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見えないことの探求記 - 2017.29
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[ 不動明王 ]
[ noSeries ]
[ エネルギーの物語 ]
[ 雑感 ]
...
2017-10-09 12:22:21
...
自分のまわりを纏う自分のだしたもの
(noSeries)
きもち、念、心遣い
そうしたものは
まず、
重いものであれば
自分の足元に
軽いものであれば
頭の上に
まといつくから
だしつづけているものは
まず、自分に影響がでる
それから
やがて雰囲気みたいになって
はたから、みただけで
人が受け取るように
なるのかもしれない
……
「他の人が見えているか」は
大切なことだと思う
己のことしかみえないとき
他の人のことを語ることも
他の人になにかを伝えることも
できない
まるで隠し絵のように
その目の前の景色から
「他の人」というものが
きえてしまう
……
きみょうな話
他人が見えていないときほど
己の内心や、心の影を
他人の本性のように、みてとり
見えているときほど
その人と、己には
似ているところがあり
そのうえで
異なりがあることを
感じ、理解するようだ
……
「他人」を尊重するセンス
優しさとおなじ
もっていると
思い込むほど、失い
これぐらいだ、と
現実を
自覚するほど
はぐくまれ
厚みがでるらしい
なんでもそうかもしれない
...
2017-10-09 09:55:19
...
預言と予言のちがい
(noSeries)
預言とは
字のごとく
言葉をあずかることです
みんなに伝えなさい、という
預かりかたもありますが
預かるだけの時もあります
ことばは、
神々と、
そこにある命にとって
とても大切なものです
……
ことばに
気を付けられないなら
神々から、預かることはありません
不安にさせる
脅す、憎しみをあおる
だます、おとしめる
などなどの
まっとうさが欠ける
よごれた使い方をするものからは
ことばは、離れていきます
……
予言、は
サイキックなところから
たちのぼる
予感が、言葉や
イメージになるほどの
あらわれです
サイキックは
その人自身を
根源にしますから
生におびえがあるのなら
おびえた立ち上がりが
現実解離しているのなら
そうした立ち上がりが
おおくなります
命にたいする
祝福が根ざしている方は
そうした立ち上る予言で
人を助けるとも、いわれます
……
神々の沈黙
神々が言葉をあらわしてから
何年かのあいだに
神々の沈黙があったといわれます
それ以前は
神々と預言者は
たしかな交流で
そこに居たといわれます
……
そういえば
神の真似をするものは
「言葉を預ける」ことが
できないようです
そのものの意見を
「はなすように」と
されるようですが
「預ける」自体が
できないようで
言葉がなんであるか
きちんとした把握が
ないからかもしれません
そうしたことと
「預かり、つたえる」ことは
似て非であり
よくみれば
まるでことなる様子をもちます
...
2017-10-05 10:48:03
...
サイキックアタックの種類
(noSeries)
コンテンツ…はらい、きよめ、たまえ
以前書いた
「悪意を清解、解毒する」人というのは
一定人数いらして
かれらの 怒りは
悪のエネルギーを
きよめ、はらう
怒りに、芯、心があるからかと
おもわれる
……
悪という
エネルギー
あてられたり
のまれたりすると
転がり落ちていくものらしい
……
サイキックアタックも
念も、生霊も
また、エナジーヴァンパイアも
良し悪しは「それ」にはなくて
「それをする人による」
……
ひとを、愛するか
ひとを、慈しむか
根源に、あるのなら
どれも、悪いことにはならない
たとえば、エナジーヴァンパイア
ヒルのようなもの
悪血をのむように
悪いところだけを
のんでいくひともいる
……
そうしたひとたちは
一瞬の削ぎ落としを担われるから
つきあうと「疲労する」
……
思いやられたか
どうか
……
祟りもまた
ひとしく
神による
慈悲がともり
はらい、きよめる力
救われる力が
あらわれる方もいる
...
2017-09-28 23:55:03
...
