見えないだけの現実です、が
経験はひとによります
もし、ご興味がうまれたら
鵜呑みというコピペをせず
ご自分で神社やお寺に散歩されたり
調べたりされてみてください
きっと面白いと思います
(散歩しつづけると
かんじる(うけとれる)ことが
変わってきたりもします)
……☆*・……
とても高いところに
天界があります
そこに比べると
ここは海の底のようなところです
天界は、そうしたら
陸地のようなものですね
そこからは
私たちは海の水越しに見える
如来さまは
来た如く、と書きます
「実際には来ていない」ものです
かれらは
天の陸地にありながら
現世の海の底をみつめ
ひとを救うために
陸地にある力や知恵を
この世界に
できるかぎり合うように
降ろされる
実態が天界にあられる方々です
……
仏像に神様をおろし
開眼をする作法があるのですが
如来さまは上に記したとおり
実態を天界にゆだね
力(知恵)をこの地に
投影降ろしされる方なので
後述します、観音様、天部の方々とは
開眼の前の、おろし方がことなります
それで、如来さまを開眼できる方は
今はもうだいぶ少ないそうです
……
観音様、は
天の方々が
地の(海底の)人達を
導き、救うために
実態をもって降りられた方々です
地の(海底の)生活に対応するため
エネルギー体を
かなり制限されています
実態にちかいもの、が
この地にあられる方々です
……
天部は、
私が見受けたところでは
この地にもともと息づいていた
(いわば、海底に生きていらした)
神々です
実態が、もともとこの地で育たれ
この地を整えていらした方々ではないかと
見受けられます
異形の方が多いのですが
地の神様とは
そうしたものなのかなぁと思います
……☆*・……
お寺の神様は、わかりやすいのですが
神社の神様は、
すこし難解なところがあり
たぶんですが、
日本特有の神様なのかもしれません
和装をした翁の姿が多く
姫神、男神がいらっしゃいます
お面を被られていることも多く
現れに四つの面相(和魂、荒魂など)が
やどられている
四つの面相があるのは
もしかしたら
日本の神様の特性かもしれません
日本で成長された方は、自然に
「和み魂」とおなじく
ほかの面相、
驚くことに「荒み魂」にも
なれ親しまれています
(神様の荒ぶられる気質を
他国の神様となれしたしんだ方々より、
受け入れやすいらしいです)
……☆*・……
余談ですが……
「神様が怒ること」を
魂が知っているかどうか、は
日本で住んでいくなら
今後はわりとキィポイントになるかな、と
思います……
神様が濃くなられていくので……
神様の怒りは、
人間の怒りとは異なります
静かな愛にあられます、が
怒らない、というのは
日本の神様にはありません……
(日本の、喜怒哀楽のはっきりした
力強いオジサンと
似ているかもしれません
怖いものは
「地震、雷、火事、親父」の順と(笑)
いわれますが
日本の神様は
怒るときには怒る
キチンとしたお父さんのようです)
(そこに理不尽さはないです)
(怒られると少し、涙がでます
変な話ですが
ありがたい、嬉しい気持ちにもなります……)
……
「怒らない」でも「下の人は祟る」は
お寺の神様ですね……
如来さまは、めったに怒らないので
(そのかわり、
悪行悪癖がなおらないかたは
見放されたりされます
天部に委ねる形ですね……
詳しくは書きませんが
それもその人にとって
最善の学びだからでしょうね)
……
父母を思い浮かべてみると
わかるかと思いますが
なにをしても怒らない
許し続けてくれるモノが
よいモノ、というのは
嘘ですから、
気をつけたほうが良いかと思われます
愛にあるかたは
わりと厳しいですよ
(魂は不滅でありますから
不滅なあなた、を、あなた、が
良くしながら、
生きていかなきゃならないので……
まわりとの関係の築き、とか
環境のととのえ、とか
自分と周りのしあわせ、とか
不滅な魂が、
自分のちから
自分の知恵で
やられるようにならきゃ
ならんのですよ
自立ですね……)
……☆*・……
お寺の神様は
釈迦さまの国から
渡ってこられた方々です
日本の神様は
日本にいきづき
日本の人らとともに
神ごとをされてきた方々です
上の上に神様のすまうところがあり
そこからすると
現世は海底、
天は陸地のようなものです
神様は、現世という海底に
その陸地のおすまいから
力をながして現される
ところにより
この流し方、流れ方がことなります
「神がどのように現れているか」の流れ
高い高い山から
流れ落ちる水
点在する「岩」により
流れ道がかわりますが
投射の如来、
実態の観音、元来の天部というながれと
日本とともにあった神社の神様のながれは
まったく異なります
(限らず、神様は、すべて
育たれたところにより
流れ込み方が
かわるのでしょうね)
……
神々は
天の地という平和にありながら
深海にちかい、苦しい現世を
ともに生き
幸せに、ともに進まれることを
胸に灯してくださった方々です
そうしたお気持ちをわかると
自分たちが愛されていることや
ただ甘えさせてくれる方々ではないことも
わかる気がします
いのちの道のり……、よりよく
歩いていきたいですね
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シャーマニズムから
逸脱した
よくないもの、ではなくて
もともと、医学は
シャーマニズムから発展したもの
また、薬もそうです
こんにちの薬も「そのようなものだ」と
いわれています
(※確かめてはいません)
昔の薬、は
薬草をシャーマンが見つけだして
つかいかたを見ぬいて
煎じたり、のんだり、塗ったりしていました
:
(※以下の話は聞き伝えで確かめていません)
今の薬のほとんどは
密林から
発見されているといわれます
密林は「未知の薬の宝庫」とも聞きます
:
たまに、シャーマニズムや
霊性に傾いてしまった方で
「薬」や「医学」に
極端な拒否反応が出る方がいますが
その「かたち」は
「シャーマニズム」と
そうかわらないそうです
(むしろ、判断するなら
薬よりも
体の仔細をみぬいて
適切な薬をえらんだり
量を選択する
医者の方を
よく見分することが
大切らしいです)
:
「人を病から救いたい」という心です
:
「ヒーリング」はエネルギーであり
見えないことですから
不思議なちからに思えるかもしれませんし
「シャーマニズム」が好きなら
そっちの方がよいように思えるかもしれません
しかし、こんにちの「医療と薬」も
ヒーリングと同じく
「神のご加護」のもとにあるものであり
「授かりもの」であります……
(ヒーリングと同じく
闇もありますが……)
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みえないこと
みえること
どちらもあってこの世となります
なにもかも
依存することなく
盲信することなく
みつめていくと
過ごしやすくなるかもしれません