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見えないことの探求記 - 2017.28
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[ 不動明王 ]
[ noSeries ]
[ エネルギーの物語 ]
[ 雑感 ]
...
2017-09-28 05:06:36
...
河原の石から
(noSeries)
[playlist ids="2409"]
川の中の石を集め切るように
むさぼるように
夢中でかきあつめて
ようやく
おちついたら
こんどは
集めすぎた石や砂利が
手からこぼれ落ちるのを見てる
残るのは
見たかったもの、見たいもの
好きなもの、ためになるもの
興味深いもの
このみ
流れるように
かわっていくなか
のこっていくものは
なにか、どこか
共通したものをもっている
……
なんだか熱っぽくてだるい
もうすこし
一緒にいることで
おきるさまざまを
描いたいなぁ、と
ゆうんだけど
まだ早いよ、とゆわれる
まだ、まだ
……
どうでもいいことと
どうでもよくないことの比率が
いつからか、変わってしまった
わたしは小島にいる気がする
魚をとって焼いて食べてる
なんなら小麦だってつくったっていい
はなれたところには船ででる
しいれたら、また小島にもどる
……
今、何がどうでもいいかというと
タダシサとか、タダシイとか
やり方を知りたくて貪っていた
そうしたらなんか今度は
すこしちがう
すこしちがうのが何なのかわからない
魚をとれて小麦ができるからか
そんなことより
もっと多くのことがありそうだ
...
2017-09-28 00:39:15
...
不動明王
(不動明王)
不動明王が好きなのは
神様の、憤怒の化身だからかも
しれません
不動明王さまは
化性があられる
私は実は
きちんと怒れるひとがすきです
めったにいません
……
妄執や、悪意
あるいは悪いエネルギー
そうしたものを
すべてふくめて
つきもの、と呼ぶなら
きちんと怒れるひとは
これを自然に祓えます
私には、きちんと怒る、が
お祓いのみなもとのように思えます
……
そこに、その人を否定する、は
ありません
逆に。その人を肯定する、が
あるばかりです
つきもの、は
その人ではない
その人が、その人から、外れたとき
わいてくるものだからです
...
2017-09-28 00:25:07
...
呪詛と、ひとへ
(noSeries)
然念、
意識しないで
概念のない
集中のときに
あらわれるものが
干渉をもちます
……
呪詛というのは
他人のことを悪として
憎んだり、うらんだりする気持ちです
それは誰もが持ちます
力をもつものは
この干渉範囲が広い
「呪えなければ良かった」と
私は呪詛落ちしたひとが
いうのを聞いたことがあります
意識すれば止められる(できる)では
できない
意識していない時
止められなければ
ながれおちる
できるとき
できないひとを
せめられますか
そうしたら、まだ
しているんです
……
他人を、悪としても
いいんですよ
自分が
悪にならなければ
思い込みになく
そんな心情で
そんなことが、できるなら
……
不動明王にならえば楽ですよ、と
いうのは
憤怒も、憎悪も、
怨嗟も、嫌悪も
ときどき、状況によりわきでて
けせるものではなくて
どうにかしていくものだからです
あれはわくものなのです
かたちとして
もっているものではなくて
ひとを責めるきもちがあるなら
わいているのです
……
かたちにより
とどまりやすい、とかは
ありますが
……
呪詛
憤怒から、怨嗟から
憎悪、嫌悪からの
悪意であります
不動明王の憤怒は
憤怒ながら
悪意なく
ひとの心を
削ぎおとすことなく
浄め祓いをおこなわれる
それは
「わたし」を知っていて
「あなた」を知っていて
なくせないことであり
だから、かなしい
あわれさだと、
わかっているからだと
思うのです
...
2017-09-27 06:04:34
...
注意や怒りは大切、悪意とはちがう
(noSeries)
見分けがつくようになると
注意をしているのと
怒っているのと
悪意を根にしているのと
敵意を根にしているのと
状況や、ひとの感情を
利用しているのと、が
全然違う様をもつことが
見て取れるように
なってくる
……
怒っているひと
怒ってくれるひとは
痛みをかかえていたりする
そのうえに
怒ることで
かえることもこうむる
注意も、似たようなこと
注意しているひとは
たして、己に注意している
こうしたことを
なせるひとは
貴重なひとだと思う
悪意や、敵意、我欲と
見わけていきたい
...
2017-09-27 05:07:37
...
みわけ、しわけ、くわけ
(noSeries)
見分けられるか
これは初歩のようだ
どんな能力か、
どうかんしょうできるか、
よりも
見分けられるか
見抜けるか、のほうが
おもい、あとあとに影響もくる
死にたさが
心の底にあると
「見たくないもの」が
増えてしまうから
見分けられなくなる
いきたいものは
見えない世界を
目を皿のようにして
見抜いて、あゆもうとする
知らないところに、
己ひとり
ほうりだされて
周りを見て、あたりを見て
どうにか生きようとする
とにかく、みわたす
しろう、わかろうとする
……
死にたさは
生きなくてもいい、強みがあって
だから
放り出されているにも
かかわらず
知りたいことがしれれば良くなり
見たいことが見えたら良くなる
……
見分け、は
生に対する心理があらわれる
死にたさがあれば
死滅をもたらす側を
よいもの、よいものとして
すりよっていく
生きるその人や他人を
その日々や、細かい異なりや
ちがい
これは創造性に
つながるのだけれど
その人の
知らないこと
できないこと
これは友達や信頼へと
つながっていくのだけれど
そうしたものに
顔をしかめるもの
快く思わないものを
よいものとしていく
生きたくて
生き抜きたいなら
生きるその人を
よろこぶものに
よろこび、
生命がかがやく
異なることや
ちがい、
他人がいること
違う考えや
感じ方があること
しげき
しらないことがあること
できないことがあること
できる人がいること
知っている人がいること
つきない興味
創造性を
祝福していく
……
見分けられる心地がおちつけば
仕分け、区分けに
たっしていく
善悪、敵意、悪意
善良、聖なる、そういう二面性や
わかりやすさではなくて
なにがどこのもので
なんのために
なにをしているか
そして、その実力
……
区分けがつけられるようになると
ようやく
コミュニケーションが
とれるようになりはじめる
……
みよう、みようとする
しろう、しろうとする
他者や異なしを刺激に
いまだ知らないばかりなこと
知らない自分に
喜びがやどり
創造がたかまっていく
生きたし
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手からこぼれ落ちるのを見てる
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おきるさまざまを
描いたいなぁ、と
ゆうんだけど
まだ早いよ、とゆわれる
まだ、まだ
……
どうでもいいことと
どうでもよくないことの比率が
いつからか、変わってしまった
わたしは小島にいる気がする
魚をとって焼いて食べてる
なんなら小麦だってつくったっていい
はなれたところには船ででる
しいれたら、また小島にもどる
……
今、何がどうでもいいかというと
タダシサとか、タダシイとか
やり方を知りたくて貪っていた
そうしたらなんか今度は
すこしちがう
すこしちがうのが何なのかわからない
魚をとれて小麦ができるからか
そんなことより
もっと多くのことがありそうだ