:::
TOP
>
てんてこノート帳
>
見えないことの探求記
> year2017.24
見えないことの探求記 - 2017.24
Year :
[ 2018(no.4) ]
[ 2018(no.3) ]
[ 2018(no.2) ]
[ 2018(no.1) ]
[ 2017(no.9) ]
[ 2017(no.8) ]
[ 2017(no.7) ]
[ 2017(no.6) ]
[ 2017(no.5) ]
[ 2017(no.44) ]
[ 2017(no.43) ]
[ 2017(no.42) ]
[ 2017(no.41) ]
[ 2017(no.4) ]
[ 2017(no.40) ]
[ 2017(no.39) ]
[ 2017(no.38) ]
[ 2017(no.37) ]
[ 2017(no.36) ]
[ 2017(no.35) ]
[ 2017(no.34) ]
[ 2017(no.33) ]
[ 2017(no.32) ]
[ 2017(no.31) ]
[ 2017(no.30) ]
[ 2017(no.3) ]
[ 2017(no.29) ]
[ 2017(no.28) ]
[ 2017(no.27) ]
[ 2017(no.26) ]
[ 2017(no.25) ]
[ 2017(no.24) ]
[ 2017(no.23) ]
[ 2017(no.22) ]
[ 2017(no.21) ]
[ 2017(no.20) ]
[ 2017(no.2) ]
[ 2017(no.19) ]
[ 2017(no.18) ]
[ 2017(no.17) ]
[ 2017(no.16) ]
[ 2017(no.15) ]
[ 2017(no.14) ]
[ 2017(no.13) ]
[ 2017(no.12) ]
[ 2017(no.11) ]
[ 2017(no.1) ]
[ 2017(no.10) ]
[ 2016 ]
Series :
[ 私の話 ]
[ 記事シェア ]
[ 作品とともに ]
[ 審神者 ]
[ シャーマニズム ]
[ 夜の話 ]
[ 天部 ]
[ イエス様 ]
[ 如来 ]
[ 釈迦 ]
[ 不動明王 ]
[ noSeries ]
[ エネルギーの物語 ]
[ 雑感 ]
...
2017-09-10 06:49:00
...
身のほどを知る力
(noSeries)
身のほど知る力ほど
実になるものはないなぁと
最近、思うのです
人や世間ばかり見ていると
忘れてしまう
みのほど、は
低いとか、高いとかではなくて
できることと、できないこと
わかっていることと、
わからないことを
みわける
この身にあるものと
ないものを
たしかめる
人と手をつなぐのも
ここからはじまるのかもしれないと
今日この頃、思うのです
...
2017-09-10 06:11:41
...
神様とはなにものか
(noSeries)
見も蓋もない言い方ですが
ひとが、ひとりひとり
神様だと思っているものが
神様です
ひとのこころの
真心や親愛であったり
自然のおおきな大意であったり
宇宙であったり
あるいは、イエスさまや
ブッダさまといった
尊い教えをもたらした人であったり
されるでしょう
たとえば
私が神様としたしむ方々を
神様でないという方々が
いらっしゃるのも
あたりまえで
大雑把にいえば
自前の固定概念が
「神様とはなにかを決める」ので
そこに細かく
「こうだああだ」つける方も
いらっしゃいますが
つまり、神様だと思っていること、が
神様としてあらわれます
……
見えないもの、が
どうであれ
自分が、どういうものかのほうが
ずっと、重要です
現実とかわらないんですよね
見えない領域も
神様とか、どうだとか
傍らのもの、
その人でないものの
権威や立場は
問題ではないんですよ
その人のもつ、思いや、こころ
概念を通り道にして
清らかなものには
清らかな方々がおとずれます
その人に、かかわるものが
かかわる
それだけなんです……
……
私の知っている神様は
信仰や信者を必要としません
おひとりひとり
個性的で
こころも、気持ちも、
もたれています
...
2017-09-10 04:53:45
...
思いの灯るものは、大切にされている
(noSeries)
思いの灯る子は
見えない界隈からみても
とても大切な方なのです
とても大切なのです
ですから
なにがあっても
怯えたり
不安になったり
怖がることはないのです
「どうにかできる」力があること
知恵があること
だからこそ
思いに灯火がともるのです
見えない、よいものは
そうした子に力を貸すことを
厭うことがありません
もしも、迷ったら
ただ、灯った思いを
伝えられてみてください
「こんなことがありました
こんなふうに思いました」
それだけで
てのひらは、てのひらと
つながれる
かかわることは
心がかようこと、
コミュニケーションは
すべてそうしたことです
...
2017-09-10 02:44:14
...