えて。
(noSeries)
私は文章から、あえて
主語をおとす癖があり
「わたしは」とかの
ところです
じつは形のない世界は、
主語がありません
なまえは
象りのときにでますから
なまえもありません
それでそこにあわせているとき
主語がぬけて落ちる
……
「私は」というのは
ことばの外にあります
抜け落ちるだけ
私が消えるわけではないし
私がしたことや
私がそうなのだというところも
なくならない
でも意識が、ぬける
……
主語の抜け落ちる
概念のない、界隈で
ちからが開花するというのが
どういうことか
こうしたことで
なんとなく
伝わるでしょうか
...
2017-09-28 23:30:29
...
自分の正体
(noSeries)
見えないものの正体や
他人の正体ではなくて
自分の正体が
生きる中で
問われ続けているのを
たまに思うのです
他人の中にそれがあるのではなくて
自分の正体のひとつ、を
観ているにすぎません
他人はすべて
こころも、たましいも
プライバシーは
守られているから
他人のことを見抜いたようで
見抜くことはできないんです
ですから
うかつにも他人のこととした
その姿で
己の正体を伝えられ続ける
……
自分の中にはそれはない、と
している時には、
できないのですよ
逆にいうなら
「自分の中にある」と
わかっているから
出来るんですよ
見えないことが
出来る限り、自分の正体だと
知り続けているんですよ
……
清濁あわせのんで人となると
いうのは
清らかなものと、
濁り淀んだものが
ふたつあって
そのふたつを
心からわかせて、生きていて
どちらも己だねぇ、と
飲み込んだ時
人になる、と
いうものだろうと
思うのです
……
堕落、や
怠惰、というのは
他人にばかり
ソレを見る姿なのかもしれません
………
あるがまま、本音で生きたとき
にんげんは、他人を、呪います
ほぼ、ほぼ、呪います
この呪念については
誤解がおおいので
すこし、はなさなければ
ならないことがあるのですが
様々な悪意を、しない時
単に、それがどういうことで
悪いことだから、という
知識があったり
自分も悪かったかもしれない、
自分が悪いかもしれない、という
把握があるから
しない
知識か経験が
しないことを選んでいる
本音は、何を感じているか
……
象り、そうした概念のない世界へ
概念のないところから
力はながれますから
たましいの状態
概念のない状態で
呪わない生命にならないと
力が開花したなら
呪詛をふみます
そこで、意識は
とりでにならない
……
力をもってうごくなら
意識しないで
概念のない姿の
正体、の。ところを
正体ーー魂に
力とともに、
実態が
やどらないと
実態を磨かないと
あぶないんです
……
濁り淀んだところは
己はちがう
他人にあるのだと
思っていたっていいのです
……
能力は
己を土台に開花します
ソレは概念ではなく
現実として
目の前に出てきます
ソレが自分の正体だ、と
いうところです
底を見ないと、土台がない
……
自分の正体だと
しない人は、
しないでいいのです
みてとれればいい
能力者で
ソレがみてとれなければ
人に、能力はじつは
具現しても
伝わらんのです……
目の前のひとへ
情をもてということでしょうか
この人は出来ていない
私は出来ている
そんな心情では
人には伝わらんのです
ソレは能力が
咲いていないというのと
おなじなのです
他人が出来ていない
他人の、こころが、姿が、悪い
これでは
どうしても
そうした力が
こころから咲かない
伝わらんのです……
……
「あれが私だ」としたとき
情がわくんです
ようやく、他人を理解しようと
しはじめるんです
どこか、違いますから
おなじ心情をみてとれると
ちがいがみてとれる
あれは私だ、そこから
できることがあり
できないことがあり
私にもそうした気持ちがあり
心根がある
そこから
違うことができて
人に
己に
なにがしかを
うむようです
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そうしたものは
まず、
重いものであれば
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軽いものであれば
頭の上に
まといつくから
だしつづけているものは
まず、自分に影響がでる
それから
やがて雰囲気みたいになって
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他人の本性のように、みてとり
見えているときほど
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似ているところがあり
そのうえで
異なりがあることを
感じ、理解するようだ
……
「他人」を尊重するセンス
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厚みがでるらしい
なんでもそうかもしれない