石についてのコラム
(noSeries)
「石はためる」といいます
または「はっする」ともいわれます
川の流れの中
大きな石があると
流れが変わります
おなじように
石は流れに対して
ちからをもちます
エネルギーの流れが来た時
内包する型を持つ石があると
その流れはそこにおさまっていきます
エネルギーをためて
良いエネルギーにかえ
はっする
石には
もともとそうした性質があるようです
とてもやさしい性質です
自然から隔離されると
石は自然の浄化のちからの
流れ坩堝から
遠ざかってしまうようなことですから
ためるほうが強ければ
わるいものもよいものもたまりこみ
はっするほうが強ければ
枯れていく(力がなくなっていく)といわれます
……
「石」は優しいものだと思い
私にはご慈悲の
あらわれのひとつと思えるのです
...
2017-09-09 07:26:14
...
ひとのこころ
(noSeries)
ひとのこころは
ひとのものであり
いわば、もち家と同じように
プライベートなものです
家にお邪魔するなら
家の人に
許可されないと
あがれないように
心もまた、
他人が
勝手にみることは
できません
本当は4つあるのですが
鍵は
無意識にひとつ
意識にひとつ
無意識がいやがれば
ひとつの鍵が、とじられ
意識がいやがれば
もうひとつの鍵もとじられる
けっして、ひとから
勝手に踏み込まれたり
勝手に見られたりすることは
ありません
……
他人のこころは
そのひとの許しがなければ
他人からは
感じ取れないものです
ーーまた、その上で、
たいていは
信頼できる関係が
きずけたときに
はじめて許される
ですから
信頼関係もきずけていない
他人のこころが
わかったような思いに
とらわれるなら、妄執です
……
低級霊やまものは
見えないものが見える方でも
見えていないときがあります
かれらが、空気に近いとき、です
かれらは
低俗なものですから
決めつけと憶測を好む
……
他人から見て
他人のこころは
みてとれないものですが
ひとつだけ、誰でも
わかり
また、無意識であっても
やりとりしていることがあります
雰囲気にながれる
そのひとの気のようなものです
しかし、よく間違われやすいのですが
気は、場や状況が流すこともあるので
そのひととイコールとは限りません
その人そのもののシンプルな気は
そのひとしかいない場所や
邪魔のない場所でしか
流れないでしょう
また、こころとことなり
その人の体調により
流れ出る「気」はかなり変わります
体や現実のほうの
影響をうけやすいんですね
「気」は
気にあてられやすいかたは
人の心をかんじたんだ、とか
あの人はこう思ってるんだ、とか
誤解されることもありますが
気、は、しょせん、気に過ぎず
ひとの所有である、ひとのこころは
信頼のうえで
たずねてみて、あかされないと
わかることはありません
……
おなじようなことが
魂についてもいえます
……
自然に感じ取れる範囲は
見えない領域であっても
「他人」のことは
現実に、許るされる範囲しか
受け取れません
その他人が、
見えない生命であってもです
Year :
[ 2018(no.4) ]
[ 2018(no.3) ]
[ 2018(no.2) ]
[ 2018(no.1) ]
[ 2017(no.9) ]
[ 2017(no.8) ]
[ 2017(no.7) ]
[ 2017(no.6) ]
[ 2017(no.5) ]
[ 2017(no.44) ]
[ 2017(no.43) ]
[ 2017(no.42) ]
[ 2017(no.41) ]
[ 2017(no.4) ]
[ 2017(no.40) ]
[ 2017(no.39) ]
[ 2017(no.38) ]
[ 2017(no.37) ]
[ 2017(no.36) ]
[ 2017(no.35) ]
[ 2017(no.34) ]
[ 2017(no.33) ]
[ 2017(no.32) ]
[ 2017(no.31) ]
[ 2017(no.30) ]
[ 2017(no.3) ]
[ 2017(no.29) ]
[ 2017(no.28) ]
[ 2017(no.27) ]
[ 2017(no.26) ]
[ 2017(no.25) ]
[ 2017(no.24) ]
[ 2017(no.23) ]
[ 2017(no.22) ]
[ 2017(no.21) ]
[ 2017(no.20) ]
[ 2017(no.2) ]
[ 2017(no.19) ]
[ 2017(no.18) ]
[ 2017(no.17) ]
[ 2017(no.16) ]
[ 2017(no.15) ]
[ 2017(no.14) ]
[ 2017(no.13) ]
[ 2017(no.12) ]
[ 2017(no.11) ]
[ 2017(no.1) ]
[ 2017(no.10) ]
[ 2016 ]
Series :
[ 私の話 ]
[ 記事シェア ]
[ 作品とともに ]
[ 審神者 ]
[ シャーマニズム ]
[ 夜の話 ]
[ 天部 ]
[ イエス様 ]
[ 如来 ]
[ 釈迦 ]
[ 不動明王 ]
[ noSeries ]
[ エネルギーの物語 ]
[ 雑感 ]
:::
TOP
>
てんてこノート帳
>
見えないことの探求記
> year2017.24
実になるものはないなぁと
最近、思うのです
人や世間ばかり見ていると
忘れてしまう
みのほど、は
低いとか、高いとかではなくて
できることと、できないこと
わかっていることと、
わからないことを
みわける
この身にあるものと
ないものを
たしかめる
人と手をつなぐのも
ここからはじまるのかもしれないと
今日この頃、思うのです